音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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「10年振りにジストニアに向き合い」「その他」9月4日(木)のつぶやき

2014年09月05日 | ◆一言◆

ジストニアの改善に「がんばる」が禁物なら、ではどうすればよいか思うところは、がんばらず、落ち着いて、冷静に、自分の体と向き合い、何が不都合の原因となっているかを検証し、その改善に努める・・・「事実に即して」改善の道を探ることと思い、私はその道を進もうとしています


10年くらい前に、自分の右手に不都合があることが自覚されました・・・それを直そうと頑張ったところ、症状は悪化しました・・・ピアノ弾きを諦める寸前でしたでしょうか、しかし!とりあえずの解決策が見付かったのです!問題のある指を使わない「4本指奏法」で、私は


ジストニアの症状に苦しめられながらしばらくして解決策として「4本指奏法」が見付かり、ベートーヴェン《ピアノソナタ全曲》、そして最近ではドビュッシーのピアノ曲全てを公開演奏することが出来ました。しかしこの夏を期に、再び5本指全てを使えるよう、工夫し始めています。


ようするにジストニアの症状に、真っ向から向かい合おうとしといるのは10年振りのこと、これは「脱皮」!?のような気がしています(笑) うまく一皮剥ければいいのですが、脱皮は失敗すると死んでしまう!?という話を聞いたことがあります・・・うむ・・・死なないように気を付けないと!


「ペダルを使わないこともペダリングの内」、たしか昨日つぶやいた気がするのですが、その奏法の実例が目の前に現れました!ショパン《子守唄op.57》の最後をどうぞご参照下さい!解決音にペダルを敢えて使わない奏法です。


・・・意地悪なことを言ってしまうと、このショパン《子守唄》を演奏するピアニストが、最後の音でペダルを使っていたら、その人は楽譜をよく読んでいない!ということになってしまいます!いやはや気を付けないと・・・

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しかし「楽譜通りに弾いていない」「楽譜をよく読んでいない」と糾弾することにも違和感を覚えてきました・・・(=自分がそうだった!?(自爆)) 演奏がよければよいことにしようかしら。しかし楽譜をよく読んでいない演奏は、よくない演奏になる可能性が高いことが案じられますので、読譜は大事!


「読譜」というのは、正しい音符を弾けるようになるというレヴェルではない・・・楽譜に書き込まれたありとあらゆる記載から、作者の意図・思い・工夫を読み取り「考える」行為のことを「本当の読譜」と言ってよいでしょうか。鍵は「考えること」と思います。ロダンの彫刻のよう!?

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ピアノ演奏に長ける作曲家が自身の作品にスタッカートを書き記している時、その音は文字通り!鍵盤から指・手が「はなれる」、そのような作者の姿が見えてくるような・・・気がします。彼らは適材適所に楽譜に細かく書き記していることを、私は信じます!「忘れた」なんて滅多にない!?とも!

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楽曲の中で同じ音型で、前半と後半が微妙に違う、スタッカートがあったり無かったり、スラーの掛け方がちょっと違ったり・・・ しかし、信用のおける原典版であれば、今の私はこれを「作者が意図して書き換えている」と読み取っています。その差異に魅力があること多々なので!


今朝の勉強成果は、親指は、他の指(2345)とは、別物と考えた方がよい!?ということ(←当たり前(笑)されど!)。音階においては、1指は「くぐり、またぐ」という重要な役割があるので、安定を担うのはその他の指!?と思いました。1指と他指では、本当に役割は違う!と、思い始めたのです


C.P.E.バッハの書より「親指はその他の指を柔らかく保つ働きをする」という言葉がヒントとなりました。しかし音階の場合はこの逆で「その他の指が安定することで親指を柔らかく保つ」ことが出来る!?ようにも思えたのです。いずれにせよ「親指」「その他の指」とちょっと分けて考える


「親指とその他の指を分けて考える」とはいえ、音楽的な演奏においては、指による差異が好まれない場合(指による差異が好まる場合もあるので(笑))は、5本の指が同じような音を奏でられる技術は、上手な鍵盤演奏のためには、やはり必要なのでしょう。


「5本の指が均質な音を出せる」これが上手なピアノ演奏には不可欠と先に書きましたが、しかし誤解してはならない!音楽は、常に均質であることなぞ、ほとんど望んでいない!と思われるのです。これを誤解する時「機械的な演奏」と呼ばれる詰まらない音楽が生まれてしまうのでは!?


「5本の指が均質な音を出せる」技術を持つことは、音楽のもつ生き生きとした抑揚に、理想的に対応するための大事な道具といえるでしょうか。音楽のために技術が必要。しかし美学を混同してはならない!? 音楽が道具の機械性に服従しては本末転倒!


近代・現代音楽においては、楽曲が機械的な均質性を音楽性として求めている場合もあるようです。この時は、均質な指で、均質な音楽を奏でればよいでしょう。でも、ほとんどのクラシック音楽作品においては「機械的均質性」は求められていないと思います。生き生きとしたもの!


ドビュッシーの最後の作品群《ピアノのための練習曲集》においては、現代のコンピュータ音楽を先取りするような!?機械的な音楽性を求めていると思われる箇所があります。ドビュッシーの時代を先取りして表現したことに驚き!いや・・・時代の当然の流れ?いずれにせよ、興味深いことです


最近「音楽修辞学」について質問されたのですが、今考えてみたところ、「ある音型にこもる意味」を理解すること、と言える? 「ため息」だったり「蛇」だったり「運命」だったり「嘆き・悲しみ」だったり「喜び」だったり。個々の音型に意味があるなら、これが音楽修辞学!?


リベラル・アーツ、自由七科と呼ばれる古来西洋から伝わる学問、文系の3つが「文法学、修辞学、論理学」だそうです。「弁証法」なるものは・・・どこに入る?古い絵を見ると「文法、弁論術、弁証術」となっているよう・・・すると修辞学は? もうちょっと調べてみないと・・・


う~ん・・・仕事先移動中、空中で指を動かしていたら、ピアノ演奏にとっては望ましくないと思われる筋肉が硬くなってゆくような気がしました・・・ ピアノはあくまで鍵盤を弾くもの、空中で弾くものではない、エアピアノ練習は、良くない!?やらない方がいい!?と思われました・・・


鍵盤が身近になく、それでも指を動かして練習したい時は、自分の膝頭を包むように掴んで、指を押し動かすのが良いよう、今は思っています。(押す力の強すぎるジストニアの症状がある方はお勧め出来ませんのでご注意を!)


ピアノ演奏に必要な筋肉は、握力ではなく、指を押し下げる筋肉!? 両者では、使っている時に腕の硬くなる場所が、全然違うようです。


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