・・・ここ百数十年に渡るピアノを弾く人々に課せられた「暗譜の義務」は、楽譜に向き合って考え、新たな発見をしながら勉強を進め、音楽的充実を得る機会を、多大に損失している気が、あらためてしました!!簡単そうに見えるショパン《バラード2番》冒頭を楽譜を見ながら弾いていて・・・思いました
「暗譜しなければ」、ピアノを弾く人がこれを意識することで、少なからず、目の前に楽譜があっても、実はそれを見ることを拒む!?という変な状態が生まれるのでは!?
目の前に楽譜があるのに、見ていないことに慣れてくると・・・音楽的それ以上の進歩を阻むことになる要因となってしまうかも!?
暗譜することが義務化されておらず、奏者がいつも楽譜を目の前に音楽を奏で、よりよいものを目指すような状態が好ましく思われました。
暗譜は、義務ではなく、覚えてしまったならそれはそれでよし!?しかし、いつでも楽譜に立ち返り、楽譜から新たな発見が自ら出来る状態に戻れないといけない?
ある曲を暗譜して、楽譜を離れ、自由に演奏しているような状態に「楽しさ」があると思います、これを否定するつもりはありません!!
しかし、暗譜して楽譜を離れ時間が経ってしまうと、少なからず、楽譜にはない自分勝手な方向へと演奏が偏る危険が出てきてしまうと思われ・・・クラシック音楽は
クラシック音楽とは、数百年の時を越えて、天才的レヴェルの高い作曲家の手により形を成した楽曲が相手の音楽です。
彼らの記譜は讃歎に値するもの!!その楽譜を目の前に置くことを大前提とし、暗譜の義務・価値からは、やはり脱却するべき!?と、思いました。クラシック音楽界の充実のためにも!?
・・・クラシック音楽界!?、まさか・・・ピアノ音楽界に限定された、つまらない暗譜の義務!?
いや、ピアノだけではない!?他の楽器は・・・?
あれ・・・その点、分からなくなってきた・・・