どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

すこしひっかかる昔話

2015年02月07日 | いろいろ
 好き嫌いとはちがって、ややどこかひっかかる話。
 ひっかかりかたも人によっていろいろあるようです。

 ”殺す、殺される”話をしないというのは、その人のポリシーで納得できるもの。

・エパミナンダス
 ストーリーテリングのなかでは欠かせない話のようですが・・・・。

 まぬけな子が失敗を繰り返し、笑いをさそいます。しかし、最後まで救いがなく好きになれない一つ。
 まぬけ、ばかといったキャラクターの人物がでてきても、最後の部分で何かしらの救いがあると納得できますが、エパミナンダスには、こうしたものがなく、なにか好きになれない思いが残ります。
 創作にかぎらず、物語の中にはなんらかのメッセージが感じられるはずですが・・・・。

 この子の立場からすると、とてもみじめなものを感じます。そして、こどもに「あたまがないね」という母親。こどもことを何一つわかっていないのも困りものです。

 この話は多くの方が話されていて、子どもたちの反応がいいのでよしとされているようですが、子どもの笑いだけで選んでいいものでしょうか。
 
 話される方は、障がい者やそうした子をもつ親から受け入れられる自信があるでしょうか・・?。


・ジャックと豆のつる
 ジャックが3度も人食い鬼のところに”盗み”にはいるところに抵抗があると言った人がいました。そういわれれば、二度目に金の卵をうむめんどりを手に入れていますので、3度目は”盗み”の必要がないところ。
 しかし、二度目が物質的欲求を、三度目はハープで文化的欲求を満たすと考えれば、話の完成度の点ではやはりほしい場面でしょうか。

・部屋の起こり
 大変な屁こきよめが、あまりにひどい屁をしたので、里にかえることになりますが、途中、ナシの実を落とせるかかけをし、屁のいきおいでナシの実をおとし、一財産手に入れると再びもとにもどる。

 話を聞いて個人的には単純に面白いと大笑いしましたが、藤田浩子さんのコメントでは、よめの人権が無視されているようで、後半部は、語る気にならないといいます。
 こういうこだわりもあるのかと考えさせられました。

 また”嫁”という漢字は、女と家がついていて、使う気になれないという指摘も考えさせられるところです。自分でも知らずに使っているかもしれません。気がついたものは直していきます。

すずをならすのはだれ

2015年02月07日 | 安房直子

 

    安房直子・作 葉 祥明・絵/PHP研究所/1978年初版 1978年初出


 単行本で字が大きく、自分にとってはぴったり。
 小学校1~3年向きとありますが・・・大人のほうが楽しめると思います。

 安房さんの特徴の一つは季節感。2月に読みたい童話。

 「北風は、高い空で、ぎんのトランペットをふきならし、森の木が、ひくい声でごうごうと 歌っていました」とはじまります。

 森は一面の銀世界。そこにポツンとたっている一軒の家。

 買い物に行くウサギ、おなかをすかせたタヌキ、みちにまよったネズミ、のどのかわいたシカ、かなしくてたまらないキツネ、足にけがをしたイノシシが次々と、この家の鈴をならします。

 家のなかからは、歌声がして、動物がふえるにしたがって、歌声はだんだんおおきくなります。

 何の歌?

 雪のしたにねむっている花のたねや草のたねをはげます歌です。たねたちはふうと大きないきをついて、元気をとりもどし、雪のとける日をしずかにまちます。

 やがて、とびらのすずをならしたのは春一番の春風。

 福寿草が咲き、スイトピー、れんげ、すみれが咲き、すずらんが森いっぱいに咲きます。

 この家には春の精が住んでいるのでした。
 
 幻想的で、森が花でおおわれた風景が目に浮かぶようです。

 しかし、春の命のめぶきもきびしい冬があればこそです。