シューマン作曲《詩人の恋》を勉強中。
久しぶりに、ざっと全体を弾いていたら・・・
気付いたらこんな時間!?
というくらい、集中して勉強していたようで・・・
この曲、
自分のドイツ留学中の思い出がよぎり、
当時(今から十年以上前!?)この《詩人の恋》を、
本場!?ドイツ人の若い(二十代)歌の学生達と勉強しながら、
「この曲は凄い!!名曲だ!!難しい!!」
と言って、苦労していた記憶が蘇るのです。
そして今、正直に申しますと・・・
自分も、その言葉に倣いつつも、
真の実感を持って、この音楽が名曲であるかどうか、
判ってはいなかっただろうと・・・
その証拠に、
名歌手と名ピアニストによる演奏を聴いていても、
集中力が持続できなかった・・・(倦(あ)きてしまった!?)
そんな恐ろしい記憶も蘇るのです・・・
そして今、
留学を終えて日本に帰国し、年月が経ち、勉強を続け、
《詩人の恋》を、倦きることなく向かい合える実感が生まれていることを通して、
貴重な機会と思われ、
以下、言葉にまとめておきたいと思ったのです。
音の意味(和声!?)に注意を向けずして、
音楽を充実して飽きずに聴くことは難しい!?
(これは名曲・・・と、実は分からずに押し付けていても無駄、ということ!?)
逆に言うと、
音の意味に注意が行っている時、
人は音楽を飽くことなく、聴き続けることが出来る!?
・・・過去の自分の未熟を反省しつつ、
その未熟さを脱却するための勉強として、
「音の意味」に興味を持って、某かの手応えを感じている今日この頃の心境を
まとめておきたく思った次第です。
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