どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ゆきみち

2015年02月09日 | 絵本(日本)
ゆきみち  

    ゆきみち/梅田俊作・佳子・さく/ほるぷ出版/1986年初版

 

 ハチにさされた”ぼく”に
 ”うんと なくがええ、うんと ないて おぼえて おくんじゃよ”

 たんぼの草刈をしているおばあちゃんたちに、冷たい麦茶を運んであげる途中で麦茶をこぼしてしまい、くやしくて大声で泣いている”ぼく”に

 ”おうおう、きばって ここまで きたのになあ。うんと なけ、きがすむまで なくがええ”
 と、おばあちゃんはやさしい。
 ともすれば、 ”男でしょ”といいたくなるところ。

 お母さんに、あかちゃんがうまれ、吹雪の中を、お父さんとおばあちゃんの家に向かう”ぼく”。

 ほとんどが雪の場面で、雪にかくれてしまいそうな”ぼく”とおとうさん。
 はじめは、お父さんの足あとハンコのあとをおいかけていきますが、そのハンコも猛吹雪のなかでみえなくなりますが・・・・。

 雪の冬と、春、夏、秋の場面が対照的です。

 バスには車掌さんがのっていますから、少し前の時代。                    


すこしひっかかる昔話

2015年02月07日 | いろいろ
 好き嫌いとはちがって、ややどこかひっかかる話。
 ひっかかりかたも人によっていろいろあるようです。

 ”殺す、殺される”話をしないというのは、その人のポリシーで納得できるもの。

・エパミナンダス
 ストーリーテリングのなかでは欠かせない話のようですが・・・・。

 まぬけな子が失敗を繰り返し、笑いをさそいます。しかし、最後まで救いがなく好きになれない一つ。
 まぬけ、ばかといったキャラクターの人物がでてきても、最後の部分で何かしらの救いがあると納得できますが、エパミナンダスには、こうしたものがなく、なにか好きになれない思いが残ります。
 創作にかぎらず、物語の中にはなんらかのメッセージが感じられるはずですが・・・・。

 この子の立場からすると、とてもみじめなものを感じます。そして、こどもに「あたまがないね」という母親。こどもことを何一つわかっていないのも困りものです。

 この話は多くの方が話されていて、子どもたちの反応がいいのでよしとされているようですが、子どもの笑いだけで選んでいいものでしょうか。
 
 話される方は、障がい者やそうした子をもつ親から受け入れられる自信があるでしょうか・・?。


・ジャックと豆のつる
 ジャックが3度も人食い鬼のところに”盗み”にはいるところに抵抗があると言った人がいました。そういわれれば、二度目に金の卵をうむめんどりを手に入れていますので、3度目は”盗み”の必要がないところ。
 しかし、二度目が物質的欲求を、三度目はハープで文化的欲求を満たすと考えれば、話の完成度の点ではやはりほしい場面でしょうか。

・部屋の起こり
 大変な屁こきよめが、あまりにひどい屁をしたので、里にかえることになりますが、途中、ナシの実を落とせるかかけをし、屁のいきおいでナシの実をおとし、一財産手に入れると再びもとにもどる。

 話を聞いて個人的には単純に面白いと大笑いしましたが、藤田浩子さんのコメントでは、よめの人権が無視されているようで、後半部は、語る気にならないといいます。
 こういうこだわりもあるのかと考えさせられました。

 また”嫁”という漢字は、女と家がついていて、使う気になれないという指摘も考えさせられるところです。自分でも知らずに使っているかもしれません。気がついたものは直していきます。

すずをならすのはだれ

2015年02月07日 | 安房直子

 

    安房直子・作 葉 祥明・絵/PHP研究所/1978年初版 1978年初出


 単行本で字が大きく、自分にとってはぴったり。
 小学校1~3年向きとありますが・・・大人のほうが楽しめると思います。

 安房さんの特徴の一つは季節感。2月に読みたい童話。

 「北風は、高い空で、ぎんのトランペットをふきならし、森の木が、ひくい声でごうごうと 歌っていました」とはじまります。

 森は一面の銀世界。そこにポツンとたっている一軒の家。

 買い物に行くウサギ、おなかをすかせたタヌキ、みちにまよったネズミ、のどのかわいたシカ、かなしくてたまらないキツネ、足にけがをしたイノシシが次々と、この家の鈴をならします。

 家のなかからは、歌声がして、動物がふえるにしたがって、歌声はだんだんおおきくなります。

 何の歌?

 雪のしたにねむっている花のたねや草のたねをはげます歌です。たねたちはふうと大きないきをついて、元気をとりもどし、雪のとける日をしずかにまちます。

 やがて、とびらのすずをならしたのは春一番の春風。

 福寿草が咲き、スイトピー、れんげ、すみれが咲き、すずらんが森いっぱいに咲きます。

 この家には春の精が住んでいるのでした。
 
 幻想的で、森が花でおおわれた風景が目に浮かぶようです。

 しかし、春の命のめぶきもきびしい冬があればこそです。


子どもが捨てられる?

2015年02月04日 | 昔話あれこれ

 これまで聞いたお話し会のプログラムを見ると、「屋根がチーズでできた家」はありますが、同じ話型の「ヘンゼルとグレーテル」はほとんどありません。「ヘンゼルとグレーテル」がだいぶ長いというだけでなく、親が子を捨てるので、女性の語り手は取り上げにくいのかも知れません。

 しかし「屋根がチーズでできた家」も、親が兄と妹を森においやるので、実は子を捨てるという意味がありそうです。

 また、「白雪姫」の初版では、実母が白雪姫を殺そうとします。衝撃をやわらげるため、継母に変更されたようですが原型は初版のほう。

 このほかにも、捨てられるところからはじまる昔話があります。これは、当時の社会状況を反映しているようで、生活ができなくなったとき、子どもを捨てる行為は、生き延びるためのやむを得ない選択のようだった。

 キリスト教の影響で堕胎や中絶、子殺しをするのではなく、産んでから捨てるということがあったようで、西欧では中世の早い段階から孤児院や養育院が各都市に建てられていたといいます。

 *世界の人口推計によると(単位:億)
   西暦元年   2~4
   1650年  4.7~5.4
   1750年  6.3~9.6
   1800年  8.1~11
   1900年 15.5~17.6
   2000年 60

 いま親しんでいる昔話は、グリム兄弟やペローによるところが大きいが、グリム兄は1785年、ペローは1628年の生まれで、当時収集された昔話は、千数百年のあいだ、それほど人口が増えていない時代のもの。

 しかし、19世紀に入ると人口は飛躍的にのびることになりました。
 農業革命により、食糧生産が大幅にのびたことが背景にありますが、この時期での昔話は、当然以前のものと違ったものになる。


ボタ山であそんだころ

2015年02月03日 | 絵本(日本)
ボタ山であそんだころ  

    ボタ山であそんだころ/石川 えりこ さく・え/福音館書店/2014年初版

 

 日本のエネルギーのほとんどは外国からの輸入。

 しかしちょっと前までは石炭という重要なエネルギーがありました。経済的な理由から衰退してしまった炭鉱。
 個人的には大きな炭鉱事故で人命が失われたニュースの記憶もあります。
 
 ”「わたし」のうまれた町には、炭鉱がありました”とあるので、作者が育った町の風景が反映しているのかもしれません。

 「わたし」は、友達のけいこちゃんと、ボタ山で遊んだり、石炭をあらった黒く細かいどろのまじった黒い川を飛び越えたりして遊んでいました。
 ところが、ある日、炭坑のサイレンが鳴り響きます。
 授業中のけいこちゃんは、先生から名前をよばれ、いそいで家にかえります。
 ガス爆発が起きて、昭和40年6月1日に237人の炭鉱夫が亡くなったのです。

 炭鉱で栄えた町が、いまどんなふうになっているのでしょうか。
 夕張市が破たん状態からどんな道を歩んでいるのでしょうか。

 木炭画(?)のおさえた色調が炭鉱のイメージをあらわしていますが、ピンクの定規の色が印象的です。

 見返しには、多分こどもたちが寝そべっているかのように、ひざ下の足だけが並んでいます。 

 ニュースになっても、何年かたつと忘れてしまいがちですが、自分が生きてきた時代を、あらためて見直すきっかけになりました。


粉ひき屋

2015年02月02日 | 昔話あれこれ

 「長靴をはいた猫」は、粉ひき屋の父親が亡くなって遺された三人兄弟が、「ブレーメンの音楽隊」では、粉ひき屋のところで飼われていたロバが 出だしにでてくる。

 粉ひきは、今でいう製粉業。

 西欧では主食のパンを作るために欠かせないものだが、この粉ひきにかかせないのが動力の水車小屋と運搬手段のロバ。

 もうひとつ、かかせないのがネズミの害を防ぐためのネコ。当時の人々は食料をネズミの害からまもるためにたいへん苦労したようなのでネコは必要不可欠の存在。でもこのネコがフランスやドイツの一般家庭で飼われるようになるのは、14世紀以降という。

 ネズミの害に悩まされている国に、ネコをもっていて富を得るという昔話もネコが一般家庭で飼われるようになった時代を踏まえるとわかりやすい。

 この粉ひき屋、中世では特権的な地位にあったようで、領主から許可をうけ、製粉代をおさめるとともに、一般の農民には許されていない河川での漁業権や森林の伐採権、さらには居酒屋の伐採権、パン焼権、ビールの醸造権といた特権のほか、果樹園や菜園、牧草地、放牧地、耕地も有していたというから他の農民からこころよく思われないのは当然か。

 「長靴をはいた猫」で、ネコが獲物をとらえて王さまに献上できるのは、こうした背景もあるのではないかといわれると、なるほどどとうなずける。

 昔話の歴史的背景が理解できると、もっと楽しくなりそうである。


「水を運ぶ少女」の舞台

2015年02月01日 | ちょっと遠出
 近くにありながら、足が遠かった丸木美術館。

 原爆の図があるというのは、もちろん知っていたのですが、なんとなくこわさのようなものもあって、避けていました。

 しかし、この正月、地元の方が書いた「水を運ぶ少女」を読んで、背中をおされるようにいってみました。

 2階の展示室全部をしめている想像以上に大きな絵。

 一部から15部のなかで、常設展示されているのは第14部まで。
  それぞれ、幽霊、水、火、虹、少年少女、竹やぶ、原子野、救出、母子像、とうろう流し、焼津、米軍捕虜、ガラス、署名と題されています。

 (美術館のHPでそれぞれの作品がご覧になれます)

 さらに忘れてならないのは朝鮮人の被爆者。

 平和教育の一環でしょうか、中学生のメッセージが展示されていました。

 美術館にいってみて、作者の思いが少しはわかるような気がしました。

 丸木美術館



    「水を運ぶ少女」にでてくる美術館そばの都幾川