ベートーヴェン最大のピアノソナタ《op.106「ハンマークラヴィア」》を演奏するにあたって、それは「エベレスト・チョモランマを登るよう」に例えたことがありましたが、最近、ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》を演奏するのは「霊峰を登るよう」思い付きました
霊峰を登るようなベートーヴェン最後の《ピアノソナタop.111》・・・嵐のようなI楽章の登山が過ぎると、突如現れる静けさの世界、そんな素敵な山、実際にもあるような気がします(私は登山はしないので具体的に分かりませんが・・・想像して楽しんでいます)
若かりし頃のベートーヴェンの逸話~「ヴァルトシュタインが選帝侯の劇場で古代ゲルマン風のバレエを上演した折には、ルートヴィヒがそれに音楽をつけている。これが現在『騎士バレエ』(WoO1)として残っている作品である。」(青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』より)
手塚治虫の遺作『ルートウィヒ』でも、ベートーヴェンの友人としてノッポなワルトシュタイン君が描かれています。おそらく同年代で二十歳前後だった二人の交遊関係が想像されます。そしてベートーヴェンはあの晴れやかなピアノソナタ《op.53》をそのワルトシュタイン君に献呈している!
あぁ・・・楽譜に書かれた音価を完全に正確に弾こうとするあまり、あの美しい《悲愴》2楽章の中声部を両手を使って弾くというアレンジを試みていましたが、ファンタジーが膨らんで来たら、両手でギクシャクと音を紡いでいたら、きれいに飛べない気がしてきた・・・やっぱ片手(右12指)でないと?
「表現したいものがある」、こうでなくっちゃ舞台に上がることは出来ない!? では「何を表現するか」? これ、人それぞれ、また時によっても色々だと思われました。はてさて、明後日のベートーヴェン本番で表現することとは・・・?
今の私は考えてみたら、「私が何を感じるか」を表現したいわけではない。「音が感じさせてくれるものを表現したい」です。本番が近くなり、情感が高まり(←悪いことではない?)、しかしつい「自分の感じ」に没する危険を感じ、自戒の意味を込めて呟いてみます
「私の感じ」が先行してしまうか、「音に私が感じる」のか、一見しては紙一重のようですが、違いは大きいと思われます。簡単に言っちゃえば主観的か客観的かの違い?(客観的で不感症な演奏は論外としたいです!)すなわち、客観性に主観も同調するような境地が理想!?
父がよく言うのです、演奏会の仕事をしていると、演奏者がリハーサルを長くしすぎて本番では疲れてしまってリハのように上手く弾けない事例がある、と。しかし・・・何回も本番があり曲に慣れているくらいの奏者ならリハが少なくていいでしょうが、普通はこうはいかないと思う(父に反抗(笑))
「リハーサルは短く、本気を出さないよう」、確かに一理ありますが、滅多に無い機会の本番なぞは、リハーサルでも入念に準備して良いことにします(父の雑念を抹消努力中(笑))。本番に温存しつつ(←やはりこれ必須条件)、そのためのリハは心置無くする、したいものです
だって、リハーサルが長くなってくると文句が出るんだもの!言わなくても気配が伝わってくる「長すぎる、本番が疲れてしまう」、そんなこと言われて、困っています。リハしながら「リハ長すぎるかな?」と心配してしまい、リハに集中できないとしたら、これは良くない。自立するぞ、ふん。(笑)
とはいえ、父の意見を無下にはしないほうがよさそう。「本番に備え、リハーサルは温存しつつ」この心掛けは、本番を充実して出来るための、大事なコツのひとつかもしれません。
父曰く、故S.リヒテル先生は、リハーサル無しで、開演時間5分遅れて、そのまま舞台にあがっていたとか。これは普通の演奏者にとっては全く参考にならない!(爆) 巨匠・巨人リヒテルならではの逸話ということで、心に止めておくに限りましょうか。
ベートーヴェン《ワルトシュタイン》の中間楽章(?)、冒頭は当たり前に「へ長調F-Dur」と思っていましたが、もしかすると最初のFの音は、あまり主音と感じず、最初から「イ短調a-moll」のVI音と考えた方が、緊迫感が増す!?
私の今表現したいもの、それは「事実に則した時に発生する音楽の力」といったところでしょうか。実際に出来るかどうかは運を天に任せて!?神のみぞ知る!?・・・最終的にはそうでしょうが、それ以前に出来ることがあるなら、今の自分に出来るだけ準備して、本番を迎えたいと思います
なんということ!?ベートーヴェン《悲愴》I楽章、アレグロに入って1頁もの間、ひとつも「fフォルテ」という指示は無い・・・つい「ベートーヴェンの音楽だから」と激しく弾きたくなる気持ちがあったが、これは間違い!?この頁は静か!?なぜなら微かに聴こえ始めた耳鳴りの恐怖の表現だから!?
ベートーヴェン《悲愴》アレグロの冒頭を、無闇やたらと大きな音で弾こうとするから、左手の長きに渡るトレモロが異常に辛くなる!? これは本来、そんなに無駄にうるさい音楽ではないのかも・・・左手に無理の無い適切な音量で充分に緊迫感は表現される!?いや、むしろこのほうが!?
とことん、正しく演奏したい!なぜならきっとその時、自由を得られるだろうから
ベートーヴェン《悲愴》第2楽章の中間部には、既に後期の3ソナタのアイディアが芽生えている!?よう、思えました。変イ短調asは《ソナタ31番op.110》「嘆きの歌」の調性・・・これが転調した先は明るいホ長調E、これはもちろん《30番op.109》の主調性。
「勝てない相手はもういない」曰くテニス錦織圭選手、ここに真理は!?(ある気がする!)
「テニスがいい」曰くテニス錦織圭選手。以前から、なんと客観的な面白い言葉!と思っていました
ピアニスト園田高弘邸が、有形文化財に登録されたとのこと!? どんな家なんだろう、興味が沸きました。(ピアノのある部屋は吹き抜けとのこと、やっぱり♪)