2022年12月21日(水)、北上市まで行って12月9日(金)から全国公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」(東宝配給)を観てきました。
1939年生まれ、富山県出身の辺見じゅん著の原作『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫版)を基にした映画だそうで、大変感動しました。オススメです‼
1945(昭和20)年8月15日、昭和天皇による「玉音放送」で終戦を知らされたのですが、そのとき、海外に居た日本人は兵隊はもちろん、民間人も現地に取り残されてしまいました。
それより少し前の8月8日、ソ連が日本に宣戦布告。映画は8月9日、満州・ハルピンに居た山本幡男一家が、未明のソ連軍による突然の爆撃から避難する途中で瓦礫の下敷きになるシーン辺りから始まっています。妻のモジミに4人の子どもたちを託し、日本で落ち合う約束をします。
1946(昭和21)年4月、ソ連軍に拘束された山本は、スペルドロフスクの収容所(ラーゲリ)に連れて行かれ、零下40度の極寒のシベリアで重労働を強いられます。わずかな食糧での過酷な労働が続く日々、死に逝く者が続出する地獄のラーゲリ(強制収容所)にその男・山本幡男は居た。
「生きる希望を捨ててはいけません。帰国(ダモイ)の日は必ずやって来ます」。絶望する仲間たちに彼は訴え続けた…。
この年の12月8日には、ソ連本土からの引揚第一船がナホトカから舞鶴港へ入稿していますが、山本はロシア語が堪能だったために、身に覚えのない「スパイ容疑」でラーゲリに収容されてしまったようです。
1946(昭和21)年12月19日、ソ連地区引揚に関する米ソ協定が成立。
1948(昭和23)年8月15日、大韓民国成立。9月9日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)成立。9月、ついに「ダモイ(帰国)」と通達があり貨車で東に向かうが、ハバロフスクの手前で山本を含む数名が降ろされる。大規模なラーゲリに再び収容された山本は、さらに25年の強制労働を命じられる。
春、山本は新谷が「クロ」と名付けた子犬と出会う。読み書きができない新谷に、山本は俳句を教える。
1949(昭和24)年10月1日、中華人民共和国成立。
1950(昭和25)年4月22日、ソ連「戦犯容疑者・病気療養者を除き、日本人捕虜の送還は完了した」と発表。6月25日、朝鮮戦争の始まり。
身に覚えのないスパイ容疑でラーゲリに収容されてしまった山本(二宮和也)は、日本にいる妻・モジミ(北川景子)や4人の子ども達と一緒に過ごす日々が訪れることを信じ、耐えた。劣悪な環境下では、誰もが心を閉ざしていた。戦争で心に傷を負い傍観者を決め込む松田(松坂桃李)。旧日本軍の階級を振りかざす軍曹の相沢(桐谷健太)。クロという子犬をかわいがる純朴な青年・新谷(中島健人)。過酷な状況で変わり果ててしまった同郷の先輩・原(安田顕)。山本は分け隔てなくみんなを励まし続けた。そんな彼の仲間想いの行動と信念は、凍っていた抑留者たちの心を次第に溶かしていく。
1952(昭和27)年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効により、連合国による日本占領が終わり、日本は主権を回復。
夏、日本と往復葉書のやり取りができるようになり、山本は妻・モジミに葉書を書く。
1953(昭和28)年7月27日、朝鮮戦争の休戦協定が成立。春になってようやく妻・モジミから返事が届くが、山本は病に倒れる、十分な診療も受けられぬまま、病状は悪化する。
終戦から8年が経ち、山本に妻からの葉書が届く。厳しい検閲をくぐり抜けたその葉書には「あなたの帰りを待っています」と。たった一人で子どもたちを育てている妻を想い、山本は涙を流さずにはいられませんでした。
誰もがダモイの日が近づいていると感じていたが、その頃には彼の体は病魔に侵されていた…。
1954(昭和29)年、仲間たちの命懸けのストライキによって、山本は大きな病院で診療を受ける。結果は咽頭癌性肉腫の末期症状で、余命3か月を言い渡される。8月25日、山本はラーゲリの病室で息を引き取る。
松田は、危険を顧みず山本を病院に連れて行ってほしいと決死の覚悟でストライキを始める。その輪はラーゲリ全体に広がり、ついに山本は病院で診断を受けることになった。しかし、そこで告げられたのは、余命3か月ー。山本により生きる希望を取り戻した仲間たちに反して、山本の症状は重くなるばかりだった。それでも妻との再会を決してあきらめない山本だったが、彼を慕うラーゲリの仲間たちは、苦心の末、遺書を書くように進言する。
山本はその言葉を真摯に受け止め、震える手で家族への想いを込めた遺書を書き上げる。仲間に託されたその遺書は、帰国の時まで大切に保管されるはずだった…。ところが、ラーゲリ内では、文字を残すことはスパイ行為とみなされ、山本の遺書は無残にも没収されてしまう。山本の想いはこのままシベリアに閉ざされてしまうのか!?
死が迫る山本の願いをかなえようと、仲間たちは驚くべき行動に出る…。
戦後のラーゲリで人々が起こした奇跡ー。これは感動の実話である。
1956(昭和31)年10月19日、日ソ共同宣言調印。12月26日、ソ連本土からの最終引揚船「興安丸」が舞鶴港に入港。舞鶴港へ向かう支度をしていた妻・モジミの元に、山本の死を知らせる電報が届く。
1958(昭和33)年1月半ば、記憶していた山本の遺書を届けに、原がモジミを訪ねる。その後、松田、新谷、相沢も遺書を届けに来る。
11月、最後の地方引揚援護局(舞鶴)閉局。