東京のむかし話東京むかし話の会編日本標準1970年
「むかし、中野というところは、字のとおりに、野原の真ん中だった。」とはじまるので、中野区の話でしょうか。
タヌキやキツネが、ひとびととなかよくくらしていたころ。のっぱらの、真ん中にひとりの旅の坊さんが粗末な小屋を建てて住みついた。このあたりは、まるで寂しいところで、人かげはめったに見られない。坊さんは、ときどき「こうまでだれともあえんとは、さびしいことだ」といいながら暮らしていた。
あるとき、坊さんのところへキツネがやってくるようになり、何年かぶりで生きものに出会った坊さんは、うれしくなって、じぶんのたべものを たべさせてやったりしていた。やがて、寒い夜など、坊さんが火をたくと、そのそばまでやってきて、手足をのばせるだけのばしてあったまって、ぐっすりと眠り、朝になるとかえっていた。
あるとき、坊さんが、どうしても町へでかけなければならん用ができた。その日、とっぷりと日がくれ、夜道をかえってくると、じぶんの小屋からあかりがもれている。「これは、どうしたことだ。」と、小屋にはいってみると、キツネがちゃんとなかにいて、火を焚いて、湯までわかして、坊さんをまっていてくれた。
ある冬、雪がしゃんしゃんふりつもる夜、トントントンと、戸をたたくものがある。戸の外にはキツネが、なにやら小さなふくろをかかえていた。「おお、つめたかろう。はいれ、はいれ、はいって火にあたれ。」ふくろのなかにはアズキと米がはいっていて、坊さんとキツネは、かゆをにて、あついかゆをふうふういいなっがらすすった。その夜、坊さんとキツネは、ひとつふとんにくるまってねた。ふとんのなかでキツネは、「坊さん、坊さん。こんなにしんせつにしてもらってありがたい。いままでの恩返しに、なにかしてあげたいが、おれにできることがあったらいうてみい。」といった。
坊さんが、「そうじゃなあ。わしのように世を捨てたものにゃあー、何も望みはないが、暑い日にはすずしい風がほしいし、すこしさむい日にゃあ、あったかいおてんとさまの光がほしいのう。」というと、キツネは、「それは天がやることで、キツネができるもんじゃない。ほかには。」というた。そこで、坊さんは、「そうじゃなあ。ま、この小屋が火事にあわんように。それから、飲み水は、夏は冷たく、冬はぬるくしてほしいのう。そうなれば、わしらのような年寄りは、朝晩水をつかうときにたすかるわい」というた。「そうかい。それぐらいならできんこともないな。」キツネは、そういうた。
それからというものは、中野では、どこのわき水も、夏は手がしびれるくらい冷たくて、冬は、ゆげがたつほどぬるくなり、火事もあんまりでないそうだ。
昔話には珍しく、高望みがなくほっとする話。恩返しではなく、キツネが坊さんにつくす話。