しあわせなおうじ/オスカー・ワイルド・原作 間所 ひさこ・文 こみね ゆら・絵/フレーベル館/2016年
町を見下ろす丸い柱の上に、しあわせな王子の像がたっていました。
王子の体は、金でおおわれ、目には青いサファイヤ、腰に下げた剣のつかには赤いルビーがはめこまれ、町の人は「おうじさまは、なんて うつくしいのだろう!」と、町のひとたちはいつもいうのでした。
ある秋の日、仲間とはぐれ、ひとりぼっちで南にむかう一羽のつばめが、王子の足元にとまります。
ここで一晩眠ろうと思ったつばめでしたが、つめたいみずのしずくに、王子の目にあふれた涙に気がつきます。
なぜ、ないているの?というつばめに、
「まちの ひとたちの なやみが よく みえるので、なかずには いられないのだ。」という王子。
つばめは、心をいためる王子から頼まれ、病気の男の子のところへ剣のルビーを、食料を買うお金もない屋根裏の貧しい若者へ目の青いサファイヤを、マッチを溝におとして困惑している少女に、もう片方のサファイヤをとどけます。
はじめはすぐに南に旅立つつもりだったつばめでしたが、王子からたのまれて、贈り物を届けつづけるつばめ。そして王子の体をおおっている金もまずしいひとたちに、わけてあげます。
やがてゆきがふりこごえそうな日に、つばめは、息を引き取り、みすぼらしくなった王子の像は、町の人たちから、引き下ろされてしまいます。
けれども、つばめのなきがらと溶けずに残った王子の心臓がごみのやまに投げ捨てられたその晩にまっていたのは?・・・。
タイトルから想像したものとは全く内容がことなっていました。
もの悲しいのですが、物語らしいラストで救われます。
自己犠牲、無償の愛というのは、苦手ですが、それでもやっぱりホロリとさせられます。
たまたま井村君江訳(オスカー・ワイルド童話集 幸福の王子/偕成社文庫/1989年)を読んだ後で、みつけた絵本ですが、大分短くなっています。
かずのほん/作・絵:まつい のりこ:文・絵 遠山啓・監修/福音館書店/1972年
”数”を認識するのは何がきっかけでしょうか。
おなじみの動物や鳥などを対比することで、自然に”数”という概念がはいってくるような作りです。
「数をおぼえよう」と身構えるのではなく、会話を交わしながら、一緒に数えたりしながら自然に身に着いたら一番のように思います。
家の窓がどんどん増えていくのも楽しい絵本です。
アリからみると/作:桑原隆一 写真:栗林 慧/福音館書店/2004年
アリの目線で見た昆虫の写真ですが、恐竜や怪物にみえる昆虫たちです。
アングルは想像つきますが、どうしてこんなに迫力のある写真が撮れたのか、びっくり。
ショウリョウバッタ、トノサマバッタ、アマガエル、イナゴなどなど。
からだのすみずみまではっきりと見えます。
クワカミキリの角の長さにもびっくりです。
小さなアリも、自分より何倍もあるミミズを運んだりしていますから、小さいだけでなさそうです。
なんでももじもじ/第日本タイポ組合・作/こどものとも/福音館書店/2017年2月号
大日本タイポ組合とは聞きなれないが、どうも駄洒落文字作家のグループらしい。
次から次へと豊かな発想に驚かされる絵本。
この絵本もびっくり。
たろうの顔は、「た ろ う」の文字
はなこの顔は、「は な こ」の文字
いぬも、ねこも
けしきも
動物も
ライオンも、ペンギンも
さるも
ばったも
でてくるものが、名前にちなんだ文字であらわされる不思議さ。
たろうもはなこも宇宙まで。
文字の学習も、こんなところから入っていけるなら、本当に楽しそうです。
ピーナッツなんきんまめらっかせい/こうやすすむ・文 中島 睦子・絵/福音館書店/1987年
いつも大根やゴボウ、ニンジンなどを種から育てていますが、いまさらながら自然の仕組みに驚きです。 あんな小さな種が、植えてからⅠ週間ほどで芽をだすのには感動です。
落花生も不思議です。花が土の中にのびて、落花生ができるなんて。
漢字というのは実にうまくできています。花が落ちて生きるのですから・・・。
この絵本を見たら、ぜひ育ててみたいと思うことまちがいありません。
あまり肥料もいらず、大きめのプランタンでも十分に楽しめそうです。
昨日は、家庭菜園の落花生の最後の収穫でした。
3年前、次の年用の落花生を残しておかず、かろうじて土の中に残っていた落花生で再チャレンジ。今年はまあまあのできでした。
読み聞かせでも好評のようです。
ところで、落花生・なんきんまめ・ピーナッツの違いを説明できるでしょうか?。
ペトロニーユと120ぴきのこどもたち/クロード・ポンティ:作・絵 やまわき ゆりこ・訳/福音館書店/2009年
見開きに、ねずみが120匹? フランスのわらべ歌「みどりのねずみ」が。裏の見返しには、これもフランス語で「へいのうえの めんどり」
でだしからあっとさせられます。
朝、こどもたちが飛びつくのは、吸い口がいっぱいの哺乳瓶。
ペトロニーユは120ぴきのねずみのお母さん。
ごはんがすんだら、こどもたちは絵をかいて、エベレストにいるお父さんにおくります。
絵はどうやっておくったのでしょうか。
やがて、買い物に出かけたペトロニーユでしたが、怪物にあったり、人間につかまってエスカルゴにされそうになり、逃げ出します。
ところが、迷路にまぎれこみ、なにがなんだかわからなくなったペトロニーユでしたが。
怪物にとらわれ、チョコレートがけにしてたべられそうになったこどもたちを助けるべく、郵便で到着したお父さんとバテイーねえさんと一緒に怪物を退治して・・・。
怪物を退治したところでおわるかと思いきや、まだまだ続いていきます。
ひよこのはしご、めんどりの羽根が大きな花になったり、雨がカーテンになったりと、何か不思議な展開で、でてくるものも、これまで見たことのないものばかり。
ユニークなキャラクターがいっぱいです。
ぴったりこん/ちいさなかがくのとも/小野寺悦子・文 池谷陽子・絵/福音館書店/2016年3月号
腕で大きな輪っかをつくって、指先がついたら、それが僕の「ぴったりこん」。
男の子は、ぴったりこんのものを探して、
おもちゃ箱、地球儀、クッキー缶、かぼちゃ、キャベツや飼い犬など色々なものに抱きつきますが、ぴったりこんのものは、なかなか見つかりません。
電柱や標識もいまいち。
転がってきたボールをかかえてみると、ぴったりこん!です。
木もお母さんもぴったりこん!です。
何気ない風景の一コマです。
山からきたふたご スマントリとスコスロノ/乾 千恵・再話 早川 純子・絵 松本亮・監修/福音館書店/2009年
インドネシア・ジャワ島に古くから伝わる影絵芝居ワヤン。
ワヤンは、結婚式や誕生日などのお祝いや儀礼の場で、「魔よけ」として一晩じゅう上演されるそうです。
ダランと呼ばれる人形使いが舞台に現れ、一人で午後9時から朝の5時ごろまで、何十体もの人形を操り、ガムランや歌の指揮もしながら、お話を語っていきます。
このなかでも人気の物語が「スマントリとスコスロノ」といいます。
双子の兄「スマントリ」は、幼いうちから学問に武芸をきわめ、ととのった顔立ちのすらりとしいた美しい若者。双子の弟「スコスロノ」は、顔や姿があまりにも醜く、生まれてすぐに森の奥に捨てられます。
しかしスコスラノは、たくましく生きのび、森の中で暮らしながら不思議な力を身につけていきます。森の中ならどこへでも、いきようようと、かるがると動き回るスコスラノは、草の葉のひとつひとつ、木の一本一本を知り尽くし、生きものたちの気配や気持ちを感じ取り、心をかよわせることができるようになります。
まったく異なる境遇にありながら、本当に仲の良い兄弟だった二人です。
長い展開を予想させる出だしです。
絵も木口版画という方法で表現され、これまで見たこともない絵です。
やがてスマントリは、家来として使えようと思ったハルジュノソスロ王から、隣の国の王女チトロワテイの兄のチトロセノと戦い、美しいチトロワテイをつれてくるように命令されます。
弟のスコスロノの協力もあって、チトロセノとの戦いに勝利したスマントリでしたが、王女から、王とどちらが強いか、戦いを挑むようにそそのかされます。王女は強いほうの妻となるというのです。
ハルジュノソスロ王や魔王ラウオノとの闘い、弟を殺してしまう兄、天界で再会する兄弟と息もつかせない展開。
戦いの場面も迫力満点です。
こんな展開なら、たしかに何時間もかかりそうです。聞き手をぐいぐい引き込むさまも想像できます。
くつやマルチン トルストイの民話より/バーナデット・ワッツ・絵 ささき たづこ・訳/西村書店/1989年
「くつやのまるちん」というタイトルで、至光社から1981年に発行された絵本もあるようですが、細かなところで大分異なっています。
半地下の部屋の窓から通りをながめているくつやのマルチン。
くつをみただけで、それがだれでもすぐにわかるマルチンでしたが、聖書を読んで、もし神さまが、うちにやってきたらわたしはどうするだろうかと考え、ベッドに入ります。
すると突然「マルチン」と呼ぶ声が耳のそばで聞こえます。
「マルチン、あした わたしは おまえのところにいくよ」。おきあがって、目をこすりますが、だれもいません。夢だったのでしょうか。
次の日、マルチンは、すりきれたおんぼおろぐつで、さむそうに道路掃除をしているステファンじいさんを、暖かい暖炉のある部屋にいれ、おついお茶をだしてあげます。
それから、赤ちゃんを抱いたお母さんが、薄い服で寒そうに震えている姿をみて、キャベツスープをごちそうし、古いオーバーと、すこしばかりのお金をあげます。
さらにリンゴをぬすんだ男の子をつかまえておこっているリンゴ売りのおばあさんに、男の子にあやまらせると、男の子は小さい声で「ごめんなさい」といい、おばあさんのリンゴのかごをもって、一緒に帰っていきます。
この三組は、じつは神さまでした。
クリスマスというのはどこにもでてきませんが、時期は冬ですからクリスマスを意識したものでしょうか。
宗教心というのは難しいですが、マルチンの人を思いやる心は、素直に伝わってきます。
気持ちがあたたかくなる絵です。
くつやのマルチン/渡 洋子・文 かすや 昌宏・絵/原作:トルストイ/至光社/1981年