peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

東山ふるさと歴史講座「今泉街道」現地探訪~長坂宿から摺沢宿へ(その2) 2014年8月7日(木)

2014年08月08日 | 町のイベント

2014年8月7日(木)、東山公民館(館長・鈴木勝市)、田河津公民館、松川公民館、石と賢治のミュージアム:主催の「昭和26年度 東山ふるさと歴史講座」の第4回(一関市の研修バスと徒歩による現地学習)”歩いてみよう今泉街道~長坂宿から摺沢宿へ”(9:00~15:00時)が行われました。講師は東山支所教育文化課 畠山篤雄氏。

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岩手県教育委員会発行「岩手県『歴史の道』調査報告・今泉街道」(昭和55年3月・岩手県文化財調査報告書第41集)の(5)上の橋~荒瀬・流矢のところに下記の通り記載されています。

 ”旧道は上の橋を過ぎた農協の所で県道と分かれて右手の町道を迂回し、本町橋右側の川沿いの路傍に建っている寛政6年(1794)の庚申碑(高さ160㎝、幅80㎝)辺りから猿沢川を渡り、坂道を登って大船渡線の敷地を横断して久保へと向かい、柴宿駅の南70~80?の所を通り、再び線路を横断し、さらに県道を横切って舘合へと進んでいる。そして、この先ずっと県道と異なったルートを進んで行くわけである。”

歴史の道・今泉街道の江戸時代のルート

?熊野神社?舟場跡 ?御蔵場跡 ?駆引城址 ?庚申塔 ?沢の入道路上の古碑群 ?城高山安養寺 ?安養寺入口の碑 ?マリヤ観音像 ?唐梅館址 ?桃ノ木洞入口の道標 ?愛宕神社祭り場の古碑 

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猿沢川右岸の市道からバスに乗って、旧県道に出て「本町橋」を渡り、JR大船渡線の跨道鉄橋の下を通って、長坂字久保にある「旧・今泉街道」の出口に向かいます。旧・県道は真っ直ぐ長坂小学校の方へ伸びていますが、旧・今泉街道の久保側出口はこの跨道鉄橋の所から右側に分岐している市道を上って行きます。この間は300mほどでしょうか。(この「市道」は現・県道の下を通っています。「市道」から現・県道に登る坂道もあります。)

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(上)市道でバスを降り、この坂道を上って「歴史の道(旧)今泉街道」の久保側出口に向かいます。

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(下)平地に出ると西側の高い山々が綺麗に見えました。住宅団地にでもするのでしょうか、道路沿いの平地が整備中でした。  

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(上)この曲がり角から先へは進まず、引き返してきました。(下)地図を見ながら講師の畠山さんから説明を聞く一行。

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(上と下)この道を引き返す途中、左側の樹木の下にある石碑群を見つけました。講師や館長さんは、タブレットPCを片手に早速「調べ学習」です。

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(上と下)「旧・今泉街道」は、市道が交差するこの十文字を真っ直ぐ進むようです。「柴宿団地」と呼ばれている住宅団地にある「愛宕神社」拝殿までほぼ上り続きの坂道でした。

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(上と下)「柴宿団地」の西端のようです。下の道を200mほど進んで行くと、現在の県道19号(一関大東)線から分岐してきたこの団地のメーン道路に到着します。

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(上と下)この先10mほどの所で、団地内メーン道路と合流します。拡幅されているようですが、旧・今泉街道はほぼこの道と重なっているようです。

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(下)「柴宿団地」と呼ばれている住宅団地。東山町役場(町長・菅原 生)昭和63年11月1日発行「町制施行30周年記念誌 光・緑・愛・はばたく町 東山」より]

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(上)この先20mほどの所に見える林の下に「愛宕神社」拝殿がありました。

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(上)「愛宕神社」拝殿の石の鳥居は南向きに建てられていました。ご神体の「愛宕山(標高177.5m)」は、東南の方向にあります。

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岩手県教育委員会発行「岩手県『歴史の道』調査報告・今泉街道」(昭和55年3月・岩手県文化財調査報告書第41集)の(5)上の橋~荒瀬・流矢のところに下記の通り記載されています。

旧道は大船渡線柴宿駅の南70~80mの所を走っていたわけであるが、柴宿駅から約250m手前の旧道の北側に愛宕神社の祭場があり、その正面に寛政9年(1797)の塩釜・竹駅・横山大明神碑(高さ110㎝、幅60㎝)、文化14年(1817)の山神碑(高さ130㎝、幅70㎝)、万延元年(1860)の金華山碑(高さ150㎝、幅60㎝)、年号不明の湯殿山・月山・羽黒山碑(高さ195㎝、幅110㎝)、八聖山碑(高さ175㎝、幅100㎝)、古峰神碑(高さ165㎝、幅67㎝)があり、祭場の左側には安永3年(1774)の己己供養碑(高さ110㎝、幅80㎝)、明和7年(1770)の庚申碑(高さ105㎝、幅60㎝)、文政5年(1822)の庚申碑(高さ130㎝、幅75㎝)、安政□年の庚申碑(高さ70㎝、幅45㎝)、明治12年(1879)の馬櫪神碑(高さ85㎝、幅40㎝)などが右から一列に並んでいる。これらの古碑群は柴宿団地内にあるため保存良好である。

 なお、東山町内には4基(長坂地内に1基、松川地内2基、田河津地内1基)の馬櫪神碑があるが、いずれも明治・大正時代のものである。同じ馬の守護神でも町内に馬頭観世音碑が多く、庚申碑に次いで第2位であり、以下、山神碑、雷神碑、南無阿弥陀仏碑の順となっている。庚申碑が一番多いのは作神信仰によるもので、昔の人々がいかに作況を心配し、豊作を神に祈っていたかがうかがえる。”

「馬櫪神(ばれきしん」:馬の守護神。両足で猿とセキレイとを踏まえ、両手に剣をもつという。「馬櫪」:うまやのねだ。また、馬の飼葉桶(かいばおけ)。

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[岩波書店発行、新村出・編「広辞苑」第5版より]

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(上)岩手県東磐井郡東山町(町長・菅原喜重郎)昭和53年11月発行「東山町史」より

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(上と下)愛宕神社拝殿に隣接している「しばじゅく歯科」。その近くでバスが待っていましたが、皆バスには乗らずに200mほど先にある産直施設「季節館」まで歩きました。

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(上)道路右側には「岩手県雇用促進住宅」が建っています。(下)JR大船渡線の「柴宿駅」(無人駅)が見えてきました。昭和37年(1962)5月15日、 大船渡線最初の無人駅として発足した東山町の「請願第1番目の駅」。

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(上)大船渡線「柴宿踏切」が見えますが、旧・今泉街道はこの踏切の手前で右(東側)に曲がって、約250mほどの所で大船渡線の線路(敷地)を横断していたそうです。

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(上と下2つ)旧・今泉街道(現「市道」)の西側で、柴宿踏切の手前50mほどの所に石碑が数基倒れたり立ったりしていました。講師の畠山さんが早速「調べ学習」していました。

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(下2つ)現在「今泉街道」と呼ばれている県道19号(一関大東)線沿いに建つ産直施設「季節館」に到着しました。ここでトイレ休憩です。この日も暑い日でしたので、一行は早速アイスクリームなどを買って食べていました。

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