どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

お茶つぼ道中・・京都

2022年06月30日 | 昔話(関西)

         京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 昔といっても江戸時代。大名行列がくると、道を歩いているものはもちろん、そばで農作業しているものも土下座して見送らなければならなかった時代。とちゅう、頭を上げたり、その行列を横切ったりしたら打ち首にされることも。

 宇治川にかかっている赤い宇治橋を物々しい行列がやってきた。みんな土下座をしていると、かごの中からいいにおい。うっすら目をあけてそっと見ていると、かごが揺れた瞬間に、みえたのが絹に包まれた茶つぼ。なんとお茶つぼ道中だったという話。

 宇治の茶は、全国一ええお茶というので、毎年新茶を江戸の将軍にとどけたという。このお茶つぼ道中には、大名行列も道を譲らなければならなかったという。

 

 京都らしいお話。


米だし地蔵・・京都

2022年06月29日 | 昔話(関西)

          京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 ひとりの男が用事がすんで帰る途中、頭から雪をかぶったお地蔵さんが寒そうにしているのをみて、背負って帰り、囲炉裏の火をぼうぼうに燃やし、火にあたらせます。

 まっかにもえる囲炉裏の火で、ぬくもりが家の中いっぱいにひろがり、おじぞうさんの顔もやさしい顔になりました。すると、どういうことか、お地蔵さんの口から、ぽろっとひとつぶ、白い米がこばれます。びっくりしてみていると、またぽろり、またぽろりと、米のつぶがこぼれでてきた。おかしなことに、家の人が一日食べられる量になるととまります。

 つぎの日も、次の日も米がぽろぽろ出てくるので、家のもんは両手をあわせて感謝していた。

 ところが人間というのは、だんだん欲が出てくる。お地蔵さんの口を、もっと大きくすると、たくさん米が出てくるんじゃないかと考え、金てこで、お地蔵さんの口を、ほじくって大きくすると・・・。

 

 いくら米を作っても、年貢米としておさめなければならなかった人々の嘆きにも、ふれられています。


比治山の天女・・京都

2022年06月26日 | 昔話(関西)

        京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 羽衣伝説ですが、後日談に特徴があります。

 比治山のすその村に住んでいた若い猟師の三右衛門が、山の池の木に、これまで見たこともないほど、すきとおっている衣をみつけ、うまいこと弓のはずに、ひっかけ家に戻ります。

 池で遊んでいた天女は、正直者で知られている三右衛門がまさか衣をもっていったとは信じられませんでしたが、まずは、三右衛門にあたってみるしかないと村へおりて、そのまま夫婦に。

 ややこが三つになったある日、天女は床柱に隠してあった羽衣を見つけ、書置きを残し天界へもどります。

 三右衛門は、書置きのとおりにして、天上にのぼりつきます。天女たちに歓迎され、なつかしのかかにもあえて、やれうれしやと思ったが、せっかくきてもする仕事がない。うり畑の番でもしてくれといわれるが、とって食うなといわてれていた。けれども、いいにおいにつられて、ひとつぐらいならと、うりを食べてしまう。ほっぺたが落ちるようなうまさに、いくつも食べていると、にわかな大水に、流されて気がついたら我が家に流れ着いていた。

 それを見ていた天女が「七日七日にあいたい」というが、とちゅうでとりついだアマノジャクが「七月七日にあうで」といったので、天女と三右衛門は、一年に一回だけ会うようになったという。

 三右衛門がながされた川は、いまでも天の川になって残っているという。

 

 子どもがどうなったかがでてこないのはご愛敬でしょうか。

 羽衣をかくしてある場所も。蔵、おひつ、ワラ束の中、畑の中、花の中、藪の中など昔話によっていろいろ。


大入道・・三重

2022年06月04日 | 昔話(関西)

          三重のむかし話/三重県小学校国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 毎年開かれる四日市祭りの、ろくろ首の大入道のいわれ。

 

 四日市の町に、商いをする人たちがすみついところの話。

 反物の商いをしている久六の店に、身の丈六尺もある大きな男が訪ねてきて、店で使ってくれという。久六が、小さい店で、若いもんを使ったこともないとことわるが、給金もいらないからといわれ店で使うことに。

 大男がきてからというもの、ふしぎなことに久六の店に反物を買う客が増えはじめた。売り上げもぐんぐんふえ、大男がきてから三年もすると町でも指折りの大きな店になった。

 久六が、うちの婿になって、この店を継いでくれるよう頼むと、婿になれるような男ではないとことわられる。

 そんなことのあった次の年の夏、寝苦しい夜更けに、大男の部屋の前を通ると、障子におおきなかげが。首が胴から長く伸びて、頭がゆらゆら。おまけに、行燈の油を、なめていた。あまりのことに、久六は、気を失ってその場に倒れてしまった。つぎの朝、大男の部屋にはだれもおらず、着物がきちんとたたんでおいてあるだけだった。

 

 四日市祭りの大入道は、どこへ行ったかわからん男の無事を祈ってつくられたのがはじまりという。

 地元の人でないと、楽しさが伝わらないかも。


奈良の早起き・・奈良

2022年04月17日 | 昔話(関西)

          奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年

 

 むかし、奈良のシカは神さまの使いやゆうて、えろう とうとい生き物。もしシカを殺しでもしたら「石子づめ」にされることになっていたという。「石子づめ」というのは、生きたまま土の中にうめられて、おまけに石をぎょうさんのせられるのやな。

 あるとき13になる男の子が、寺子屋で習字の稽古をしているとき、シカが習字の紙をムシャムシャ食べているのをみて、びっくりさせようと、文鎮を投げると、運悪くシカが倒れてしまい、生きたまま土の中にうめられてしもうた。こんなことがあるので奈良の人は、シカが死んでいるのを見たら、えらい怖がっていた。

 ある冬の寒い日、春日神社にいく参道のお店の前に、シカが死んでるやないか。びっくりしたお店の人は、これは大変と、シカをひっぱって隣の家の前に置いた。しばらくして、隣の人が起きだして店の戸を開けるとシカが死んでいたので、この人もえらいびっくりして、この人も隣の家の前にそのシカを置いた。その隣の人も、また隣の人もみんな同じようにした。

 それでいちばん遅くまでねている、ねぼうすけが目をさますと、その家のまえに死んだシカがいたので、役人がやってきて連れていかれたという。

 こんなことがあったので、むかしから奈良の人は、みんな早起きという。

 

 「死体」をたらいまわしにする話は外国にもありますが、結末はさまざま。


魔よけみそマメ・・兵庫

2022年04月08日 | 昔話(関西)

          兵庫のむかし話/兵庫県小学校国語教育連盟編/日本標準/1978年

 

 「食わず女房」に にていますが、細部で異なり、結末にも地域性があります。

 

 ある日、おじいさんの家に、女の巡礼がやってきて、一晩とめてくれるよういいます。一晩だけと思ってとめてやると、女はそのまま、おじいさんの家にいついてしまいます。

 おじいさんは、おばあさんを早く失って一人暮らし。

 女はこまめに働いてくれたのでよろこんでいましたが、みょうなことに気がつきます。米がどんどん減っていくのです。おじいさんが出かけてくるといって、家を出るふりをし、家の裏側で、隠れるようにまどからなかをのぞくと、腰をぬかさんばかりにびっくりしました。女の顔がそれはそれは恐ろしい顔にかわり、おおきなおひつにいっぱいはいっていた飯を、あっという間に平らげてしまったのです。

 あ、おそろしい! 「どないしたらええやろ。どないしたらええやろ」と思いながら、あてもなく歩き回ったが、夕やみがせまったので、しかたなく、おじいさんは家に帰り、女にどこかへいくように切り出しました。

 女は、おなごりおしゅうございます、長い間お世話になりましたといいながら「大きな袋がほしい」といいだします。おじいさんが袋をだすと、「おじいさん、この袋にはいってみてくれませんか」と、みょうなことをいいだします。

 女に、またいすわられたら困ると思ったおじいさんが、女の言う通り袋に入ると、女は袋の口を閉め、「こら、このじじいめ!わしの正体を見抜きよったな。山へ持ち帰って、お前の生き血をすうたる!」といって、袋を担いで走り出しました。

 道の途中で、女が小便しているとき、おじいさんが、もがくと、うまいことに口がほどけて、抜け出すことができたので、後ろも向かずに 逃げ出します。

 おじいさんがふもとの茶店まで逃げのびると、ちょうど茶店のあるじが、みそマメをたいて味をみていました。おじいさんは、あるじにたのんで、知らん顔をして、あるじとふたりでしゃべりながら、みそマメを食べていたところに、魔もの(女は魔ものだったのです)がやってきたが、おじいさんに気がつかず、「いない! いない!」と叫んで、別の方向へ駈けて行ってしまいます。

 

 このあたりで、みそマメを食べる風習がのこっているのは、こんな話があったという結末。


ケーン ケーン バタバタ・・兵庫

2021年11月08日 | 昔話(関西)

          兵庫のむかし話/兵庫県小学校国語教育連盟/日本標準/1978年

 

 あれっ?とおもうタイトル。昔話のタイトルは誰がつけたものでしょうか。

 

 山へしばかりに行ったじいさまが、木陰で一休みし竹筒のお茶を飲もうとすると、キジがやってきて「ケーン ケーン バタバタ ばあばのはらにくっつきたい」と、なんども鳴きます。

 じいさまが、ばあさまにその話をすると、ばあさまはげらげらわらって、「そりゃおもしろい。あしたの朝は山につれていってそのキジの声をきかせてくれ」と言うた。

 きのういたあたりまでいくと、バタバタと羽音がして「ケーン ケーン バタバタ ばあばのはらにくっつきたい」という声。

 ばあさまがうなずいて、おもいっきり大きな声で、「くっつきたけりゃくっつけ」と、わめくと、ばあさまのはらがずしんと重とうなった。重くてとても歩けなくたおれてしまったばあさまが、「何がひっついているかみてくれ」と、帯をとくと、びっくりぎょうてん、大判小判がざくざくおちてきて、腰が抜けてしもうたそうや。

 この話を聞いたとなりのよくのふかいじいさまとばあさまが、山へのぼっていき、帯をとくと、ばあさまのはらからおちてきたのは、岩のカケラやいしころばっかりやったそうじゃ。

 

 大判小判を手にしたじいさまは、山にいくと、キジに、にぎりめしを やっていたので、その見返りでした。じいさまはキジの声を聞いてバタバタしますが、ばあさまの方は面白いと肝が据わっています。


おみその長者・・兵庫

2021年11月06日 | 昔話(関西)

          兵庫のむかし話/兵庫県小学校国語教育連盟/日本標準/1978年

 

 じじさま、ばばさまたちは、わらじを作って暮らしをしていましたが、元日をひかえて、神様にそなえるお米もありません。お米を貸してもらおうと、上の長者のところにいくと「うまごやのくそでももっていけ」といわれ、下の長者のところにいくと「牛小屋の、くそでも、もっていけ」といわれ相手にしてくれません。しかたなく菜っ葉づけを、神様にそなえます。

 その夜遅く、トントンとをたたく旅の坊さまがありました。じじさま、ばばさまが旅の坊さんをとめると、あくる朝坊さんは、帰りぎわに じいさまたちの家の庭の古がめに、何か一心に祈りごとをしていました。

 あとになって、じじさまたちが古がめをのぞくと、そこにはおいしそうな味噌がつまっていました。その味噌は、とってもとってもなくならりません。おかげで、じじさまとばばさまは。この味噌を売って、大金持ちに。

 

 大みそかから元日にかけての昔話には、これと にた話がおおいのですが、味噌というのは、これまであまりありませんでした。


姉と妹・・奈良

2021年09月22日 | 昔話(関西)

          奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年

 

 姉は長者のよめ、妹は貧乏な炭焼きの家のよめ。

 妹の方は、正月だといっても、もちつく金もないので、門松きってきて、姉のところにでかけました。

 姉は門松はもうこうて、正月の準備でいそがしいと、取り合いません。

 妹はしょうがないので、川の神さんに門松をあげようと川に放り込みます。すると、川の中から神さんのつかいというカメがのそのそでてきて、ネコをくれます。そのネコは金のくそをして、びんぼな妹は、だんだん金がたまってきました。

 その話を聞いた姉が、ネコをかりだし、飯ようけくわしたら、ようけ金のくそをするにちがいないと、ようけ飯食わせます。ところがネコは死んでしまいます。

 妹が死んだネコを裏山にほうむると、墓のところに木が一本はえてきて、だんだん大きくなると、その木に金の実がなり、妹は一生安楽に暮らし、姉の家はだんだんびんぼになってしもうたんやとい。

 

 昔話の定番です。願望が反映したものでしょうか。


スズメじる・・奈良

2021年09月16日 | 昔話(関西)

            奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年

 

 都道府県別に出版されている日本標準のシリーズは、出版から50年弱。このシリーズには話者、再話者のお名前がのせられています。

 タイトルからはイメージできませんが「鳥呑み爺」に にています。

 おじいさんが山へしばかりにいって、しょんべんしているとチンポのさきにスズメがとまりました。おじいさんはスズメをつかまえ、おばあさんにスズメじるをつくってといって、また山へでかけました。

 おばあさんがスズメじるをつくって味見をすると、これがとまらない。一ぱい 二はい味見しているうちに、しるをすっかり すすってしまいます。

 すると おばあさんのしりから「シュシューガラガラ シュシュポン」と おもしろいへーが。

 おじいさんが山からかえると、おばあさんはスズメじるを みなすってしまったら みょうなへがでてきたことを はなします。するとまた「シュシューガラガラ シュシュポン シュシューガラガラ シュシュポン」と、なんぼでもでてきます。お殿さまによばれて、へをこくと、おとのさまはおおよろこび。ほうびをたんともらって かえります。

 話を聞いた となりのよくばりばあさんが「わしも、へこいて、ほうびもらたろ。」と、たらいに水をくんで、そのなかへ一日中尻をつけて、お殿さまのところへでかけます。ところが・・・。

 

 「スズメじる」というのもはじめてですが、どんな味? 話者の方は、女性の方ですが、どんなところで話されたのでしょうか。


空神さまと万作さん‥和歌山

2021年08月29日 | 昔話(関西)

         和歌山のむかし話/和歌山県小学校国語部会編/日本標準/1977年

 

 夏のある日、万作さんという男が、おかみさんと喧嘩してついと家を出た。すると白い衣を着た山伏すがたのもんが手招きする。なにかおもしろいことがないかと山伏もんの誘いにのって、背中におわれると、そんまま地上を離れ、空へ。

 大きな木の上に降りると、そこから見える村では、人形芝居の楽屋の準備。万作さんが見物したいというが、山伏はまだ日が高いからと、山伏たちが酒を飲んだり、歌ったり踊ったりしている場所へつれていきます。万作さんも思いっきり飲ましてもらい、いい気分になったところで、眠ってしまいます。

 どのくらいたったかわからんとき、ふと目をあけた万作さんのまえには、おくさんが。

 二日も何をしていたかとやかましく言われた万作さんは、山伏の言葉を思い出し、口をつぐみます。山伏から他言するなといわれていました。

 それからも、おかみさんがガミガミやかましく言い出すと、黙っとることにした万作。おかみさんはおかみさんで、いくらいうても万作がすぐだまるので、つまらんようになって、あんまりいわなくなってしまいます。

 

 夫婦の関係も微妙で、何か言われても黙ると、文句を言う方もいつか文句を言わないようになります。空神さまが、かわったいたずらをしました。万作さんの得難い体験でした。


サル手の嘉右衛門‥和歌山

2021年08月27日 | 昔話(関西)

          和歌山のむかし話/和歌山県小学校国語部会編/日本標準/1977年

 

 柿の皮をむくのに、柿を一つほりあげといて、それが落ちてこん間に別の柿をむいたうえ、落ちてくる柿を受け止めたという器用な男。ついたあだながサル手の嘉右衛門。

 あるとき嘉右衛門の家の藁ぶきをふきかえることになって、近所の男たちが手伝いに集まってきた。ところがふきかえにつかう縄がどこにもない。すると嘉右衛門は「これからなうから」といって、どんどん縄をないはじめます。手伝いの人が、小半日もかかって屋根の古藁をはぎ終わって、屋根からおりてくると、嘉右衛門はふきかえようの縄をないおわっていて、みんなあきれてしまいます。

 あるとき、おかゆをたこうとおもったが米がない。嘉右衛門は湯をわかしておいてから、裏山でしゅろの皮を百枚ほどはいで、それを一枚一枚ひろげてたばね、市場にもっていって売って、その金で米を買い込んで帰ってくると、さっきしかけた湯が、ちょうどよい加減に煮えていたという。

 

 そんなことが?と思う間もなく話が続いていくというのが、昔話の面白いところです。


うどんの字・・和歌山

2021年08月24日 | 昔話(関西)

          和歌山のむかし話/和歌山県小学校国語部会編/日本標準/1977年

 

 村の一軒のうどん屋がお寺の和尚さんに頼んで「うどん」という字を書いてもらい、あんどんに貼り付けていた。

 旅の男が、あんどんの字をみて、五円で売ってくれともちかけた。五円というと米一升かえる額。うどん屋は喜んで、あんどんの紙をはがして売ることに。

 あじをしめたうどん屋が、和尚さんのところにでかけ、もう一度字を書いてくれるよう頼みこむと、おくへはいった和尚さんは「うどん」「うどん」と、下書きした何百枚もの紙をかかえてきて「これ見よ」と、うどん屋の前に投げ出します。

 

 オチがわかりにくい話ですが、和尚さんがうどん屋にわたした「うどん」という文字は、何百枚もの下書きの中で、一番できのよかったものでした。二匹目のドジョウはいないと いいたかったのかも。買った旅の男が何者かも気になるところ。


こおった声・・京都

2017年05月09日 | 昔話(関西)

         こおった声/日本の昔話 下/稲田浩二・編/ちくま学芸文庫/1999年


 昔話の数について星の数ほどと表現した方がいましたが、星の数ほどでもなくても、まだまだいろいろなタイプの話がありそうです。

 大雪で出入りができず、隣の家と竹の筒で話をしていたが、いつのまにかそれもできんようになった。

 春がきて、話が聞こえてきたが、どうもおかしい。冬の間凍っておった声が、あたたかくなって、声が溶けて聞こえてきたんだと。

 短い話ですが、春の訪れを感じさせてくれる昔話です。


千千三本・・大阪

2016年11月07日 | 昔話(関西)

     子どもに贈る昔ばなし6/再話・和歌山昔ばなし大学再話コース 監修・小澤俊夫 /小澤俊昔ばなし研究所/2006年)


 三人兄弟の末っ子が、三文のお金をもって、世の中にでていき、途中、子どもにいじめられていたせみとさるを助け、さらに泊めてもらった家の蚊に、血を吸わせます。

 弟は町に出て、ある家で働くことに。

 一生懸命働いた若者が気にいっただんなさんは、娘の婿にしたらええなと、ふさわしいかためしてみることにします。

 「わしがたばこ三ふくすう間に、うらの柿の木が何本あるか数えてこい」
 「わしがたばこ三ふくすう間に、うらの柿を全部ちぎってこい」

 せみが、柿の木の本数を、さるが柿を全部ちぎって弟を助けます。

 外国の昔話にはよくあるパターンです。前段で助けたものから、助けられるのですが、日本の昔話では、浦島太郎のように、助けるものが一つというのはあるのですが、三つというのは意外と少ないようです。

 蚊の出番は、三人の娘から、だんなさんの娘を当てるというもの。

 柿とせみという組み合わせは、季節がマッチしませんし、蚊ではなく、ほかのものがふさわしいようです。