昨年のドビュッシー全曲演奏をして以来、久し振りにドビュッシーの曲を今弾いてみて・・・あの日、全曲演奏をした音楽的意味はドビュッシーという「一人の人間の人生を表現すること」にあったと、あらためて思い返しています。それを共有していただいた皆様、本当にありがとうございます!
昨年、父が手術し、そのヘルプも兼ねて夏の間しばらく滞在してくれていた叔母は、ドビュッシー全曲、聞き届けて下さった一人でした。その叔母は、先ほど亡くなったと報せが届きました・・・《カノープ》を、今、久し振りに弾きました 叔母も一緒に聴いてくれた曲のひとつ
そして、今、あらためて気付かされたのです。しつこいですが、ドビュッシー全曲演奏は、「一人の人間の人生を表現するコンサート」であったことを! 僕は、またやります。音楽会としてやる意味があるから。叔母はあまりに時間が長くてお尻が痛くなったと言っていましたが(笑)ごめんなさい。とみさんの安らかな眠りを祈ります。合掌