どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

三つの質問・・トルコ

2017年08月31日 | 昔話(中近東)

    天からふってきたお金/アリス・ケルジー・文 岡村和子・訳/岩波書店/1964年



 トルコの[ナスレッディン・ホジャ物語」には600ほどのホジャ物語があるといいます。

 とんち話が多く、聞いていても楽しそうな話ばかりですが、なぜか話を聞いたことがありません。

 おはなし会のプログラムをみてもあまりのっていません。もっと語られてもよさそうなものばかりなのですが・・・。

 この「三つの質問」は、昔話によくでてくる難問に答えるというものです。

 町にえらい三人の僧がやってきて、町長の依頼で、ホジャが答えることになります。

 第一の質問「地球の中心はどこにあるか?」
 第二の質問「夜空に輝く星の数はいくらか?」
 第三の質問「わしの あごひげの毛の数は何本ありますかな?」

 質問した僧も多分答えられないものに、ホジャが切り返していうには

 「地球の中心はロバの後ろ足の真下」・・答えがうそだと思ったら、自分で測りなさい。

 「星の数は、ロバの毛の数と全く同じ」・・空の数をかぞえ、それからロバの毛を数えなさい。

 「あなたの髭の毛の数は、ロバのしっぽと毛の数と全く同じ」・・あなたが、ロバの毛を一本抜いたら、そのたびにわたしは、あなたの髭を一本抜く、こうしてあなたの髭の毛が一本残らずなくなったとき、ロバに毛がのこっていたりしたら、あなたの勝ち」

 自分のロバだけで難問にこたえるホジャです。
 もともと答えられない質問なのですが、僧はどう思っていたのでしょうか。


スープのスープ・・トルコ

2017年08月27日 | 昔話(中近東)

    天からふってきたお金/アリス・ケルジー・文 岡村和子・訳/岩波書店/1964年

 トルコのホジャ話です。

 釘や石からスープをつくるという楽しい話のあとですが、これは結構オーソドックスでしょうか。

 ある日、ホジャの友人がもってきてくれたうさぎ。

 おくさんのファテイマの料理でパン、ウサギの焼き肉、シチューをおなか一杯食べた二人。

 残ったのは骨。これからスープを作れると大きな声で言ったホジャ。

 友人は、ホジャのところで食べた料理の美味しかったのを村中の人に吹聴。

 やがてホジャの家にやってきたのは、最初の友人の近所に住むという二人。

 この二人も、スープの入っているどんぶりを三つ。スープにはごはんや野菜、細かい肉がはいっていました。

 ごちそうを食べ終わった二人も、村中の人に吹聴。

 次に、最初の友人の隣の隣に住むという二人の男が、ホジャのところにやってきます。

 そこでホジャは、昨日の残りのスープにお湯をいっぱい次いでウサギの骨のスープのスープといって、だすのですが・・・。

 ホジャさん次からつぎへやってくる見慣れぬお客にうんざりしたようで、流石に最後のお客は、村の人になにもいわなかったようですよ。

 ホジャのおくさんは、イスラムらしく、料理を出すとおくへ、引っ込みます。女の人は、客に顔をみせてはいけないあたりが、さらりとでてきます。

 それにしても、岩波おはなしの本の初版は大分古く、それだけ支持されているということでしょうか。


とんまなニワトリ売り・・イラン

2016年05月09日 | 昔話(中近東)

        大人と子どものための世界のむかし話9 イランのむかし話/井本永一・編訳/偕成社/1990年初版


 母親と娘二人がペテン師で、男を手玉に取る話。

 一人の女が、ニワトリを売っていた男に、全部買うともちかけ、ニワトリをだまし取ります。

 母親から男の話を聞いて、今度は姉がでかけていき、井戸のなかに水差しを落としたので、井戸の中から見つけてくれたらお礼のお金をあげるともちかけ、男が服を脱いで、井戸の中におりていくと、姉はその服をもちさってしまいます。

 妹のほうもしたたかで、まずは高価な服を男にあたえ、男と一緒に金細工屋にでかけ、高価な指輪や金細工を手にすると、家に帰ってお金をもってくるからと、男を残して逃げてしまいます。

 男を娘の主人と思った金細工屋が、だまされたことに気がつき、裁判官のところへ男をつきだしますが・・。

 男としてはペテンにかかって情けないところもありますが、女性の社会的地位が低く、男優位だった社会背景をふまえないと、この話の面白さは通じないようです。


ヤギとオオカミ・・アフガニスタン

2016年04月10日 | 昔話(中近東)

 オオカミが登場する昔話というと、グリムの「オオカミと七匹の子ヤギ」、「赤ずきん」、イソップの「うそつきの子ども」、日本でいえば「ふるやのもり」でしょうか。

・ヤギとオオカミ・・アフガニスタン (アジアの昔話6/松岡享子・訳/福音館書店/1981年初版)

 ヤギとオオカミというと「オオカミと七匹の子ヤギ」ですが、アフガニスタン版では、子ヤギ三匹を食べられてしまった母さんヤギが、オオカミと勝負します。

 ヤギはたっぷりのミルクをもって、鍛冶屋のところにいって角をするどく研いでもらいます。
 オオカミも牙を研いでもらいにいきます。食糧がたっぷり入っているというオオカミのことばでしたが、袋に入っていたのは石ころでした。怒った鍛冶屋は牙を研ぐふりをして、オオカミの牙を一本残らず抜いてしまいます。

 勝負の結果はあきらかで、ヤギがオオカミの腹を突き刺すと、三人の子ヤギが無事に飛び出してきます。

 グリムは、子ヤギが食べられるまでいろいろやりとりがありますが、アフガニスタン版では、すぐに食べられるところからはじまります。どちらも食べられたはずの子ヤギが無事だったというあたりが昔話です。
             
 オオカミは肉食で、西洋の昔話では悪者のイメージですが、日本では、畑の作物を食い荒らすシカやウサギ、タヌキを追い払ってくれる存在でした。
 狩猟民族と農耕民族の違いでしょうか。

 ところで、アフガニスタンというとタリバンを思い浮かべますが、その後について、報道がすくなくなっているのではないでしょうか。
 内戦が続き、空爆の影響もいまはどうなっているのかきになります。

 小学校就学率29%、成人識字率32%、乳児死亡率165人(千人当たり)という数字がありましたが、この数字が今のアフガニスタンの現状をしめしているのかもしれません。


マメ子と魔物、まめたろう・・イラン

2016年03月12日 | 昔話(中近東)

マメ子と魔物(子どもに聞かせる世界の民話/実業之日本社/1964年)

 豆のように小さい女の子が知恵と勇気で魔物をやりこめる痛快なお話です。

 この話には昔話の特徴がよく表れているようです。 

 しかし大人の理屈で考えてみると不思議なことばかり。

 近所の人が、お百姓の夫婦のところにきて、子どもを落穂ひろいにやろうとさそうのですが、子どもがいないおかみさんにとっては、不思議です。

 おかみさんがマメ子をだくところがでてきますが、豆のように小さかったら、だくというよりは手のひらにのせる感じ。

 この魔物はどのくらいの大きさをイメージしたらいいでしょうか。マメ子は魔物をまきがどんどん燃えているかまどに押し込むのですが、よほどの力持ちでなくてはなりません。

 豆のように小さい女の子が、袋に入った落ち穂をもつのですが、豆のように小さいと袋をもつのもたいへんそうです。

 また、この話には女の子たちがでてきますが、何人ぐらいだったでしょうか。
 魔物が「うまそうなやつがぞろぞろやってくるぞ」といいますから、十人はこえていたのかも。

 落穂やかまど、柄杓など、今の子にはなじみがないものがでてきますが、この話を小学校一年生に話したら、魔物が焼け死ぬところで拍手がおきたというのが紹介されていました。子どもは、大人が頭をかしげるところを軽々とクリアし、純粋にお話を楽しんでいるのかもしれません。

 しかしここにでてくる魔物は魅力的です。食事の支度はさっさとしてしまい、マメ子のいったことをまじめに受け止めて行動しています。やや怒りっぽいのが難点ですが。魔物がいなくてはマメ子もひきたちません。
 
 昔話には、主人公をひきたてる魅力的な脇役の存在が欠かせません。
 
 ところで、小学校一年生に語ったら、魔物って何?といわれてしまいました。うーん、確かにそうですね。漢字だとそれなりにイメージがあるのですが、語りだとわかりにくいかも。


まめたろう(愛蔵版おはなしのろうそく10/東京子ども図書館編/東京子ども図書館/2010年初版)

 子どもがいなかったくつ屋に、豆から飛び出した男の子が主人公です。
 マメ子が女の子むけなら、まめたろうは男の子むけでしょうか。対になるお話です。

 まめたろうは、おじいさんが昔、王さまのお姫様の靴をつくった代金をもらっていなかったため、この代金を取り立てるべく都に出かけます。

 途中、パン焼きがまの火を心臓!に入れ、小川もキツネも心臓の中にいれて、王さまのところへ。

 王さまは家来に、まめたろうを鳥小屋に放り込んでしまえといいつけます。

 ニワトリがまめたろうにおそいかかろうとすると、キツネが追い払います。

 王さまが、まめたろうを火の中にほうりこむように命じますが、こんどは小川があっというまに火をけしてしまいます。
 こごえ死をするように、つめたい穴の中に閉じ込められたまめたろうは、今度も火でからだをあたためてもらい元気になります。

 王さまはどうしてもまめたろうをやっつけることができないとわかると、金をやって都から追い払うように命じます。

 誰も死ぬことのない話で、安心できます。

 「マメ子と魔物」もそうですが、火や小川が小さい小さい豆太郎の心臓にはいってしまうあたりは、いかにも昔話です。

 話を覚えるとき内容をイメージするというのがありますが、どうにもイメージがしにくい話です。


どっちもどっち・・・イラン

2015年05月23日 | 昔話(中近東)

        どっちもどっち/アジアの笑い話/松岡享子・監訳/東京書籍/1987年初版


 イラン版の「和尚と小僧」。地主と小僧さんがでてきます。

 鳥の丸焼きと果物のジュースを貰った地主が、小僧さんに屋敷に運ぶようにいいつけ、布のおおいのなかに、生きた小鳥と毒のびんがはいっているので、とちゅうでおおいを取ってはならないと言い聞かせます。


 小僧さんは鳥の丸焼きと、ジュースをのみほし、あとで地主から問い詰められます。

 小僧さんの弁明。
「屋敷にもどるとちゅう、強い風が吹いてきて、小鳥にかぶせてあった布をふきとばしました。おわびに びんの毒をのんで、いつ死ぬかいつ死ぬかと待っているところです」。

 欲張りをやんわりとたしなめるのは、どこの国にもあります。


100リラのシトロン・・トルコ

2013年08月13日 | 昔話(中近東)

          100リラのシトロン/いちばんたいせつなもの バルカンの昔話/八百板洋子 編・訳 ルデイ・スコチル 画/福音館書店/2007年初版


 アラビアンナイトの「空飛ぶじゅーたん」と同じ話型です。

 三人の兄弟が、その国のお姫さまが大好きだったということから話ははじまりますが、三人はとても貧しくてただ遠くからながめるだけ。

 この三人は働きに行ってお金をためようと旅に出ます。

 上の兄は羊飼いの仕事を手伝い100リラをため、このお金で一番合いたい人の姿がうつるという鏡を手に入れます。

 二番目の兄は仕立て屋で働いて120リラため、空飛ぶじゅーたんを手に入れます。

 末の弟は靴屋の手伝いをして100リラため、旅の途中で出会ったおじいさんから死んだ人が生きかえるというシトロン(オレンジやレモンと同じ柑橘類)を手に入れます。

 ここまでで道具立てはすべてととのいます。
 
 お姫さまを見たいと鏡をのぞきこんだ三人は、死んでしまったお姫さまがうつっているのを見ます。そこで三人は空飛ぶじゅーたんでお城に着きます。
 
 姫をいきかえらせてくれたものに姫をあたえよう、ただし失敗したら命がないぞという王さまの目の前で、末の弟はシトロンでお姫さまを生きかえらせます。
 
 しかし三人は、「鏡があったからお姫さまのことを知ることができた」「じゅーたんがあったから間に合った」「シトロンがあったから生きかえさせられた」と言い争いをはじめます。

 ここで王さまの裁定が面白い。鏡やじゅーたんは無くならないが、シトロンは切られてもうなくなったからといって、末の弟とお姫さまの結婚をみとめます。

 昔話のパターンどおり末の弟がお姫さまと結婚します。

 アラビアンナイトでは王子、王女という組み合わせですが、この話は貧しい若者がお姫さまと結婚するという逆シンデレラストーリーです。


ケローランと鬼の大女・・トルコ

2013年07月13日 | 昔話(中近東)

        ケローランと鬼の大女/子どもに語るトルコの昔話/児島満子:編・訳 山本真紀子・編集協力/こぐま社/2000年初版


 「ねむっているのは、だれだい、ねむらないのは、だれだい」
 「みんな、ねむっているよ。でもケローランはねむらないよ」
 このフレーズが三回くりかえされるのが効果的。

 なまけもののケローランが、近所のこどもと森へまきをひろいにでかける。森の中で、道にまよってしまった三人がある家にたどりつくが、そこは人の肉を食べるでっかい鬼女の家。

 食べられそうになった三人はケローランの知恵でなんとかにげだすが、大事なナイフを忘れたケローランが家にもどったところで、鬼女につかまってしまいます。
しかしここでもケローランは頭を働かせます。

 冒頭部に、なまけものとするのは、これ以外の昔話にもにもみられるところですが、本当は知恵も勇気もある男の子ですので、でだしでなまけものとするのは、どうにもしっくりしません。

 これと同じ話形なのが、イランの「豆子と魔物」ですが、豆のように小さい女の子が主人公で、この話のほうがよく語られているようです。

 薪ではなく、麦の落ち穂を拾いに行きますが、落ち穂は季節がかぎられてくるので、語るためには頭がいたいところです。


シルクロードの民話4 ペルシャ

2013年06月01日 | 昔話(中近東)

    シルクロードの民話4 ペルシャ/小澤俊夫編 島谷謙 宮崎泰行・訳/ぎょうせい/1990年初版

 巻末の解説によるとこの本の内容の原典はさまざま。

 ヒジュラ暦1300年代のものもあれば、ほかの国で出版されたもの、話者から採録されたものなど26の話が収録されている。訳はドイツ語が原本になっているので、イランでは昔話がどのようにあつかわれているか知りたいところ。

 話者は、シーラーズ出身のムンシザデー夫人という人。

 このシーラーズは「アランビアナイト」の「空飛ぶじゅーたん」にでてきます。
 三人の王子が世にも珍しいものを探しにでかけますが、二番目の王子がでかけたところが、このシーラーズ。ここでどんな遠くでも見たいものがみえる望遠鏡を手にいれます。

 首都のテヘランにくらべてなじみがすくないシーラーズだが、波乱万丈の歴史をもっているところ。
 
 引用がながくなるが以下のような解説がある。

 **シーラーズのあるイラン・ファールス州は紀元前700年ごろから栄えた強大なアケメネス朝ペルシア帝国の中心地であった。約2500年前の都ペルセポリスの遺跡が、シーラーズ市から北東に60kmのところに残る。7世紀ごろに、アラブ人が勢力を拡大し、ブワイフ朝で都となり、モスクや城壁などが整備される。 ホラズム・シャー朝やセルジューク朝の領地となり、チンギス・カンの軍勢の侵攻ではこの地の地方長官が降伏する。
 13世紀以降、シーラーズは学問の中心地となり、芸術や文学が花開いた。1382年から数年間はティムールに占領され、1393年にはティムールに再び占領される。1630年には洪水で町の大部分が破壊され、1668年にも洪水に見舞われる。1504年、イスマーイール1世の軍勢に占領され、以降、サファヴィー朝の時代を通じてアッバース1世が都のエスファハーンと同じようにシーラーズを整備するなど、16世紀には20万人の人口を擁し、シーラーズの発展はピークを迎える。サファヴィー朝が衰退すると、1724年にアフガニスタン人によって征服されるなど町の発展に翳りが出る。ナーディル・シャーの統治時代には蜂起も起こり、その鎮圧で町は破壊された。

 1750年、ザンド朝が起こると、1762年にシーラーズはその都となり、カリーム・ハーンは、要塞や城壁、バザールなど多くの建築物を改修、再建し、シーラーズは繁栄を取り戻した。しかし、アーガー・モハンマド・シャーがガージャール朝を起こすと、要塞などを取り壊し、テヘランに遷都されてしまう。1824年には地震で町の一部の破壊も経験する。1853年には再度、大地震が起こった。

 パフラヴィー朝の時代には、シャーはシーラーズを「イランのパリ」にすべく大金を投じ、町は数あるイランの都市のなかでもとくに近代的な大きな都市となった。1971年には、ペルシア帝国の建国から2500周年を記念する式典が、ペルセポリスとシーラーズで催された。しかし、イラン革命の後、シーラーズは政府からパフラヴィー時代の退廃の象徴と見なされるようになり、衰退した。革命から30年以上が経過した現在も、パフラヴィー朝時代に建設が開始された未完成の建造物がいくつも放置されている。これは、革命政府がシーラーズのような近代的な都市よりも、エスファハーンのようなイスラム文化の中心的な都市をイランのイメージとして尊重したためである。**

 昔話から地理や歴史をかいま見てみるのも別の楽しみ。イランは、面積は日本の4倍強で、人口は約半分。


空飛ぶじゅうたん

2012年10月03日 | 昔話(中近東)

    空とぶじゅうたん/子どもに語るアラビアンナイト/こぐま社/2011年初版
    

 アラビアンナイト。題名だけは聞いたことがあるという話は多いが、これもその一つ。

 一番めずらしい宝をもちかえった者を王女の花婿にするという王さまの考えで、三人の王子が旅に出まする。
 一番上のフセイン(どこかで聞いた名前)はビスナガル(インド)にでかけ空飛ぶじゅうたんを、二番目のアリーはシーラーズ(イラン南西部)で自分が見たいものを思うものを見ることができる望遠鏡を、三番目のアフメッドはサマルカンド(ウズベキスタン シルクロードを代表するオアシス都市)で重い病気をなおすリンゴを手に入れる。

 三人の兄弟がでてくると上の二人が悪玉で、末が善玉という話が多いが、このお話では三人とも同じように描かれ、結末も王女と結婚するのは二番目で、一番目は神に仕える道を選び、末のアフメッドは別の道を選ぶことに。悪玉が一人もでてこない ほっとする話。

 三人がでかける町をウイキペデイアで調べると、今はそれほど注目されていないが、歴史の香りがする町ばかり。

 「空飛ぶじゅうたん」や「どこでも見える望遠鏡」など「ドラえもん」の世界。「ドラえもん」もこんなお話がベースにあったかも。


    空とぶじゅうたん/マーシャ・ブラウン再話・絵 松岡享子訳/アリス館/2008年初版

 マーシャ・ブラウンの再話ですが、末の王子のアフメッドがアーマッド、王さまのめいヌールンナハール(朝のひかり)がノア・アルニハ(夜明けのひかり)、王子フセインがビーシャンガーに旅するというあたりが異なっているほか、王子たちが旅した都の豪華さや、王女の魅力にもくわしい。

 微妙な表現のちがいも参考になります。


アラビアンナイト

2012年10月02日 | 昔話(中近東)

        こぐま社/子どもに語るアラビアンナイト/2011年
        岩波書店/岩波少年文庫/アラビアン・ナイト/2001年新版
        講談社/青い鳥文庫 新編アラビアンナイト/2002年

 

 昔話や童話を読みはじめてから何十年ぶりかでアラビアンナイトを読んでみました。たしか中学生のころ読んだ記憶がありますが、1875年(明治8年)には日本でも翻訳されているというアラビアンナイトの雄大で奇想天外な面白さにあらためて引き込まれました。

 遠くに旅するという話はほかにも多くあるが、あくまで抽象的な世界にとどまっているのにたいし、アラビアンナイトでは、イラン、イラクや中国、インド、エジプトなど具体的な地名がでてきて大人にとっては壮大なイメージがわいてくる。

 「アリババと40人の盗賊」で話の後半に登場するモリジアナは、奴隷、使用人、召使という異なった訳があるが、奴隷制度は日本ではなじみがなく、こうしたことから召使などと訳されているという理解がなりたちそうである。

 原文に近いということでいえば、多分奴隷という表現になりそうであるが、大人が読む分には奴隷という表現のほうが、最後に息子の嫁になるいう結末に劇的な効果を生みそうだ。

 表題の訳が「アリババと、召し使いのモルジアナに殺された四十人の盗賊」、「アリ・ババと四十人の盗賊」、「アリ=ババと四十人の盗賊」といくつかにわかれている。

 アラビアンナイトには、「アラジンと魔法のランプ」「バグダットのゆうれい屋敷」など魔神、魔法使いといった登場人物がでてくる。

 日本では、妖精や精霊、魔女といったほかの国の話にでてくるものになじみが少ないが、昔にくらべで情報が多いなかで、世界のさまざまな国の昔話も受け入れが容易になっているのかもしれない。

 ついでに訳のことでいうと、絵本や語るというのを目的として出版されているものは、内容が大分簡略化されているので、一度は原文に近い訳を読んでおきたい。