月はどうしてできたか/ジェームズ・リーブズ・作 エドワード・アーディゾーニ・絵 矢川 澄子・訳/評論社/1979年
「グリム童話より」とあります。グリムの昔話もいわば再話ですが、再々話です。
昔、月がなかったころの話。
夜になると真っ暗で、あとはもう、さっさとねるだけのエクスのまちの四人兄弟がワイの町にでかけました。
ところがワイの町は、夜になってもエクスのようにくらくありません。よく見ると木の上にあかりがありました。
この町の男を呼び止めてたずねると、市長が2ポンドで買ってきて、カシの木にぶらさげたといいます。この男は月に油をさし掃除をするため、月に10ペンス市長にはらっているといいます。
町ではまた別のものをかえばいいという理屈で、四人兄弟は月をいただいて(盗むという感覚はなさそうです)エクスの町へもどります。
エクスの町は、夜になっても明るいので大喜び。月は掃除し、油をいれなければならず、町の人は週に10ペンスづつ、四人に払います。
ところが一番上の兄がなくなるとき、月の四分の一は、おれのものだと、お墓に持っていくことになります。
市長が木に登って四分の一を、お棺にいれてやります。
二番目の兄がなくなるときも、月の四分の一はおれのものだといい、お棺にいれてやります。
三番目、四番目のときもおなじようにすると、エクスの人びとは、また暗闇です。
一方、地面の下では月は一つになって、明るくなって、死人たちはおどろきます。お墓から出てきて飲めや歌えの大騒ぎ。そのうちついつい飲みすぎて、けんかが始まり、こん棒をもちだして殴り合い。この騒ぎは天国までとどきます。
天国のご門番、聖者ピーターが、ものおとをききつけて、いくさでもはじまったのかと思い、天の軍勢を呼び集めます。ところが軍勢がなかなかあつまってこないので、業を煮やした聖者ピーターは、天国の門をとびだし、かみなりのような声で死人たちに、「おとなしくお墓にもどれ」といいわたし、さわぎの原因になった月をかつぎあげ、天の高みにぶらさげてしまいます。
お金も払わず、月の恩恵をうけているのは、聖者ピーターのおかげだったのです。
天の月が、あまねく地上を照らすようになったのは、四人兄弟が地下へ月をもっていった結果でもありました。
ところで四人兄弟ですが、上からアルン(としより)、ボーア(おとなしい)、キャス(やりて)、ドール(ずる)という意味ありげな名前ですが、それぞれの特徴が生きていないのが残念です。
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