楽譜に先ず取り組む。最初はまるで理解できない。2度3度譜読みを試みると、ひとつの主題が浮かび上がり、消えて、また浮かぶ。そしてそれらが互いに関連し始める。すると私は曲の終結を開始に結び付けて感じ取れるようになる-いや、体験できるようになる。その体験こそが自分のものといえる
— チェリビダッケbot (@Celibidachebot) 2017年8月30日 - 20:19
まず最初に迅速かつ確実な読譜の力をつけてかかると、すべての音楽的教材の勉強がきわめて容易になって、どれほど時間をかせぐことになるかを予感するならば、その目的を達成するために日夜を捧げることになるでしょう。
— Kodály Zoltán (@Kodaly_bot) 2017年8月31日 - 00:12
―子供は神様の賜りもんだ、子供たちのためになるようにこそ教育すりゃいいんで、おれたちの得になるようにしちゃならない。― (『荒野の村』)
— A.Stifter_bot_JP (@AStifter_bot_JP) 2017年8月30日 - 22:36
音楽を自分の主科とみない人は、よい音楽家になることはできません。楽器は第一の副科にすぎないのです。
— Kodály Zoltán (@Kodaly_bot) 2017年8月30日 - 22:13
我々がある対象をそれ自身との関係及び他の対象との関係において考察し、その対象を直接に欲求したり嫌悪したりしないならば、我々は冷静に注意することにより、それについて、またその諸部分と諸関係についてまもなくかなり明確な理解を得られるであろう。-客観と主観の仲介者としての実験-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月30日 - 17:30
芸術の準永遠性は、受肉せる存在の準永遠性と一つなのであって、われわれは、芸術を始めるそのずっと以前に、われわれの身体において、歴史という感知し難い身体の最初の経験をしているのである。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) 2017年8月30日 - 22:50
配慮すべき第一点は、慈善が、慈善をなそうと考える相手の人々自身にも、その他の人々にも障害とならないこと、第二は、慈善が能力の範囲を越えないこと、第三は、各人の応分に従って施されることである。(『義務について』第1巻42)
— キケロbot (@cicerobot_jp) 2017年8月30日 - 23:21
自然はその無際限の生産力をもって、ありとあらゆる空間を満たす。一つ、私たちのこの世界を観察してみようではないか。私たちが悪とか不幸とか呼ぶものは全て、自然が発生するものの全てに空間を与えることはできず、いわんや永続性を付与することなど尚更できない、ということに由来している。
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月30日 - 23:30
私が究極的には根源現象に安んじていても、それはやはり諦念に過ぎない。しかし私が人間性の限界まで行って諦めているのか、それとも私の偏狭な個人的存在という仮定的な限定の内側で諦めているのか、その二つの間には大きな相違がある。-箴言と省察-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月30日 - 22:30
あらゆることの中でも愛されることにまさって権勢の確保と維持のために適切なことはなく、恐れられることよりも理に反することはない。(『義務について』第2巻23)
— キケロbot (@cicerobot_jp) 2017年8月30日 - 20:21
自然はあやまちを何ら気にかけない。自然自身は、どういう結果が生ずるかにはお構いなく、ただ永久に間違い無く行動することしかできない。-箴言と省察-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月30日 - 11:30
「自然が間違いなく行動すること」、これを黄金分割の法則に当てはめて然り!と考えています。すなわち、黄金比が現れるためには、正方形を長辺に足して長方形を繰り返し作ってゆく法則があり、その核となるのが「正方形」。
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年8月31日 - 01:02
すなわち、正しく、間違いなく進まんとする意思の象徴!?
と考えています
私が頭、心、感覚とよんでいる三つの性質があります。思考、意欲、感覚と呼んでもおなじことですが、その3つのバランスが、たえず新しくつくられることが、なによりも大切なんです。 『芸術と政治をめぐる対話』
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2017年8月31日 - 00:02
自分らしくある必要はない。むしろ“人間らしく”生きる道を考えてほしい。
— 岡本太郎 (@okamoto_taro_bt) 2017年8月30日 - 18:00
ブダペスト音楽アカデミーでは、一八八二年にやっとヴェルナーのコールユーブンゲンが、組織的なソルフェージュにたいする乏しい補充として、小合唱において使用されるようになりました。
— Kodály Zoltán (@Kodaly_bot) 2017年8月30日 - 20:13
人間の体は楽器のようなものである。正しく管理して、正しく使えば、思いどおりの音を奏でることができる。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2017年8月30日 - 22:37
私の見る所、知識はあたかも閉じ込められた、だが流動する水のように、次第にある水準にまで高まり、最も素晴らしい発見の数々は人間によってよりもむしろ時代によってなされたといっても過言ではない。非常に重要な事柄が、同時に二人或いはそれ以上の篤学の士によってなされたりするのはそのためだ。
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月30日 - 20:30
経験が、人間が企てる全てのことにおけると同様、現在私が主として論じている自然科学においても、絶大な影響を有しかつまた有すべきだと言うことを否定する人はいないであろう。-客観と主観の仲介者としての実験-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月30日 - 18:30
タールベルクは当時リストの強力なライヴァルとみなされたのですが、おそらくそれには、それなりの理由があったのだろうと思います。
— Kodály Zoltán (@Kodaly_bot) 2017年8月30日 - 18:12
物事の関係は全て真である。あやまちは人間にのみ存する。人間の真とは、彼があやまちを犯すこと、自分自身、他人、物事との彼の関係をつかめぬことにほかならない。-箴言と省察-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月30日 - 19:30
すべてのことについて少しずつ知らなければならない。なぜなら、すべてのことについて何かを知るのは、ひとつのものについてすべてを知るよりずっと美しい精神だからだ。"パスカル「パンセ」"
— パスカルbot (@pascal___bot) 2017年8月30日 - 18:20
人の心とは際限のないもの。しかし、いくら物が手に入っても幸せにはならない。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2017年8月30日 - 18:37
すべての改革は、少数派が多数派に反対する行動から始まっている。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2017年8月30日 - 19:37
・・・私は「暗譜の常識」に犯されているクラシック音楽界に一石投じたいという、少数派の意見を持って音楽活動しているところであります・・・
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年8月31日 - 01:11
常識が覆ってしまうかもしれない!?非常に危うい仕事と人生です・・・
時間とはいのちなのです。そしていのちは心の中に宿っているのです。そして、人間がそれを節約しようとすればするほど、ますますいのちはやせ細っていくのです。 『モモ』
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2017年8月30日 - 20:32
「自然は神を隠している」という。しかし、誰にでもというわけではない。-箴言と省察-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2017年8月31日 - 00:30
神は(真は!?)、
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2017年8月31日 - 01:12
いつでも、
目の前にいる!?
建築は石化した音楽だとゲーテは語っているが、彼はこのことをよく理解していたのである。
— ストラヴィンスキー bot (@strawinsky_bot) 2017年8月31日 - 00:16
現実のものとなるために、音楽現象はしたがって、必ずまたひたすらひとつの構築を必要とする。いちど構築がなされ、秩序が達成されれば、すべては言われたことになる。そこに何か違うものを求めたり、期待しても無駄だろう。
— ストラヴィンスキー bot (@strawinsky_bot) 2017年8月30日 - 21:46
「汝、かくあるべし」という戒律を与えることが大切なのではなく、子どもの中に美的な判断を呼び起こすことが大切なのでして、その結果子どもは、その感情生活をもって倫理的な問題に対した場合、善なるものが気に入るようになり、それに好感を持ち、悪なるものに対すれば反感を持つようになるのです。
— ルドルフ・シュタイナー (@R_Steiner_jp) 2017年8月31日 - 00:31