プログラムの入稿完了!!重荷がひとつ降りた感じです・・・ふぅ。演奏者自身でやってます。一流の演奏家はそんなことは自分でしない!?という先入観・・・自分でやるなんて・・・という引け目は、もう脱却したいです!はい、自分でやっています(笑)文章等ミスがあったら御免なさいです(苦笑)
「光あれ」・・・という言葉が聞こえてきた気がしてしまいました、ベートーヴェン《ヴァルトシュタイン》を弾きながら・・・ これは天地創造の音楽のように思えたのです!!!
これはしかし、私の勝手で独断的な単なるイメージ・・・ではないはずなのです。このイメージがなぜ湧いてきたかというと、作者ベートーヴェン自身の言葉を読んだからです。作者自身の言葉というものは重要です・・・
「<讃歌>あらゆる空間と無限の時間を通して拡がる、精霊のなかの精霊よ。御身は虚空を目指して闘う、あらゆる思想の限界を越えた高みにあり、楯突く者を美わしき秩序へと統率し給う。」ベートーヴェンの日記の中の文章なのだそうです。彼自身の手により書き込まれた言葉!!
本番まで、今日で・・・ちょうど一週間!? 練習・勉強すればするほど、色々と発見が出てきてしまう・・・「完全」には程遠い!!と謙虚に自覚し、しかし、皆様にあまり失礼ないような形には取り合えず仕上げるよう、出来る限りを尽くしてみます。演奏会をするとは、こういうもの?
完全を目指す心をもって!松毬(まつぼっくり)のように!!(そして、完全な形の松毬はこの世に存在しないという事実をしっていれば、自然な心境でいられる!? 変なプレッシャーと闘わないでよい!?)
ベートーヴェン「天地創造」を想わせるこの楽曲《ピアノソナタ第21番op.53》を献呈されたヴァルトシュタインという人は・・・一体どのような気持ちだったことでしょう!!?
ピアノ演奏における指使いを決めるにあたっては二通りのやり方があるよう。「音楽性重視」か「肉体性(=指の都合)重視」か・・・どちらが良いとも悪いともいえず、ただ、そのどちらをその時に自分が選択しているかを分かっていれば、間違いが少なくなるのでは!?と思いました
「音楽性重視の指使い」か「肉体性重視の指使い」か・・・両者が一致すれば最高ですが!必ずしもそうとは限らない!?のかも・・・です・・・いや、そう感じるのはまだまだ修行が足りないからかしら・・・それとも?いやはや・・・
ベートーヴェン《ヴァルトシュタイン》・・・なんだか場所によっては、右手と左手による弁証法的な問答をやっているような気がしてきました・・・ テーゼとアンチテーゼ!? 創造の苦しみ!? ジンテーゼとは!?
せっかく音楽的に良いと思って選んだ指使いが、次の日になって(あるいは本番中に!?恐)うまくいかないことが・・・あったら、それは「肉体性重視の指使い」に反している結果かもしれません。音楽的理想の指使いを肉体に覚えさせるか、しかし無理をさせ過ぎないか・・・判断が難しそう
「音楽性重視」「肉体性重視」、両者の指使いをよく知っておいて、本番になったら臨機応変に使い分ける!? (その余裕があればいいけど!いやはやはたして・・・)