音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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■「和声」と「終止(カデンツ)」で、きき手に、わかったという感じを ~ E.フィッシャーの言葉

2011年08月09日 | 吉田秀和
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和声の転換、終止の感じなどは、
(楽曲の)構造を明らかにする手段である。

曲の構成の秘奥は、そういう手段からできており、
それをまた、ダイナミックのさまざまなとり方が助けることになる。

こういうことが、曲全体の展望をうるか否かをきめる。

ちょうど絵の全体をみようと思えば、
画面からさがってみなければならないようなもので、
最も小さい終止形から最も大きなものに至る働きを、
よく意識して処理できるようになって初めて、
音楽全体の働きかけを、こなせるようになる。

簡単な楽段の結びの所で、
本当の終止が実現したという感じを与えることは、
絶対につつしまなければならない。

こうした大小さまざまの終止形を確実に支配できて初めて、
私たちは、錯綜した曲の場合でも、きき手を、
副次的なものから主要なものの方につれてゆき、
最後に、たしかに曲がよくわかったという感じを、
きき手に与えられるようになる。

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E.Fischer 『Von den Aufgaben des Musikers』 より













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