Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ヘンリク・グレツキの交響曲第2番「コペルニクス党」を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2008-11-10 05:29:30 | 古典~現代音楽ポーランド編
昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
途中聴いたのは1931年生まれのグレツキの交響曲。
ポーランド南部のチェルニツァで12月6日に生まれた彼は、
カトヴィツェの音楽学校(現カトヴィツェ音楽院)で
1955年から1960年の間本格的に作曲を学び、
1958年に作曲家としてのデビューを果たし、
その後色々な作品を世に出して注目されるようになった。
交響曲第2番「コペルニクス党」は、1972年に作曲され、
ポーランドの天文学者コペルニクス生誕500周年を記念して
作曲された交響曲で、ソプラノとバリトンの独唱のための作品である。
彼の作風からいうと第2期への転機にあたる作品である。

第一楽章は、ユニゾンによるトゥッティと
一撃を加える打楽器の激しい音の繰り返しが印象的である。
宇宙的な広がりの感じを思わせる雰囲気は、
「コペルニクス党」というタイトルとの関連性を想起させる。
単純な音の繰り返しではあるが不思議におもしろい。
終わりになると合唱が加わり、シリアスな感じが強調される。
第二楽章は、バリトンの独唱によって始まる。
祈りのような音楽は静かに心に訴えてくる。
情熱的に盛り上がる場面もあるが、
とにかく静かで宗教的な感じを思わせる
おだやかな癒しの音楽なのである。
中世的な世界に迷ったかのような音楽的世界は、
グレツキらしいところで、メッセージ性を持っている。
静かになったあと15分あたりからみられる曲は、
宇宙的な広がりを感じさせる音楽である。
最後は長い持続音の中静かに消え入るようにして終わる。
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ズデニック・フィビヒ(フィビフ)の交響曲第1番ヘ長調作品17を聴きながら東京駅から茗荷谷駅まで歩く

2008-11-09 07:06:58 | 古典~現代音楽チェコ編
昨日は東京駅から茗荷谷駅まで歩きました。
お茶ノ水大学の学園祭に行き、講堂に向かい、
教え子が主役を演じるモーツアルトの「フィガロの結婚」を聴きにいく。
家を出る前にカール・ベーム指揮による映像を見たので、
あらすじは分かったので観ていても分かりやすかった。
大学で管弦楽付きのオペラを上演するのが驚きである。
全体的には休憩後の第3幕以降の歌と演技がよかった。

途中聴いたのは1850年生まれのフィビヒの交響曲。
ボヘミアのフシェボジツェに生まれ、幼い頃から音楽を学び、
1865年にはライピチヒ音楽院に入学し、
この時番号なしの最初の2つの交響曲を作曲したようだ。
こんな交響曲がチェコにあったというのが聴いてみて驚きである。
交響曲第1番ヘ長調作品17は、
1877年から1883年の間に作曲された。

第一楽章アレグロ・モデラートは、
粗野であり、ボヘミア的な部分が感じられ、
のどかでなぜか懐かしい音楽である。
ドボルザークの交響曲に似て、迫力もある。
主題が様々な形で展開される技法はなかなかである。
最後の終わり方も颯爽としていい。
第二楽章アレグロ・アッサイはスケルツォ楽章で、
冒頭の軽快な曲で粗野な感じはいかにもボヘミア的だ。
三部形式で書かれ、トリオの音楽との対比がいい。
第三楽章アダージョ・ノン・トロッポは、
哀愁漂う民謡調の旋律が、主題として奏される。
途中情熱的な感じになり、また冒頭の寂しい音楽に戻る。
第四楽章アレグロ・コン・フォーコ・エ・ヴィヴァーチェは、
軽快で金管楽器が活躍し、溌剌とした主題が奏され、
フィナーレ楽章らしい祝典風の始まり方である。
対照的なもう一つの主題も愛らしく魅力的である。
音楽は最初の主題を中心に展開されていく。
最後第一楽章の冒頭の主題が再現されたあと、
第一主題が奏され華々しい感じで全曲を閉じる。
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ジョルジュ・エネスコの交響曲第3番ハ長調作品21を聴きながら二俣川から西谷まで歩く

2008-11-08 07:59:45 | 古典~現代音楽バルカン地域編
昨日は二俣川から西谷まで歩きました。
途中聴いたのは1881年生まれのエネスコの交響曲。
ルーマニアで生まれた彼は、7歳でウィーン音楽院に入り、
ヨーゼフ・ヘルメスベルガーなどに師事し、
その後フランスに行き、パリ音楽院でヴァイオリンを学び、
作曲法についてはマスネやフォーレに師事した。
ヴァイオリン奏者、教育者、指揮者としても活動した。
交響曲は3つ残しているが、交響曲第3番ハ長調作品21は、
1916年から1921年にかけて作曲されており、
第一次世界大戦から戦間期に書かれており、
その時代背景を反映した音楽となっている。

第一楽章モデラート、ウン・ポコ・モッソは、
運命を感じさせるような重々しい雰囲気で始まる。
そのあと激しく情熱的な音楽になる。
第一次世界大戦が始まり、戦闘が続く中で作曲されたこともあり、
そこには人間的なテーマに挑んでいるような印象も受けつつ、
厳しい現実と夢のような平和的な世界が描かれている印象も受け、
ドラマティックに展開していくところはリスト風でもある。
後期ロマン派的でもあり、フランス的な音色に特徴ある。
第二楽章はヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポで始まる。
スケルツォ的な楽章で、軽快なテンポで音楽は展開されていく。
金管楽器と打楽器そして木管楽器が活躍する中、
英雄的な感じをも受ける力強い音楽になっていく。
終わりのほうは幻想的な音楽になり、静かに終わる。
第三楽章レント・マ・ノン・トロッポは、
今までの苦悩が解消されたような平安な音楽で、
この楽章では歌詞を伴わない人の声が合唱として流れ、
ドビュッシーやラヴェルのような幻想的な音楽を作り出す。
オルガンは聖なるイメージを与え、明るく安らかな感じが伝わる。
最後は平和な中、静かに消え入るように終わる。
悲惨な戦争と終結、その中にみた人類の現実の姿、
そして待ちわびた平和の瞬間など様々な人間の姿が
そこに表現されているようにも思える。
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ヤン・エンゲルの交響曲ロ長調、交響曲ニ短調を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2008-11-07 05:41:49 | 古典~現代音楽ポーランド編
「18世紀のポーランドの交響曲集第4巻」のCDで、
もう一つあげておく作曲家にヤン・エンゲルがいる。
ヤン・エンゲルが、何年に生まれたかはわからないが、
1778年に亡くなっていることは分かっている。
ワルシャワ中心に、1770年代中心に活躍した作曲家で、
CDの説明によると、11の交響曲を残していること、
12曲のポロネーズや多くの声楽曲・器楽曲も作曲していることは、
伺うことができるがそれらがどういうものかはわからない。
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く途中に聴いた。

交響曲ロ長調の作曲年は不詳だが、3つの楽章から成る。
第一楽章アレグロは、軽快に始まる優雅な宮廷風の音楽で、
ハイドンやモーツアルトと同時代的なスタイルで書かれている。
オーボエ・ソロも美しく、曇りのない明るい音楽である。
第二楽章アンダンテは、おだやかな牧歌風の曲調の中で、
オーボエ・ソロの歌うような旋律が、魅力的である。
第三楽章アレグレットは、舞踏的な要素のある軽快な曲で、
このポーランドの音楽要素が入っているのだろうか。
ポロネーズ的な民族的な要素が入っていると断定できないのだが、
優雅な音楽の中にそんなものを少し感じてしまうのである。

交響曲ニ短調も作曲年は不詳だが、3つの楽章から成る。
第一楽章アレグロの冒頭は、短調のため少し陰があるが、
中間部は長調で軽快で明るく優雅で華やかで対照的である。
展開部以降長調・短調に交互に織り交ぜて陰影をつけている。
第二楽章アンダンテは、金管の吹奏から始まりのどかな曲である。
フルート・ソロの奏でる旋律は優雅さと物悲しさを表現する。
金管楽器とオーボエによる牧歌風の音楽と交代を繰り返し、
フルート・ソロによる叙情的な部分を過ぎ、最後牧歌的に終わる。
第三楽章アレグロは、冒頭の短調による激しい感傷的な旋律と、
対照的なオーボエなどによって奏される明るい旋律が対照的だ。
この2つの部分が交互に現れながら、最後は短調で終わる。
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ヨゼフ・スークのアスラエル交響曲ハ短調作品27を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2008-11-06 05:01:47 | 古典~現代音楽チェコ編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは1874年生まれのスークの交響曲。
プラハ音楽院でドヴォルザークに師事し、
ドヴォルザークの娘オティリエと結婚している。
アスラエル交響曲ハ短調作品27は1905年から
1906年にかけて作曲された交響曲である。
1904年にドヴォルザークが亡くなり、
第四楽章アダージョのスケッチに着手してまもなく、
妻オティリエも亡くなったということなので、
相次いで起きた出来事に彼もショックを受けたに違いない。
この交響曲はそんな状況の中で作曲された作品である。

第一楽章アンダンテ・ソスティヌートは、序奏のあと、
堂々とした力強い主題が奏されるが、この主題は印象的である。
避けることのできない運命や死を感じさせるもので、
展開部での主題の扱いはなかなかで、確かな作曲技法を感じさせる、
劇的に主題は再現され、最後の盛り上がりもすばらしく、
最後は死への抵抗が終わったかのように静かに終わる。
第二楽章アンダンテは、幻想的な感じで始まる。
まるで死後の世界のようなおぼつかない感じだ。
曲はやがて葬送行進曲風に、ゆったりとした足取りで進む。
フルートは第一楽章の運命的な主題を再現し、
幻想的な感じの中、トランペットの響き、終わる。

第三楽章ヴィヴァーチェ(スケルツォ)は、
軽快な感じで舞踏的であるが、狂乱的なここには死の舞踏と
追憶のような甘美な世界があり、この中にも第一楽章の、
運命的な主題が変形されながらも顔を出す。
中間部の牧歌風でのどかな世界はロマンティックである。
壮大な世界が描かれ、死というものへの苦しみよりも、
それを乗り越えようとする人間の意志の強さを感じる。
最後は第一主題の運命的な主題が登場して劇的に終わる。
第四楽章アダージョは、オティリエの肖像画とあるように、
この作品が書かれた時の妻オティリエへの想いが表現されている。
情熱的な曲で、亡くなった妻への想いが表現された曲だと思う。
第五楽章アダージョ・エ・マエストーソは、
最初から第一楽章の運命的な主題が奏され、
その主題を中心に他の旋律も含め音楽は展開されていく。
その主題の扱いはなかなかで、最後は愛する人々の死という
信じがたき真実に直面しながらもそれを乗り越えていこうとする
一人の人間の強い信念と、死者への平安な世界を望むような
そんなやすらかな感じで静かに全曲を閉じている。
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