4月9日(木)
久しぶりにお天気が良くなったので、ずーっと望んでいた
”根尾の淡墨桜”へ、お花見に行くことにしました。
旅行会社のパンフレットには、必ず”谷汲山華厳寺”とセットになっているので、
おなじ岐阜県で、通り道なので、こちらへも寄ることにしました。
前日より、東海北陸道の一部に、車では冬タイヤまたはチェーンが必要との
情報だったので、北陸道から名神高速道、関ケ原ICのコースにしました。
午前6時に自宅を出発、谷汲山華厳時には、午前10時ごろに到着。
意外と早く到着できて、驚きました。
谷汲山華厳寺
798年に創建され1200年あまりの歴史ある名刹です
まず、大きな山門の奥に、桜のトンネルが続いて見えました。
時間が早いせいか、まだ駐車場もガラガラ、平日だからかな?
参道のずーっと奥が、華厳寺ですが、参道の両側には
たくさんのお店が並んでいます。
お団子やお菓子、おでん、串焼きのお店に混じって、
仏具、天然石や古道具、手づくり小物のお店等々、賑やかです。
参道の桜は散りはじめのようで、舞い散る花びらがきれいでした。
お食事処のしだれ桜が満開で、とても美しい
参道の桜のトンネルは1kmあまり続くとのこと、
参道沿いには、華厳寺本堂まで三丁半などと彫られた石碑が建てられていました。
3丁半とは、どれくらいの距離なのかわかりませんが、
数字が小さくなれば、たどり着くってことです。
やがて大きくて立派な仁王門に到着。
両側に巨大なわらじ、その奥には、仁王様がおられました。
参道からさらに前の長い石段を上ると、本堂ですが、
その前に「百度石」があります。
お百度詣りは、この石まで100回行き来し願い事をするのです。
本堂の大きな赤い提灯や、明治時代の奉納額など、古刹が偲ばれます。
柱に鯉の彫金飾りがついています。どうしてだろうか?
又、ハート型の文様の新しい灯籠も、不思議です。
華厳寺でお参りを終えて、次は、いよいよ根尾谷淡墨桜です。
ここからは、約1時間余りで行ける場所です。
途中までは、すいすいと、普通どおりに車を進めることができましたが、
淡墨桜まであと3kmの標識を発見してからは、大渋滞で殆ど動けません。
約3km前の風景です。この辺り、川沿いに桜並木が続いています。
根尾谷淡墨桜がちょうど満開との情報で、多くの花見客が押し寄せてるようです。
わずか3km進むのになんと1時間もかかってしまいました。
根尾谷淡墨桜の駐車場に到着したのは、午後1時でした。
吉野の桜を思い出すほどの、大変な人出です。
根尾谷淡墨桜(国指定天然記念物)
日本三大桜(三春の滝桜、山梨県の山高神代桜、岐阜県の淡墨桜)の一つ。
淡墨桜は蕾のときは薄いピンク色、満開に至っては白色、散り際には
淡い墨色になるエドヒガンザクラです。
樹齢1500年余、樹高16.3m、幹囲9.9mの大木です。
”淡墨桜”は、公園の真ん中で、その大きな木に、薄い桜色の花が
孔雀が羽を広げたように咲いています。
大きな太い根本は、真ん中が空洞になったため、数年にわたり
保護再生工事が続けられ、毎年美しく
いにしえ桜を咲かせているのです。
もう一本の桜は、”淡墨桜2世”、
こちらも大きく立派に育ち元気な樹形が頼もしく見えました。
桜を中心に、広々とした公園になっていて、桜資料館には、
枯死寸前の淡墨桜を蘇らせた医師前田利行翁と桜の保護を
訴えた作家宇野千代が紹介されています。
資料館へは入らずに、茶店でお昼のお蕎麦を食べて、
もう一度、今度は少し高台まで登り、名残の桜を眺め
午後3時頃、淡墨桜公園を後にしました。
淡墨ザクラのおおらかに広がる優しい姿と優しい桜花を
ゆっくり眺めることができたお花見でした。
久しぶりにお天気が良くなったので、ずーっと望んでいた
”根尾の淡墨桜”へ、お花見に行くことにしました。
旅行会社のパンフレットには、必ず”谷汲山華厳寺”とセットになっているので、
おなじ岐阜県で、通り道なので、こちらへも寄ることにしました。
前日より、東海北陸道の一部に、車では冬タイヤまたはチェーンが必要との
情報だったので、北陸道から名神高速道、関ケ原ICのコースにしました。
午前6時に自宅を出発、谷汲山華厳時には、午前10時ごろに到着。
意外と早く到着できて、驚きました。
谷汲山華厳寺
798年に創建され1200年あまりの歴史ある名刹です
まず、大きな山門の奥に、桜のトンネルが続いて見えました。
時間が早いせいか、まだ駐車場もガラガラ、平日だからかな?
参道のずーっと奥が、華厳寺ですが、参道の両側には
たくさんのお店が並んでいます。
お団子やお菓子、おでん、串焼きのお店に混じって、
仏具、天然石や古道具、手づくり小物のお店等々、賑やかです。
参道の桜は散りはじめのようで、舞い散る花びらがきれいでした。
お食事処のしだれ桜が満開で、とても美しい
参道の桜のトンネルは1kmあまり続くとのこと、
参道沿いには、華厳寺本堂まで三丁半などと彫られた石碑が建てられていました。
3丁半とは、どれくらいの距離なのかわかりませんが、
数字が小さくなれば、たどり着くってことです。
やがて大きくて立派な仁王門に到着。
両側に巨大なわらじ、その奥には、仁王様がおられました。
参道からさらに前の長い石段を上ると、本堂ですが、
その前に「百度石」があります。
お百度詣りは、この石まで100回行き来し願い事をするのです。
本堂の大きな赤い提灯や、明治時代の奉納額など、古刹が偲ばれます。
柱に鯉の彫金飾りがついています。どうしてだろうか?
又、ハート型の文様の新しい灯籠も、不思議です。
華厳寺でお参りを終えて、次は、いよいよ根尾谷淡墨桜です。
ここからは、約1時間余りで行ける場所です。
途中までは、すいすいと、普通どおりに車を進めることができましたが、
淡墨桜まであと3kmの標識を発見してからは、大渋滞で殆ど動けません。
約3km前の風景です。この辺り、川沿いに桜並木が続いています。
根尾谷淡墨桜がちょうど満開との情報で、多くの花見客が押し寄せてるようです。
わずか3km進むのになんと1時間もかかってしまいました。
根尾谷淡墨桜の駐車場に到着したのは、午後1時でした。
吉野の桜を思い出すほどの、大変な人出です。
根尾谷淡墨桜(国指定天然記念物)
日本三大桜(三春の滝桜、山梨県の山高神代桜、岐阜県の淡墨桜)の一つ。
淡墨桜は蕾のときは薄いピンク色、満開に至っては白色、散り際には
淡い墨色になるエドヒガンザクラです。
樹齢1500年余、樹高16.3m、幹囲9.9mの大木です。
”淡墨桜”は、公園の真ん中で、その大きな木に、薄い桜色の花が
孔雀が羽を広げたように咲いています。
大きな太い根本は、真ん中が空洞になったため、数年にわたり
保護再生工事が続けられ、毎年美しく
いにしえ桜を咲かせているのです。
もう一本の桜は、”淡墨桜2世”、
こちらも大きく立派に育ち元気な樹形が頼もしく見えました。
桜を中心に、広々とした公園になっていて、桜資料館には、
枯死寸前の淡墨桜を蘇らせた医師前田利行翁と桜の保護を
訴えた作家宇野千代が紹介されています。
資料館へは入らずに、茶店でお昼のお蕎麦を食べて、
もう一度、今度は少し高台まで登り、名残の桜を眺め
午後3時頃、淡墨桜公園を後にしました。
淡墨ザクラのおおらかに広がる優しい姿と優しい桜花を
ゆっくり眺めることができたお花見でした。
どの辺りなのか?「 根尾谷淡墨桜」で検索してみよっと^^?
なにか意味があるんでしょうね。
散りはじめの桜のトンネルと、満開の淡墨桜を
ゆっくり眺めてられて、最高の一日でした。
東海北陸道を使えば、もう少し早く行けるかもしれません。
一度は見たいと思いますよね。
私の見たときより、花がいっぱいつけています。
それにしても、支えばかり目立ちませんでしたか。
谷汲山、たしか、ツアーで、百合畑を見に行ったように思います。
お寺は、見ませんでしたが・・・
ハートをつけた灯篭、やかんまでついていますね。
現代的というか、笑えます
これから、何百年かして、どんな評価を受けるのでしょうか
話には聞いていましたがこんなにじっくり見せてもらって嬉しいです。
エドヒガンザクラの古木なんですね。
蕾のときは薄いピンク満開は白色、散りぎわが淡い墨色
おォ~何かかっこいい!
実際に見てみたいです~☆
古木は、支えなしでは、維持できないんでしょうね~。
花は二代目に比べたら、ぐっと少ないですが、
姿がきれいです。
ハートとヤカン(急須)の謂れ、聞いてくればよかったかしら。
その大きさと、姿、やさしい花に、遠くまで足を運んで
よかったと思いました。
散り際の淡墨色のお花も、見てみたいわ!
満開でとても綺麗だったわ~でも雨だったの…残念!
淡墨桜も満開で感動した事を覚えています。
たくさんの人に支えられ頑張ってるなと思いましたよ。
ちょっと痛々しいなとも思いました。
淡墨桜はどんな色かな…薄いグレーかな~なんて思ったりして…見て薄いピンクだと知りました…笑っちゃいました
桜の名所は、すべて網羅してるんじゃないですか?
淡墨桜、散り際が薄い墨色なので、この名前が付いたようですよ。
白っぽいピンクのヒガンザクラですから、花も小さくて、大木でも優しい感じがしました。
添え木の多さには痛々しさを感じましたね。