ちょっと以前のレポートです。
チーム内でメールのやり取りがありますが、これは今年の名古屋国際女子マラソンを走った友人がかいたものです。3月の出来事ですが、読み直してもなかなかなので紹介いたします!
名古屋国際は18km地点でコースが交差するため、トップの選手とクロスする所で関門があります。タイムで決まっているわけじゃなく、その年のトップの選手いかんによるという、不確定な関門です。友人の昨年は関門にかかり(渋井さんが最初からとばした)ハーフも走れず涙をのんだ、そのリベンジ編です。
『ハーフマラソンをインターバルなしで2回走った』
今回のマラソンがどんなだったかを表現するには、この一言に尽きる。
マラソンは苦しい。ハーフマラソンはその2/3くらいの苦しさだ。
2/3+2/3=4/3=約133%
この数字が示すように、いつものマラソンの133%の苦しさだったに違いない。
※5kmごとのスプリットタイムとラップタイムは以下の通り。
5km 21:13
10km 21:57 43:10
15km 21:48 1:04:58
20km 22:29 1:27:27
25km 23:34 1:51:01
30km 23:30 2:14:31
35km 23:50 2:38:21
40km 23:40 3:02:01
42.195km 10:05 3:12:06
昨年果たせなかった18.4kmの関門突破は無事成功。
おめでとう!自分。これで第一目標は達成だ。
同じ目標を持った選手が大勢いたようで、関門である桜通大津交差点を右折すると沿
道からは、
「○○ちゃん、やったね!」の声が選手に向け飛び交う。
夢のようだ。ゲームで未知のエリアに進めた、というのとはわけが違う。めちゃくちゃ
嬉しい。が、めちゃくちゃ苦しい。心臓と肺は口から飛び出しそうだし、腕、脚は付
け根からちぎれそうだ。それにいつまでも喜びに浸ってはいられない。第2の目標で
ある『3時間15分切って完走』を達成させなければ…。
まだゴールまでの半分も来ていないのに体がこんな状態であることを思うとかなり愕
然とするが、そうは言っていられない。ここからがマラソンだ。走りながら体勢を建
て直し、回復を待って再スタートする気持ちを持とう。
それまで同じ集団で走っていた選手たちは一気にばらけ、わたしと前の選手との差も
徐々に離れて行く。その後しばらくは、少なくともわたしの周りでは集団が形成され
なかった。関門での追い上げで皆リズムを崩してしまったのだろうか。
ようやく体が回復してきたのは25km。この5kmは23分34秒もかかってしまった。
気持ちを切り替えようとサングラスを外し、ランパンに引っ掛けた。(一流選手なら
投げ捨てるところだが)
景色が明るくなり、気持ちも明るくなる。単独で走っていたが、ふと後ろからの集団
に吸収された。
「なんとしてもこの集団の中にいよう」という前向きな気持ちになる。集団で走れば
気持ちも楽だ。しかし、ともすれば集団ごとペースダウンし、誰もそれに気が付かな
いこともある。
29kmでそれを感じ、若干追い風だったこともあり、自分が前にでる。その後は抜きつ
抜かれつを繰り返し、また、前を走る選手を抜いたりもし、しばらくは良い切磋琢磨
ができた。
それでも31kmの登り坂になると、なぜかこの切磋琢磨の4~5人が一丸となっていたの
には笑ってしまう。
「みんなで登れば怖くない」という集団心理なんだろう。
31kmを過ぎるとマラソン特有の辛さが襲ってくる。集団はばらけ、それ以降再び形成
されることはなかった。もはや皆、腕脚を動かすことが精一杯で、戦略を練る余裕は
ないのだ。
あと10km、このリズムをキープして走り切ろう、と思う。粘って粘って、ペースダウ
ンを最小限に食い止めれば目標の3時間15分切りは可能だ。
時折、気分転換に腕をだらりと下げるなどはしたが、ここまで来ると、ただただ我慢
我慢という気持ちだ。
35km直前、ランパンに引っ掛けていたサングラスが落ちた。
安物だが今まで苦楽を共にしてきた大切なサングラスだ。見捨てるわけにはいかない。
3~4m引き返し拾った。左手にしっかり握り、「これは何かの暗示?」と思う。
直後35kmを通過。2時間38分21秒。ん?意外に落ちてない。3時間14分切れるかも。
3時間15分を切れば国際マラソンの参加資格はキープできる。
思えばここ数年、マラソンで3時間14分代という記録が続いているのは、終盤で攻め
の姿勢になっていないからではないだろうか?ただ我慢するだけでは先は望めない。
単純な理屈だ。
そこからは欲を出して目標を3時間13分00秒に切り替えた。
急にえも知れぬ別の力が湧いてきた。あれ?まだ走れるじゃん。新しい目標を持つこ
とで新しいエネルギーが湧いたのだ。ひとり、またひとりと、拾うように抜いて行け
る。
40km通過。3時間02分01秒。
疲労で思考能力が低下しているとはいえ、残り2,195kmを9分59秒で走れば3時間12
分00秒ということくらいは理解できる。よーし、狙おうじゃないの、3時間11分代。
必死の形相(間違いなく!)で走ったが、結果は僅かに及ばず、3時間12分06秒。
自己ベストの3時間05分59秒には遠く及ばないが大満足だ。
今回のマラソンは、局面ごとに展開を考えたのがうまくいったと思える。
そしてなにより学んだことは、攻める気持ちを最後まで持ち続けるということだ。
それと、サングラスに2度救われたのは偶然じゃない気がする…。
友人の女性は私よりは若いけど大台にのったぐらい、これを読むといかに気持が大事かわかります。がんばらなくちゃ!
リンク、どうもありがとうございます。
こちらのブログをリンクさせていただきました。
事後連絡になり、申し訳ございません。
そうですね、有限実行なんてできるものじゃない。
ayaさんがいた時は、トレイルに燃えていましたから、強くなったんだろうけど、乳酸がたまるーーーーて叫びながら走っていましたね、、、。
あんなに今は走っていないです。
毎回、有言実行してしまうのも見事です。初めての駅伝で、Yさんはアンカー’私が挽回するから大丈夫、安心して走っておいで’と言ってくれたのを今でも覚えてます。カックイイ~
私も見習わなくっちゃと思うものの練習の段階で力を使いすぎてしまい体調を崩すのが毎回のパターン。こちらに移ってから刺激しあう仲間がいないのも練習、レースに身が入らない原因かしら。短期間で記録が伸びたのもSHIMOさんをはじめYさん、ミカなど身近に走る仲間(シリアス)がいたからですね。