徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本城の平櫓台石垣の積み直し

2024-06-12 23:11:20 | 熊本
 昨日、熊本城の平櫓(ひらやぐら)台石垣の積み直し工事が始まったとローカルニュースが伝えていた。熊本地震で櫓も石垣も大きく損壊し、5年ほど前から櫓と石垣の解体が行われた。今年3月中旬には石垣の復旧工事に入ったかと思ったら中断していたので、いったいいつから始まるのだろうと思っていた。昨日、たまたま下を車で通ったら工事を再開した様子が見えたので、やっと始まったかと思いながら通過した。
 平櫓は本丸の北東に位置する平屋の櫓(国重要文化財)で、石垣は加藤時代に築かれたと伝えられている。復旧に当たってはモルタル吹き付けや鉄筋の挿入など現代工法を使って石垣内部の耐震補強を行うという。ニュースによれば1日に石5個積むのが精一杯だという。今日と違って重機もなかった清正公の時代、城づくりに携わった先人たちの苦労が偲ばれる。


今年の3月中旬、足場を組んだ時の様子。


熊本地震前の平櫓(平成22年 坂崎健二郎氏画)


   ▼清正公による城づくり・町づくりを唄い込んだ「肥後の通り名」

熊本県スポーツ界は女性優位!?

2024-06-11 19:29:43 | スポーツ一般
 このところ、熊本県勢女性選手の活躍が目立つ。プロゴルフではプロ3年目の竹田麗央が今シーズン既にツアー3勝し、21歳になったばかりというのにプレースタイルには風格すら感じさせる。叔母さんにあたる平瀬真由美さんのように一時代を築くかもしれない。(右の写真は竹田麗央選手)
 その竹田選手の国府高校の先輩にあたるのが大里桃子選手。先日の「宮里藍 サントリーレディス」で3年ぶりのツアー3勝目を挙げ復活を果たした。大柄で伸びやかなスイングにはポテンシャルを感じさせる。これから竹田選手と競い合って大いに活躍していただきたい。

 目を陸上界に転じると、今春、熊本中央高校から福岡大学に進んだ短距離種目の山形愛羽選手がインターハイを制した高校3年時の好調をキープしている。親元を離れ生活環境の変化にも影響はないようだ。先週鳥取で行われた「日本グランプリシリーズ・布勢スプリント2024」で100mに出場、強豪揃いのなかで見事2位に入賞した。これからが益々楽しみになってきた。

   ▼宮里藍 サントリーレディスの結果



   ▼日本グランプリ陸上・布勢スプリント2024 Women's100m 結果


メグスリノキ

2024-06-10 21:17:47 | 歴史
 どうも白内障が進行しているようなので今日生まれて初めて眼科病院に行った。熊本では最大の眼科専門病院である出田眼科病院。先日予約だけはしていたので指定された朝8:30に行ってみると、70~80名は収容できそうな待合ロビーは受診者で既に一杯。いろんな検査を受けて結局、会計を終えたのはもう午後1時に近かった。エントランスを抜けて外に出ると前庭に「メグスリノキ」があった。この病院のシンボルなのだろう。説明書のプレートを読みながら、ふと随分前にブログに書いた「メグスリノキ」にまつわる話を思い出した。

向台寺目薬のはなし(2012.5.25.)
 わが家からも近い京町1丁目に向台寺という古いお寺がある。京町台の西南端に位置するが、上熊本方面に降りる坂には向台寺坂という名前が残っている。この向台寺、実は「向台寺目薬」と言って、かつては相当名の知れたよく効く目薬を処方・販売するお寺だったそうである。この話を僕が知ったのは、中学校の同級生Sさんのお父さんがまだ師範学校の学生だった昭和10年に、京町の歴史についてまとめたレポートの中だ。Sさんの家が向台寺に近かったので、昭和10年当時でもSさんの家に、遠方からの患者が向台寺を訪ねて来たそうである。ところがこの話には裏話があって、実はこの目薬の秘伝の調合などを元々持っていたのは向台寺からちょっと北に行ったところにある西方寺だったというのだ。その当時の住職からさかのぼること3代、つまり明らかに江戸時代の話になるが、両寺の住職が極めて仲が良く、檀家が少なくて経済的に困窮していた向台寺を助けるため、西方寺の住職が向台寺の住職に秘伝を譲ったというのだ。そしてそのことは永い間、両寺の秘密とされてきたという。なんともハートウォーミングな話ではある。ところでこの目薬の原料が気になるところだが、現在の向台寺の奥様におたずねしてみたのだが、今はもう書付けも何も残っていないそうだ。司馬遼太郎の「播磨灘物語」には「戦国武将・黒田官兵衛の祖父がメグスリノキを原料とした目薬を開発して巨万の富を得た」と書かれているので、おそらく戦国時代よりも前に既に民間療法としてメグスリノキが使われていたと思われる。


メグスリノキ


くまもと全国邦楽コンクール

2024-06-09 21:01:03 | 音楽芸能
 今日は朝から熊本市民会館へ「くまもと全国邦楽コンクール」を見に行く。今年で29回目を数えるそうだ。僕は2011年の第17回から見ているのだが、コロナで中止や無観客開催の年もあったので今回でたしか11回目の鑑賞となる。
 毎回思うのは「邦楽って何だろう?」ということ。熊本出身の地歌三絃の名手・長谷幸輝検校の名を冠したコンクールなのだが、江戸前期に肥後藩士・山崎半彌が残した「歳序雑話」には祇園社(現北岡神社)の祇園会の様子を表した「倡瞽者は淫楽の器を鳴らし、淫風の歌を謳ふ」という一文がある。これは6月14日(旧暦)に行われる祇園会は盛大で賑やかなもので、北岡の麓を流れる坪井川には遊舟が浮かべられ、舟上では酒食とともに音曲を楽しんでいたという、そんな風景を表現したもので、「倡瞽者(しょうこしゃ)つまり盲人音楽家がみだらな楽器を演奏し、みだらな歌を唄う」という意味なのである。今日われわれが「邦楽」と呼んでいる音楽の多くが当時は武士階級から差別的な見方をされていたわけである。
 長谷検校はまさに「倡瞽者」の一人であったわけで、彼らが地べたを這うように歌い奏でていた地歌はいったいどこに行ったのだろうか。次々と演奏される華やかな現代邦楽を聞きながら、なにか釈然としない思いが拭えないのである。

▼第29回くまもと全国邦楽コンクールの結果

祇王寺祇女桜

2024-06-08 22:35:54 | 歴史
 監物台樹木園が3年ぶりに開園したが、開園日が4月25日だったので、残念ながら今年の桜開花時季は過ぎていた。何種類かの桜の中でも残念だったのは「祇王寺祇女桜(ぎおうじぎじょざくら)」の花が見られなかったことだ。この「祇王寺祇女桜」という桜の種類があることを知ったのは、10数年前、あるブログ記事で見つけた京都市右京区嵯峨の祇王寺の写真が、立田山麓にあった父の生家のイメージとそっくりだったことがきっかけだった。
 「祇王寺祇女桜」は祇王寺に植栽されていた桜で「平家物語」に登場する白拍子、祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。

▼『平家物語』巻一「祇王」のあらすじ
 祇王は容姿にすぐれた白拍子(しらびょうし=「今様」という当時の流行歌謡を歌い、舞を舞う男装の遊女)の名手として、京の町中に知れ渡っていた。
 祇王は平清盛の寵愛を独り占めにしていた。清盛は彼女の母「とじ」をも立派な屋敷に住まわせ、毎月、米百石・銭百貫を贈ったので、一家の豊かさ華やかさは例えようもないほどであった。そんなある日、清盛の住む西八条の御殿に仏御前(ほとけごぜん)と名乗る年若い白拍子が訪ねてきた。
 彼女は、自分の舞を清盛にご覧に入れたいと申し出る。しかし、清盛は仏御前を門前払いにした。祇王は、「そんなに素っ気なく追い返すのはかわいそうです。せめて出会うくらいのことは」と清盛にとりなした。
 祇王の頼みを聞き入れ、清盛は仏御前を呼び戻した。彼女の姿は、驚くほどの美しさ。今様を歌わせてみると、その声、節回し、ともに見事であった。つづいて舞を舞うよう命じたが、舞い姿もまたまた見事。清盛はその場で、すっかり仏御前にこころを移してしまった。そして、仏御前が辞退するのも聞かず、祇王を追い出し仏御前に御殿にとどまるよう命じた。
 祇王は障子に人情や運命のはかなさを詠んだ歌一首をしたため、清盛の西八条殿を去った。
 一年が経った。妹の祇女とともに御殿を追い出された祇王に、清盛から「いちど仏御前の前で舞を舞い、彼女の退屈を慰めてやってくれ」という命令がとどいた。
 「言いつけに背けば、都を追い出される。恥をこらえてでも出仕しておくれ」という母・とじの、たっての頼み。祇王は泣く泣く妹・祇女とともに清盛の御殿を訪れた。
 祇王は、下座に侍らされ、今様歌を歌い落ちる涙をぬぐいつつ舞いを舞う。
 我が身のあまりの惨めさに、世をはかなんだ祇王は母・とじ、妹・祇女とともに、嵯峨の山里の小さな庵に移り住み二十一歳で出家した。
 春が過ぎ夏も終わり、秋風の吹くころとなる。三人が念仏をとなえる粗末な庵を、ある夜、訪ねてきたものがあった。不思議に思った祇王がよく見ると、それは黒髪を剃り落とし尼僧姿となった仏御前であった。
 「つくづく物を案ずるに娑婆(しゃば)の栄華は夢の夢」と悟り、彼女はみずから念仏の輪に加わりたいと祇王たちの庵を訪ねてきたのであった。
 それいらい四人はともに朝夕念仏をとなえつつ、「往生の素懐」をとげたという。
(平成23年1月2日滋賀報知新聞記事より)


祇王寺祇女桜


父の生家(今は痕跡も無し)からほど近い泰勝寺跡

白拍子の舞

ラインの仮橋

2024-06-07 23:34:44 | 映画
 昨日、ゲール・フォン(Gaël Fons)さんのフェイスブックに、6月6日は「D-Day」で、フランス人にとってとても重要な日であることが書かれていた。
 これを読みながら、僕は「史上最大の作戦」と共にもう1本、別の映画のことを思い浮かべていた。それはフランスの社会派監督アンドレ・カイヤットの「ラインの仮橋(1960)」である。僕が高校生の頃で「史上最大の作戦」とほとんど同じ頃に見た覚えがあり、今でも心に残る名作だと思っている。

▼あらすじ
 第二次大戦、ドイツ軍の捕虜となったフランス人のパン職人ロジェと新聞記者のジャン。二人はライン河にかかった軍用仮橋の上で出会い、一緒に労役に服するため、あるドイツの村へと送られる。ここから二人の男の人生観と生き様が、際立った対照を見せながら、物語は進行する。村長の娘ヘルガを誘惑し、利用して脱走を図ったジャン。フランスへ逃げのび、レジスタンス運動に走る。一方、従順に労役をこなし、ドイツ人の信頼を得たロジェはやがて、男たちが兵役に駆り出された村で、村長代理を務めるほどの存在となる。そして、終戦、解放されてフランスへ帰還したロジェはどうしても、片思いのヘルガのことが忘れられない。ジャンに見送られながら、二人が出会ったあのラインの仮橋を渡り、再びドイツへと戻って行く。


パン職人ロジェを演じたシャルル・アズナブール

D-Day

2024-06-06 22:22:53 | 歴史
 今日は日本では令和6年6月6日と「6」が並ぶので、メディアでもいろんな意味付けが話題になっていたようだ。
 一度だけ熊本城城彩苑でお会いしたことのあるフランス人のゲール・フォン(Gaël Fons)さんがご自身のフェイスブックに、ヴェルレーヌの有名な詩の冒頭
 "Les sanglots longs des violons de l’automne
  Blessent mon coeur d’une langueur monotone"
 【和訳】
  秋の日の ヴィオロンのためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し

とともに、1962年の映画「史上最大の作戦」(The Longest Day)の1場面の動画が貼り付けてあった。
 それを見て思い出した。そうか80年前の今日、「D-Day」つまり「ノルマンディー上陸作戦」が開始された日であったことを。
 動画にはドイツ人俳優のペーター・ファン・アイクがドイツ軍将校の制服を着て登場するので、ドイツ側から見た一場面なのだろう。高校時代に一度きり見た映画なのでディテールは憶えていない。
 そういえば、前述のヴェルレーヌの詩は作戦開始をフランスのレジスタンスに知らせる暗号だったことを思い出した。そのことをゲール・フォンさんのフェイスブックにコメントしたら、次のようなリプライが返ってきた。
「はい、この記念日は私たちにとって非常に重要です。今日はフランスのテレビを見ることをお勧めします。 D-Dayにはたくさんの放送が行われます。」
 そうか、今日はフランスにとってとても重要な日だったのだ。


観客のマナーのはなし。

2024-06-05 21:02:17 | 音楽芸能
 先日、熊本市民会館での日本舞踊公演をビデオ撮影していて一番困ったのは、上演中に平気で前を横切って行くオバちゃんたち。上演中は「動かない・しゃべらない」くらいは常識だと思っていたが、この日の客はそんなことは全くお構いなし。1階のいい席を取っていただいていたのだが、これじゃ満足に撮れないなと思い、2階席に移動した。2階は空席も多かったのでここなら大丈夫かなと思っていたら、何のことはない、2部の歌謡ショーが目的と思われるオバちゃんの団体がやって来て、上演中というのに大声で会話はするわ、カメラの前を平気で行き来するわでやりたい放題。こんなにマナーの悪い客と遭遇したことは今までにない。
 マナーといえばいつも困るのが能。拍手をしていいもんだかどうかわからない。能楽通に言わせれば、もともと神事として始まった能に拍手はいらない、祝詞を奏上した神主さんに拍手をするようなもんだという。白洲正子の随筆「老木の花」には、白洲と「最後の名人」と謳われた喜多流能楽師・友枝喜久夫の対談が収録されているが、その中で友枝は「能の余韻が残っているのに拍手をされるとブチ壊しですよ。せめてシテが幕に入るまでは我慢していただかないと」と語っている。
 今週末には「くまもと全国邦楽コンクール」が熊本市民会館で行われるが、コンクールというのが普通の公演以上にマナーに気を付けなければならない。演奏中は「動かない・しゃべらない」は当然のこと、演奏後の拍手も審査に影響しはしないかと気になるものだ。


いい場面になって来たので・・・


ズームアップしようとすると黒い影が横切る

くまモン15周年に向けて!

2024-06-04 17:15:21 | 熊本
 来年3月にデビューから15周年を迎える熊本県のキャラクター「くまモン」。今、それを記念するロゴ募集や選考が進められている。7月上旬には記念ロゴが決まる予定だという。

 九州新幹線鹿児島ルートの開業による地域振興効果を上げるため、2005年に「新幹線くまもと創りプロジェクト」が立ち上った。その一環として、2010年には熊本出身の脚本家・小山薫堂さんの企画で「くまもとサプライズ」が始まり、そのキャラクターとして創造されたのが「くまモン」。それからやがて15年が経とうとしている。振り返れば、この15年は熊本にとっていろんな意味でサプライズの連続だった。2011年、新幹線開業の前日に発生した東日本大震災。予定されていた開業記念のイベントはすべて中止あるいは延期に。それから1年ほど続いたイベント等の自粛。前途多難を覚悟させる船出だった。その一方で、「くまもとサプライズ」のキャラクター「くまモン」が予想外の大ヒット。観光振興などにキャンペーンの効果が表れ始めた矢先、2016年の熊本地震。さらに2020年から2023年にかけて日本を襲った新型コロナウィルス禍。今まで誰も経験したことのない皮肉なサプライズだった。そんな中、くまモンが生み出した経済効果は累計「1兆4500億円」ともいわれ、類例のない世界的にも有名なキャラクターとなった。これが最大の「くまもとサプライズ」だったのかもしれない。


2011.11.12 熊本県立劇場 平成夢座創立20周年記念 子どもと大人の和洋音楽祭 ザ・わらべとくまモン

2011.2.19 大阪ミナミ・湊町リバープレイス 「くまもと逸品縁日&ミナミあっちこっちラリー」

歌舞伎舞踊「京人形」を観ながら

2024-06-02 20:08:14 | 音楽芸能
 今日は舞踊公演のビデオ撮影を頼まれていたので市民会館に観に行った。日本舞踊藤間流師範、藤間きみ藤さんの芸歴五十年を記念する特別公演だった。お弟子さんや藤間流系の舞踊家など30名ほどの方が次々と舞踊を披露された。なかでも、藤村紫皇さんと藤間きみ奈さんが踊った歌舞伎舞踊「京人形」は出色。藤村紫皇さんは藤村流の家元で、先月、別の舞踊会で、その巧みな表現と滑稽味を見ていた。藤間きみ奈さんは若手舞踊家の期待の星だと、彼女が高校生の頃から聞いていた。この二人の共演だから当然の出来栄えだと思う。
 今日演じられたのは、京人形の精が踊り出す次のようなくだり。

――名工・左甚五郎が廓の太夫に思いを寄せ、その姿を等身大の人形として彫り上げる。人形を愛でながら晩酌をしていると、不思議にも人形が動き出す。甚五郎が魂を込めて彫ったため、人形は男の動作をしてしまう。そこで人形の懐に鏡を入れてやると太夫のように色っぽくなる。甚五郎と人形は一緒に踊り出す。――

という内容の舞踊。


藤村紫皇さんと藤間きみ奈さんが踊る「京人形」

 見ながら、日本人は「〇〇の精」が登場する話が好きだなぁと思った。昨日のブログ記事にした「藤の花の精」が登場する「藤音頭」やラフカディオ・ハーンが再話した「青柳のはなし」の「柳の樹の精」など。他にもいろいろあると思うが、やはり「草木国土悉皆成仏」という日本における仏教の世界観が根底にあるのだろう。

六月朔日詣り

2024-06-01 19:42:29 | 日本文化
 今日は藤崎八旛宮へ六月の朔日詣りに行った。いつもの朔日より駐車や参詣者が多いなと思ったら、六月一日恒例の「開運長寿祭」だった。熊本では「6.1」にちなんで、この日に今年還暦を迎える人を祝う風習がある。
 今日も拝殿でお参りした後、境内の各末社もお詣りして回った。そして清原元輔の歌碑
 「藤崎の軒の巌に生ふる松 今幾千代か 子(ね)の日過ぐさむ」
をあらためて読んだ。この歌は、藤崎宮が今の藤崎台にあった頃、元輔が「子の日の松」の行事を行ったときに詠んだものと伝えられる。古より不老長寿の象徴とされてきた「松」のめでたさを詠んだ歌。今日という日にはピッタリだなと思う。
 一方、娘の清少納言は「枕草子」の「めでたきもの」の條には
 「色あひふかく花房ながく咲きたる藤の花の松にかかりたる」
という一節がある。「藤の花」はたおやかな女性のイメージ。そして「藤の花」がよりかかる「松」はたくましい男性のイメージ。「めでたきもの」とは素晴しいもの、見事なもの、りっぱなものを表す言葉。「めでたきもの」としての「松」のイメージは、元輔も清少納言も同じだな、などと思いながら藤崎宮を後にした。


今日の藤崎八旛宮


清原元輔の歌碑「藤崎の軒の巌に生ふる松 今幾千代か子の日過ぐさむ」


   「枕草子」の「めでたきもの」の一節をモチーフにした(?)「藤音頭」