最初に記憶があった。記憶は生き続ける。記憶は神的だ。記憶は命であり、その命は、人間自身の中に流れる人間の自我だ。人間だけでなく、キリストが人間の中にある。人間が神的な命を思い出すと、人間の記憶の中にキリストがいる。そして、現在の闇の中に、輝く記憶の命として、キリストが照るだろう。
— ルドルフ・シュタイナー (@R_Steiner_jp) 2018年1月18日 - 09:01
・・・記憶があるということは、生きているということ!?
— Gen Segawa 瀬川玄 (@pianistGS) 2018年1月18日 - 12:55
・・・つい最近、考えていたところでした・・・
自分の持っているものに、ありあまる豊かさを感じない人間は、たとえ世界の征服者となっても不満足である。
— エピクテトスBOT (@bot_epic) 2018年1月18日 - 08:02
百年、二百年後の人たちが、私たちがもつ世界観に、信じられぬと首をふることは考えられることでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2018年1月18日 - 02:32
自分の身は自分で守るしかない。政府がいかに努力したところで、あなたたちを救うことはできまい。そのとき、あなた自身が政府となるのだ。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2018年1月18日 - 02:37
人間をまさに人間たらしめるものは、いつまでも粗野な自然が創り出したままのものに留まっていず、自然が前もって連れて歩いてくれた道を、逆に理性によって後戻りし、必要から強制される仕事を自由な選択による仕事に作り変え、そして自然的必然性を道徳的必然性に高める能力にあります。-美的書簡-
— フリードリッヒ・フォン・シラー (@F_V_Schiller_jp) 2018年1月18日 - 10:29
ブルックナーの交響曲を聴き終わると、我々は完璧無欠なものを体験したという想いを抱く― 全てのものの中を歩みつくしたという感覚
— チェリビダッケbot (@Celibidachebot) 2018年1月18日 - 08:19
生命ある統一体の基本的性質とは、分離する、結合する、一般的なものへ移行する、特殊なものに留まる、変化する、特殊化する、そして、生命あるものが無数の条件下でそうなるように、現れ出ることと消え去ること、堅牢になることと溶けること、固まることと流れること、広がることと縮むことだ。
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2018年1月18日 - 03:30
人間よ、お前は宇宙の縮小された姿だ。宇宙よ、お前は遥かな果てにまで流れ出た人間の本質だ。
— ルドルフ・シュタイナー (@R_Steiner_jp) 2018年1月18日 - 09:30
目には目を。そんな復讐の連鎖がやむことがなかったら、世界は盲目になるだけだ。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2018年1月18日 - 10:37
魂に光を注いでくれる言葉は、どんな宝石より貴重である。
— 名言BOT (@BOT16739526) 2018年1月17日 - 21:37
リヒテルと話す機会は何度かありましたが、実に気さくな人で、言葉を交わしたロシア人音楽家のほとんど誰よりもはるかにオープンでした。 (『グレン・グールドは語る』 )
— グレン・グールド (@ggbot_) 2018年1月18日 - 12:22
道徳的に成熟した人びととは、「未知のものを必要とする」ようになった人びと、自分の生活になんらかのアナーキーがなければ不十分だと感じる人びと、すなわち「自分たちのあいだの『他者性』を愛する」ことを学ぶ人びとなのである。(『グローバリゼーション』)
— ジグムンド・バウマンbot (@Bauman_Zygmunt) 2018年1月18日 - 11:19
「音楽のドラマを伝えるためには演奏家は役者であるべきであり、音楽を感じ、顔と身体で感情を表現しなければならない」
— Beethoven (@beethovenven) 2018年1月18日 - 02:42
フランス・イタリー派のやり方は、歌をとおして音楽に近づく。フランス人やイタリー人にとっては、いずれかの楽器をよくマスターするということは、その楽器で歌うということなのだから。
— Kodály Zoltán (@Kodaly_bot) 2018年1月18日 - 12:12
私どもはヴァグナァの楽劇について論じ合った。…私が昂奮しきって話し出すと、彼は突然立ち上がって私を抱き、頬に口に強烈な接吻を強いる。知性の漲り立つ男性のほど美しいものはないと言って。鬚面の接吻はまことに迷惑至極であり、頬ははれ上がるほどピリピリした。
— 山田耕筰bot (@kyamadabot) 2018年1月18日 - 10:03
この地上の理不尽に目をつぶることなく、愛ある行いを実践しようとする人がいる限り、わたしたちはそれに続かなくてはならない。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2018年1月18日 - 00:37
子供たちの天国。――子供の幸福は、ギリシア人たちによって物語られた、あの極北の民の幸福と全く同じに、一個の神話である。-漂泊者とその影-
— フリードリヒ・ニーチェ (@F_W_N_jp) 2018年1月18日 - 00:02
詩を"理解した"というとき、それはどのようなことなのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
— ミヒャエル・エンデ (@Michael_Ende_jp) 2018年1月18日 - 02:02
最高の次元と最低の次元とにおいてのみ理念と現象は合致する。観察にせよ、経験にせよ、その中間段階においては両者は分離する。最高の次元とは、異なるものを同一のものとして眺めることであり、最低の次元とは、離れたものを同一のものに積極的に結合すること、即ち行為である。-箴言と省察-
— ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (@J_W_Goethe_jp) 2018年1月18日 - 08:30
しかし、中でもとりわけ愚かなのは、国民の制度や法律において定められていることはすべて正しいと考えることである。僭主の法律であっても、正しいというのだろうか。(キケロ『法律について』第1巻42)
— キケロbot (@cicerobot_jp) 2018年1月18日 - 11:21
人は自らの手足を使って働き、日々の糧であるパンを得るべし。額に汗して働かない人に、どうして食べる権利があるだろう?(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2018年1月18日 - 01:37
今、どのような苦境に立たされていたとしてもそれはひとつも無駄ではないし、なにより神様と無関係な事柄ではありません。必ず報われます。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(コリントの信徒への手紙一15:58)
— 信仰日々徒然 (@faith_tsurezure) 2018年1月18日 - 01:14
"時は帰らない"という言葉はいわゆる、過去は取り戻す事が出来ないという意味においてのみ正しい。各人にとって現在という時々と変化する瞬間の、過ぎ去る事のないリアリティーがまさに過去の中に蓄えられていくとするならば、過去はある意味現在よりもリアルである。
— Andrei Tarkovsky (@TarkovskyJP_bot) 2018年1月18日 - 11:11