レオナルド・ダ・ヴィンチの座右の銘は「Ostinato rigore(飽くなき厳密)」なのだそう。・・・加藤周一曰く「絶えず執拗にあらわれるところの厳密さ、です。」だそうです。
#の本分は「上行」にあり、♭の本分は「下行」にある、そんな気がしてきました。下行音型における#は、あまり本分ではないので、表現を強調しないくらいで大丈夫!? 逆に、上行の#では、高めの音程を意識することで音楽性が高まる!?(高くした分、次に辻褄合わせしないと!?)
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ヴァレリー曰く「詩と散文は、踊ることと歩くことの違いのよう」だそう。目的があり向かうのが歩きで、散文はこう。踊ること自体が目的なので、詩は、これに似ている、と! 分かりやすい例えと思われました。そして、音楽において考えてみますと
散文は「歩き」のよう、詩は「踊り」のよう。だとすると、音楽においては「標題音楽」が散文的で、「絶対音楽」が詩的である、!?と、ピタリ当てはまる気がしました。音を目的(プログラム)のために使うか、音自体に目的があるのか、の違い!?
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標題音楽と絶対音楽の違いは、散文と詩の違いに似ている。いかがでしょう? どちらが良い悪い・優れている劣っているという問題ではなく「根本姿勢の違い」と認識すべき問題のように思えてきました。
音楽における「ライヴ(生演奏)」と「録音」の違いは、試合における「ホームとアウェイ」の違いのよう思え始めてきました。一方では積極的になれて、他方では守りを強くする戦い方が場にあっているような・・・!? 奏者は、その場に合わせた準備・心積もり・戦い方をすべき!?