音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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リサイタルのご挨拶・曲目概説~バッハ《フランス組曲4番》《イギリス組曲5番》ドビュッシー《練習曲集》(2018年10月12日ヤマハホール)

2018年10月12日 | 音楽(一般)
~ ご挨拶・曲目概説 ~

 本日はご多用の中、こちら銀座ヤマハホールにおけるピアノ・リサイタルにご来場くださり、誠にありがとうございます。この素晴らしい響きあるホールにて、素晴らしい二台の楽器の音を、記念年である二人の大作曲家の音楽作品でお楽しみいただけますよう、奏者として尽力して参る所存でございます。

 今年はドビュッシーの没後100年という節目の年、このリサイタルを開催するにあたっては、実は様々な悩みがありました・・・ 6年前の2012年にはドビュッシー生誕150年ということで集中的にそのピアノ独奏曲を勉強し、翌年には一日で全84曲を演奏するという試みをしました。それは、人間ドビュッシーの一生を一日の内に見る、という貴重なかけがえのない芸術的経験となりました。そして2018年はふたたび記念年となり、今年はバリトン歌手の加耒徹さんという素晴らしいパートナーとともにドビュッシーの歌曲をほぼ全曲演奏する機会を得て勉強を進められたものの、しかしピアノ独奏においては、ドビュッシーの独奏演奏会を企画したいという思いはありながらも、今はまた全曲単日演奏をする時機ではないよう感じられ・・・数か月悩んでおりましたところ、今年があの大バッハ生誕333年であるということを知り、ドビュッシーとバッハを組み合わせたプログラムでの演奏会をすることに意義を見出しました! ドビュッシー晩年の作《練習曲集》における古典回帰の兆しは、J.S.バッハの音楽と並べて意味あるものと思われ、本日のプログラムへと至ったのです。ヤマハホールが333席あることも何かのご縁でしょうか!?(笑)

 本日の演奏会につきまして一つお伝えさせていただきたいことがございます。ピアノ独奏において、今日なお常識となっている暗譜とは違って、本日は楽譜を見ながら演奏させていただきます。このスタイルは、今は亡きピアノの巨匠スヴァトスラフ・リヒテル先生(ヤマハともご縁が深いピアニスト)が推奨されていたものであり、舞台上においても、作曲家の記した詳細な音楽的設計を楽譜を見ながら全う出来るよう努めるのは、演奏芸術として価値あることという考えによるものでございます。たまに、暗譜ではないことを努力不足・手抜きのようご批判受けてしまうことがあるのですが・・・そうではなく!あくまでもピアノ独奏にもおける芸術的観点に則った演奏法でありますこと、ご理解ご了承いただきたく存じます。

 以下、演奏曲目の簡単なご紹介をさせていただきます。

 まず初めのバッハ《フランス組曲》には二種類の異稿が伝わっていて、本日はそれぞれの曲を繰返しながら(まるで後者は装飾されたような感じで)、その両方をお聞きいただきたく準備いたしました。譜めくりの回数が多くなってしまいますが、音楽の妨げとならないよう努めて参りますのでご了承くださいませ・・・

 《組曲》というのは舞曲の集まったものです。雄大な《アルマンド》・・・フラットが3つある変ホ長調であるこの曲集は「3=神的」な表現を有しているのでしょうか? 続いて速い三拍子の《クーラント》、気だるく官能的!?ともいわれる遅い三拍子の《サラバンド》、《ガヴォット》はアウフタクトに始まる拍感に特徴ある音楽、速い《Air》、《メヌエット》は六拍子の音楽と捉えるのがよいそうで、1・2拍で色気を振りまき(笑)3・4・5・6と男女で回るそうです。最後は《ジーグ》、対位法的な作曲技法が駆使されたバッハお得意の終曲となります。

 《イギリス組曲5番》はホ短調・・・フランス組曲には無い壮大な《前奏曲》から始まります。続いては同じく《アルマンド》《クーラント》《サラバンド》が連なり、珍しい《パスピエ》は小ロンド形式、長調の《パスピエII》が中間部的な役割を担うようで、再び《パスピエI》が繰り返されます。最後はやはり《ジーグ》・・・半音階下降の不吉な音楽性と3回打ち鳴らされる反復音は、まるで神の試練のように私には思えることがあります・・・

 ドビュッシー《練習曲集》は今回、出版楽譜の曲順ではなく、作曲者が創作中の段階において考えたことがあると伝わる「初期稿」の順序で全12曲をお届けいたします。出版譜の楽理的な規則正しいものとは違って、ドビュッシー本人が感じるままに並べたと思われる曲順からは、作者のこの音楽への想いが如実に現れるかもしれません。余談ですが・・・私自身はこの《練習曲集》をこの曲順で演奏している事例は今まで聞いたことがなく、もしかすると今回が世界初の試み!?かもしれず、その点も併せてお楽しみいただければと思います。

 曲集の始まりを告げる《5音》、何の変哲もないドレミファソから次第に立ち昇る独特の音世界を目の当たりにすることが出来るでしょう。ドビュッシー・ワールドへようこそ!?
 続く《対比する音》は、ドビュッシー若かりし頃から力を注いで幾度も作曲された《月の光》の最終章と捉えるのはいかがでしょうか。甘く切ない恋の路・・・全ては月の光に溶け消える?(←P.ヴェルレーヌの詩より引用)
 荒々しい《和音》の連打からはなぜか「戦争」が思い浮かんでしまいます・・・しかし、中間部における突如の静寂は・・・神聖でさえある・・・?(ドビュッシーがこの曲集を作曲していた時期1915年があの第一次世界大戦の真っ只中であったこと、そして直腸癌という病魔に侵されていたことは、この音楽の内容に深く影響しています・・・)
 《アルペジオ》はこの練習曲集の中で最も有名なもの、いうなれば晩年の《アラベスク》。曲の冒頭に書かれた「lusingando」の訳が難しいのですが、私には「阿(おもね)る」という言葉が合う気がしています。それはまるで天国からの誘いのように聞こえる気がするのです・・・
 《8本指》とは、両手それぞれ4本の指を交互に使っての単旋律の音楽。あっという間に走り去る玉虫色の魅惑的な音階・・・
 《6度》を「婦人方が気だるく扇いでいる姿のよう、中間部には箸が転がっても可笑しい十代の娘が現れる!?」と伝えたのはドビュッシーから直接教えを受けた女流ピアニスト・マルグリット・ロン(私の師匠クラウス・シルデ先生のパリ時代の師)です。男女の色々、今の現実と過去の幻想・・・それらを懐かしむかのよう?
 《オクターヴ》の冒頭には「Joyeux喜び」という指示が書かれており、この言葉からはドビュッシー中期の傑作《L'isle joyeuse喜びの島》との関連が伺えましょう。晩年の・・・最後の歓喜!?
 《4度》という音程で創られる音楽はクラシックにおいては非常に珍しく、東洋的な響にも聞こえます。その舞台は、海・・・?風は・・・天の声?
 《半音階》、無窮動のように動き回る音楽はまたドビュッシーの得意なところ、《イマージュI集「動き」》や《花火》の作者ですから!その妖しげな世界に誘われるは・・・どこ?
 《反復音》でも晩年のドビュッシーの特徴的な雰囲気が表現されています。それはいうなれば・・・悪魔的・・・同じく晩年の作である《チェロ・ソナタ》や《ヴァイオリン・ソナタ》においても現れる同系列の音楽といえましょう。
 《3度》・・・曖昧模糊とした雰囲気の中に、時に鋭さが垣間見られるのはなぜ?最後には壮絶な大音量を要求されるこの音楽は戦争の悲鳴!?・・・静かな世界はいつしか陥落の危機に!?パリは燃えているか?
 最後に《装飾音》・・・「海が見える、これぞ音楽そのものだ」とドビュッシーが言ったと伝えるのもマルグリット・ロン。現実と幻想を往き来するかのような音楽は、もうこの世のものではない・・・? 私事になりますが、今年始めに母が亡くなりました・・・長年の色々な病に苦しんでいた晩年を思い返すと、無事にあちらの世界へ行けて、お疲れ様・・・という思いを私は抱いております。とはいえ、別れは別れ・・・音楽が母の供養になればとも思っております・・・

2018年10月12日 瀬川玄

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