音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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「印象派ではない!?幻想家ドビュッシーの世界」 ~ 1月8日(火)のつぶやき

2013年01月09日 | ドビュッシー Claude Debussy

ドビュッシーの音楽は、印象派ではない、なぜなら、作者は現場に行ってその印象を写したわけではないから。スペインにも、南イタリアへも、ましてやアジアへもドビュッシーは行ったことがないそうです。「印象派ではない」証拠、となりましょうか?(そもそも「印象派」とは?)


ドビュッシーの創り出したものは、何かにインスピレーションを受けたことはあるにせよ、自身の中にある「Image(心象←単なる映像でなく)」が発端であり、源泉である、というとよいのでしょうか。「ドビュッシーは幻想家」と言っても、よいかも?


作曲家ドビュッシーが、楽譜に書き記した音楽作品には、彼の思い描いた様々な幻想の世界があって、作品それぞれの世界観を満喫しようとするならば、「作曲家を追体験してゆくこと」がその世界観を生々しく充実して感じ取れるようになる方法のひとつと思われます。


作曲家が読んだり、見たり、触ったり?したものを追体験することで、書かれた作品の個性を越えた普遍的な価値を有した世界観にたどり着くことができるのかもしれません。それが成功した時の充実感は格別に面白いもの!?


ドビュッシー《子供の領分》の5曲目《小さな羊飼》は・・・今まで何故か当たり前に「男の子」を想像していたのですが、そうではなく「女の子の羊飼」かも!?と、今初めて思いました。ドビュッシーが娘シュシュを思って書いた《子供の領分》なのだから、尚更「女の子」という設定は納得!?


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