とかく食べ物屋は当たり外れが多い。当たりが多いわたしでも六割くらいだろうか。ま、決めるのは自分の舌なのだが。初めて食べた料理が美味しかった場合、その記憶がいくつか重なると、それがそのひとの味の基準となってしまうものだ . . . 本文を読む
宛がわれた部屋の前で立ち止まる。見慣れぬダイアル錠がドアに設置されている。宿賃を前払いして受け取った領収書にある、6桁の数字を打ちこんで解錠した。宿泊した部屋の名前や4桁のルームナンバーを覚えるのは慣れているが、そのルームナンバーに加えての「6桁」はいかにも一晩だけ覚えるには長すぎる。勘弁してほしい。どうせ次の日にはまったく無用の数字となるのだし . . . 本文を読む
夏になれば町のあちこちの生垣などで見かけた朝顔も、最近では、そうそうお目にかかれない風物詩のひとつになってしまった。どこにでもあった喫煙できる喫茶店も、いつのまにかみつけるのが困難になってきたのが悲しい。ローカルな函館駅前でさえ探し廻り、「ここならだいじょうぶだろう」と入った店がなんと大都会なみに全面禁煙で、注文だけして外にまで吸いにいったことを苦々しく思いだす . . . 本文を読む
夏場にだが、一度か二度くらいところてんを無性に口にしたくなる。「飲食」は、どちらかというと「飲」のほうが好きなので、飲みだすと、とたんに「食」が細くなる。しかも少量で美味しいものしか食べない猫喰いで、口に合わない料理だと箸がピタリと止まってしまうとんでもない“バチ当たり”で、てんでよそ行きにならぬ . . . 本文を読む
東海道線は定刻の午前11時52分に終点の三島駅に到着した。(なんか出汁の匂いがほんのりと漂ってきたぞ・・・)ホームの先頭方向に歩いていくと、立ち食い蕎麦屋をみつけた。「桃中軒」っていう店の名前、たしか沼津か三島の駅弁屋だったな。駅弁屋の立ち食い蕎麦といえば、伊東の祇園、高崎駅の「たかべん」などを思いだし、期待してしまうぞ . . . 本文を読む
深夜、偶然見出した若いジャズドラマ―を育てる渡辺貞夫(ナベサダ)のドキュメンタリー番組を「ながら視聴」していた。「苦しみは、喜びの深さを知るためにある」ナベサダが魅せられ何度も旅した、チベットのことわざだという。誰もがコロナ禍で辛い日々を過ごさざるを得ない今、心に残る言葉であった . . . 本文を読む
「いつまで旅を続けるんですか」焼き鳥を頬張りながら、切り込むように訊かれて困った。まるで<なんのために生きているんですか>と訊かれたようで、答えられない。誰から聞いたのか、わたしを旅好きとしっているようだった . . . 本文を読む
「ん!?」くんくん。この堪らなくいい匂いは、うなぎ屋とか焼き鳥屋の店先で醤油ダレが焦げるときに立ち昇るアレ、そのごくごく薄い、かすかなやつだ。(猫か!)(あの、だんご屋かな)ちょっと覗いてみるか。 . . . 本文を読む
(なんかうまくいかないなぁ・・・よしプランBでいくとするか!)こんなセリフだが、ハリウッド映画でも外国企業でもよくつかわれる。計画(プランA)をたてるとき、バックアップの計画(プランB)もたてるのが肝要である。旅でも同じだ。(と思う . . . 本文を読む
杉並で所用をすませるとちょうど昼ごろだったので、思いついて西武線で所沢に向かった。六年前の2014年にプロぺ通りにある老舗酒場「百味」を訪れ、したたかに痛飲したことがあった。午前11時から営業していて、たしか定食などもやっているはずである。鯖の塩焼きか刺身定食を肴に一杯付けちゃおうとの算段である . . . 本文を読む