ドビュッシーの数多くのピアノ作品の内、
現存している内で最も若い頃書かれた最初の作品に、
《ボヘミア風舞曲》という小品があります。
1862年生まれのドビュッシー、
1880年の18歳の時に作曲されたものだそうです。
18歳当時のドビュッシーは、
パリのコンセルヴァトワール(音楽院)に在籍しながら、
お金持ちの夫人に雇われ、忙しくヨーロッパのあちこちを
夫人の家族と供に動いていた頃だそうです、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fb/3c15e26c25a8f48b388ee6bb18e5f11d.jpg)
この女性はナディア・フォン・メック夫人。ロシアの大富豪で、
夫は鉄道経営者(この頃には亡くなっていたそうです)。
この夫人は、チャイコフスキーのパトロンをしていた人と言えば、
心当たりのある方もいらっしゃるでしょうか。
チャイコフスキーとは手紙で文通ををやりとりするのみで、
直接会うことは一度も無かったのだそうです。
そんな夫人は、18歳の優秀なお抱え音楽士ドビュッシーを
チャイコフスキーに手紙で紹介したらしく、その際、この曲
《ボヘミア風舞曲》が、ロシア音楽の大家(当時42歳)の元に
送られたのだそうです。
それに対するチャイコフスキーの返事はつれないもの・・・
「とるに足らないもので、第一、あまりに短すぎます。
テーマは発展するわけでもないし、形式は整っていないし、
すべてに統一を欠いています」
・・・とのこと・・・
実際に、この曲のことを見てゆきましょう。
確かに、
演奏時間は2分程度という短い曲です。
「形式は整っていない」とチャイコフスキーはいう・・・なるほど、
確かにあらためて考えてみると、思い当たるふしがなくもないです。
詳しく楽曲を見てみますと、(以下、読むのが面倒な方はこの段落は飛ばして下さい!)
冒頭【16小節】でテーマがロ短調h-mollで表され、続く第17小節から、
8小節左手が「新しい」メロディー、8小節右手が同じメロディに応える(計【16小節】)、
第33小節から再び左手の「二つ目の新しい」メロディ(転調して明るいト長調G-Dur)が
8小節+4小節(計【12小節】)、すると突如ロ長調H-Durに転調して第45小節から
右手でこの「二つ目の新しい」メロディを「Piu mosso(より動きを=速く?)」が
軽やかに歌い上げられる、これが第60小節までの計【16小節】、
ここでロ長調H-Dur(この曲の同主調)のカデンツとなり、一旦おしまいの雰囲気。すぐさま
次の61小節でロ短調h-moll(この曲の主調)に戻って、同じく「二つ目の新しいメロディ」
の断片を2小節毎にエコー(山びこ?内省的?)して、
両手のアルペジオで(←ドビュッシーサウンド!?)2小節上がってゆき、
4小節かけて半音階的にゆっくりしながら(Cedezの指示)おりてくる・・・(計【10小節】)
そして、第71小節で、冒頭のテーマが戻り「再現部」という感じ。(計【8小節】)
第79小節、同じくテーマだけれど、左手バスが今までに無い第6音で下から支えるために、
雰囲気は一変!?、なのでここから曲の終わり「コーダ」とも感じられます。
3小節で、フェルマータで停止、第82小節から引続き
全体がオクターヴ上がって(でも「pピアノ」で。前は「mfメゾフォルテ」)、
5小節、Cedezでゆっくりしながら「ppピアニシモ」でカデンツ(計【8小節】)
第87小節、Meno mosso(ゆっくりの動き=遅い?)で、いよいよ曲のおしまい「結尾」。
第87小節は左手「中低」音域でメロディ、第88小節は左手「低」音域、
第89小節は再び「中低」音域と行き来して、第90小節から終わりまで
次は両手それぞれ単音、最初は近づき、最後は遠ざかる二つの声部(計【6小節】)
・・・おしまい。
基本的には「偶数(8)小節毎」のスッキリしたメロディが多いことが分かってきます。
全曲【計92小節】
しかし、「テーマ」あり、すぐ「新しいメロディ」「二つ目のメロディ」が現れ、
それらが「テーマ(最初の16小節のみ)」よりずっと長く現れるという点や、
第17小節で「テーマ」が再現されるのであれば、その前は「中間部」であって、全体
としては「三部形式」となればよいのですが、では「中間部」がどこなのか
というと・・・それが明瞭ではない、など、
チャイコフスキー先生から「形式は整っていない」と指摘されてしまう要因は
こんな理由からでしょうか。
音楽作品における真面目な作曲姿勢(形式の整い?)などを目指すと
1880年当時すでに大家であった42歳のチャイコフスキーにとっては
このドビュッシーの小曲《ボヘミア風舞曲》は、「とるに足らないもの」
と思えてしまったのでしょうか・・・
しかし後世の我々は、ドビュッシーもまた「大家」であったことを確認しており、
そうなると、この大家の若年期の作品にも、興味を集中することが出来ます。
興味深いのは、「テーマ」よりもずっと小節数の多い「メロディ」達が
左手で奏でられ、そして右手が応えて、また左手、右手、という風に
まるで「会話」しているかのよう・・・!に出来ていること。
これに解釈をさらに進めてみますと、
楽器ピアノにおける左手は主に「低・中低」音域を担当するため、
この音域は人間の声にすると「男声」と捉えることができ、
また右手の「高・中高」音域は「女声」と捉えることができます。
すなわち、
左手と右手が交互にメロディを奏でるのは、
「男女が会話している」よう!?
「左手に男声を表し、右手に女声を表す」・・・
このように解釈できそうなピアノ作曲法は、
今後のドビュッシーのピアノ作品において
少なからず認められるところです。
「恋多き人」ドビュッシー!?当時18歳、
フォン・メック夫人の元で連続3年の夏期を雇われて、
しかし最後は夫人の五女ソニアに求婚し、夫人を怒らせてしまって
それ以後は雇われなかったのだとか・・・
「ドビュッシーらしい」エピソードと言えるのかもしれません。
この曲における奏法上の問題のひとつ、
「ペダルの使用」については、実に迷うところです。
全部で80曲近くあるドビュッシーのピアノ作品は、
この《ボヘミア風舞曲》を除いて、後は1890年以降(=二十代後半)
から晩年まで続くもので、どれも
ハーモニーの響が合うのなら「たくさんのペダル」を使う、
そういう奏法に適った作品ばかり、ということができます。
ドビュッシー自身の演奏録音が残っており(《子供の領分》など)それを聴くと、
ドビュッシー自身が演奏に際し、とても長いペダルを使っていたことが確認できます。
「長いペダル」はドビュッシーの
「ピアノ演奏美学」に問われる重要な問題だと思われます。
しかし、この曲《ボヘミア風舞曲》においては、
このドビュッシーの「ピアノ演奏美学」が疑われなくもない・・・のです。
18歳というまさに勉強途中のドビュッシー。
「ペダルを使わない」(オルガン・チェンバロのような!?)奏法でも、
この曲は演奏することが可能でもあるようなのです。
ペダルが少ないほうが、「ボヘミア」という民族的雰囲気を
創り出すことが出来るよう感じられたりもします。
しかし、若いといえど、ドビュッシーはドビュッシー、
ペダルをもちろん使った演奏も、ありえるとも思えるのです。
迷い中です。
とはいえ、
第65小節に現れる両手のアルペジオでは
長いペダル(最低2小節半)を使って
嬰ヘ長調Fis-Durのハーモニーが響き渡るのが
まさに「ドビュッシーの音楽」として成功するようです。
その後、半音階的に降りてくる分散和音も、
ハッキリとはペダルを踏み変えず、絶妙な音の濁りを残すことで
「夢の世界」の片鱗を、音として表現できましょうか。
18歳のドビュッシーにおいて、
彼の全生涯に渡る長いペダルを使う「芳醇な響き」は、
すでに《ボヘミア風舞曲》のこの瞬間に、その萌芽を
認めることができるといえるのかもしれません。
(参考文献:『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』青柳いづみこ著)
現存している内で最も若い頃書かれた最初の作品に、
《ボヘミア風舞曲》という小品があります。
1862年生まれのドビュッシー、
1880年の18歳の時に作曲されたものだそうです。
18歳当時のドビュッシーは、
パリのコンセルヴァトワール(音楽院)に在籍しながら、
お金持ちの夫人に雇われ、忙しくヨーロッパのあちこちを
夫人の家族と供に動いていた頃だそうです、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fb/3c15e26c25a8f48b388ee6bb18e5f11d.jpg)
この女性はナディア・フォン・メック夫人。ロシアの大富豪で、
夫は鉄道経営者(この頃には亡くなっていたそうです)。
この夫人は、チャイコフスキーのパトロンをしていた人と言えば、
心当たりのある方もいらっしゃるでしょうか。
チャイコフスキーとは手紙で文通ををやりとりするのみで、
直接会うことは一度も無かったのだそうです。
そんな夫人は、18歳の優秀なお抱え音楽士ドビュッシーを
チャイコフスキーに手紙で紹介したらしく、その際、この曲
《ボヘミア風舞曲》が、ロシア音楽の大家(当時42歳)の元に
送られたのだそうです。
それに対するチャイコフスキーの返事はつれないもの・・・
「とるに足らないもので、第一、あまりに短すぎます。
テーマは発展するわけでもないし、形式は整っていないし、
すべてに統一を欠いています」
・・・とのこと・・・
実際に、この曲のことを見てゆきましょう。
確かに、
演奏時間は2分程度という短い曲です。
「形式は整っていない」とチャイコフスキーはいう・・・なるほど、
確かにあらためて考えてみると、思い当たるふしがなくもないです。
詳しく楽曲を見てみますと、(以下、読むのが面倒な方はこの段落は飛ばして下さい!)
冒頭【16小節】でテーマがロ短調h-mollで表され、続く第17小節から、
8小節左手が「新しい」メロディー、8小節右手が同じメロディに応える(計【16小節】)、
第33小節から再び左手の「二つ目の新しい」メロディ(転調して明るいト長調G-Dur)が
8小節+4小節(計【12小節】)、すると突如ロ長調H-Durに転調して第45小節から
右手でこの「二つ目の新しい」メロディを「Piu mosso(より動きを=速く?)」が
軽やかに歌い上げられる、これが第60小節までの計【16小節】、
ここでロ長調H-Dur(この曲の同主調)のカデンツとなり、一旦おしまいの雰囲気。すぐさま
次の61小節でロ短調h-moll(この曲の主調)に戻って、同じく「二つ目の新しいメロディ」
の断片を2小節毎にエコー(山びこ?内省的?)して、
両手のアルペジオで(←ドビュッシーサウンド!?)2小節上がってゆき、
4小節かけて半音階的にゆっくりしながら(Cedezの指示)おりてくる・・・(計【10小節】)
そして、第71小節で、冒頭のテーマが戻り「再現部」という感じ。(計【8小節】)
第79小節、同じくテーマだけれど、左手バスが今までに無い第6音で下から支えるために、
雰囲気は一変!?、なのでここから曲の終わり「コーダ」とも感じられます。
3小節で、フェルマータで停止、第82小節から引続き
全体がオクターヴ上がって(でも「pピアノ」で。前は「mfメゾフォルテ」)、
5小節、Cedezでゆっくりしながら「ppピアニシモ」でカデンツ(計【8小節】)
第87小節、Meno mosso(ゆっくりの動き=遅い?)で、いよいよ曲のおしまい「結尾」。
第87小節は左手「中低」音域でメロディ、第88小節は左手「低」音域、
第89小節は再び「中低」音域と行き来して、第90小節から終わりまで
次は両手それぞれ単音、最初は近づき、最後は遠ざかる二つの声部(計【6小節】)
・・・おしまい。
基本的には「偶数(8)小節毎」のスッキリしたメロディが多いことが分かってきます。
全曲【計92小節】
しかし、「テーマ」あり、すぐ「新しいメロディ」「二つ目のメロディ」が現れ、
それらが「テーマ(最初の16小節のみ)」よりずっと長く現れるという点や、
第17小節で「テーマ」が再現されるのであれば、その前は「中間部」であって、全体
としては「三部形式」となればよいのですが、では「中間部」がどこなのか
というと・・・それが明瞭ではない、など、
チャイコフスキー先生から「形式は整っていない」と指摘されてしまう要因は
こんな理由からでしょうか。
音楽作品における真面目な作曲姿勢(形式の整い?)などを目指すと
1880年当時すでに大家であった42歳のチャイコフスキーにとっては
このドビュッシーの小曲《ボヘミア風舞曲》は、「とるに足らないもの」
と思えてしまったのでしょうか・・・
しかし後世の我々は、ドビュッシーもまた「大家」であったことを確認しており、
そうなると、この大家の若年期の作品にも、興味を集中することが出来ます。
興味深いのは、「テーマ」よりもずっと小節数の多い「メロディ」達が
左手で奏でられ、そして右手が応えて、また左手、右手、という風に
まるで「会話」しているかのよう・・・!に出来ていること。
これに解釈をさらに進めてみますと、
楽器ピアノにおける左手は主に「低・中低」音域を担当するため、
この音域は人間の声にすると「男声」と捉えることができ、
また右手の「高・中高」音域は「女声」と捉えることができます。
すなわち、
左手と右手が交互にメロディを奏でるのは、
「男女が会話している」よう!?
「左手に男声を表し、右手に女声を表す」・・・
このように解釈できそうなピアノ作曲法は、
今後のドビュッシーのピアノ作品において
少なからず認められるところです。
「恋多き人」ドビュッシー!?当時18歳、
フォン・メック夫人の元で連続3年の夏期を雇われて、
しかし最後は夫人の五女ソニアに求婚し、夫人を怒らせてしまって
それ以後は雇われなかったのだとか・・・
「ドビュッシーらしい」エピソードと言えるのかもしれません。
この曲における奏法上の問題のひとつ、
「ペダルの使用」については、実に迷うところです。
全部で80曲近くあるドビュッシーのピアノ作品は、
この《ボヘミア風舞曲》を除いて、後は1890年以降(=二十代後半)
から晩年まで続くもので、どれも
ハーモニーの響が合うのなら「たくさんのペダル」を使う、
そういう奏法に適った作品ばかり、ということができます。
ドビュッシー自身の演奏録音が残っており(《子供の領分》など)それを聴くと、
ドビュッシー自身が演奏に際し、とても長いペダルを使っていたことが確認できます。
「長いペダル」はドビュッシーの
「ピアノ演奏美学」に問われる重要な問題だと思われます。
しかし、この曲《ボヘミア風舞曲》においては、
このドビュッシーの「ピアノ演奏美学」が疑われなくもない・・・のです。
18歳というまさに勉強途中のドビュッシー。
「ペダルを使わない」(オルガン・チェンバロのような!?)奏法でも、
この曲は演奏することが可能でもあるようなのです。
ペダルが少ないほうが、「ボヘミア」という民族的雰囲気を
創り出すことが出来るよう感じられたりもします。
しかし、若いといえど、ドビュッシーはドビュッシー、
ペダルをもちろん使った演奏も、ありえるとも思えるのです。
迷い中です。
とはいえ、
第65小節に現れる両手のアルペジオでは
長いペダル(最低2小節半)を使って
嬰ヘ長調Fis-Durのハーモニーが響き渡るのが
まさに「ドビュッシーの音楽」として成功するようです。
その後、半音階的に降りてくる分散和音も、
ハッキリとはペダルを踏み変えず、絶妙な音の濁りを残すことで
「夢の世界」の片鱗を、音として表現できましょうか。
18歳のドビュッシーにおいて、
彼の全生涯に渡る長いペダルを使う「芳醇な響き」は、
すでに《ボヘミア風舞曲》のこの瞬間に、その萌芽を
認めることができるといえるのかもしれません。
(参考文献:『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』青柳いづみこ著)