フルトヴェングラーの本を読んでいる影響か、最近は「標題音楽」か「絶対音楽」かの違いをよく意識するようになっています。今シューマン《ヴァイオリンソナタ2番》を聴きながら、「ソナタ」とはいえども、この人シューマンは標題音楽的な要素が強いなぁ!と思いました。己の物語を音にしているよう?
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思いを音に現すのが「標題音楽」、音自体に何かが現れるのは「絶対音楽」、!?・・・何か違いがありそう。主軸が「自分の思い」にあるのか「音そのもの」にあるのか!?という違い? 「ロマン派」の特徴は「自分の思い」にあり!? シューマンこそロマン派の権化!?ベートーヴェンは先駆者!?
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シューマンを聴いた後、自分は今ラヴェルの《ヴァイオリンソナタ》を手掛けているのですが・・・こちらは間違いなく「絶対音楽」であるよう思われています。音自体に表現が「在る」という感じ!? それに比べると、ドビュッシーの《ヴァイオリンソナタ》は「標題音楽的」であるように思われました
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そして、近い機会にちゃんと宣伝したく思いますが、12月11日には鶴見のサルヴィアホールにてメンデルスゾーン《無言歌》を演奏することになりました。ピアノ独奏の《無言歌》、これも「絶対音楽」だと思っています。メンデルスゾーンの思いは、音になって現れている、籠めているのではなく!?
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