音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆楽譜の行間・裏側にあるもの

2010年01月04日 | ◆一言◆
つい先程の記事にて、
「音譜の裏側にあるもの」
「楽譜の行間を読む」
という言葉がしっくり来ない・・・
と公言してしまったものの、
多くの先人達が口にするこの言葉、
軽かろんじては痛い目をみるようにも思えて、
再度、
考えてみました・・・

自問自答・試行錯誤の過程に現れる矛盾は、
まじめに物事を考えようとする際の健全な道のりと信じたいものです・・・

きっと、どちらの意見にも正しさがあり、間違いもあり、結局は
一方に「偏りすぎてしまってはいけない」というところに決着をみるような気もします。


言い訳はさておき、さて、果たして、
「音譜の裏側」
「楽譜の行間」
には何があるのだろうか?

思い当たるところでは、
やはり「音譜の裏側」にあるとするならば、
それは一見分かりにくいかもしれないけれど、確実に
クラシック音楽においては音列の裏側に流れている
「ハーモニー・和声の流れ」

これを「裏側にあるもの」
と表現することは出来るのかもしれません。

いやでもこれは、先の記事内容と重なるところ・・・
ゆえに、ハーモニーをとらえるのは
音譜を理解することから出来るものだとすると、
これはやはり「裏側」とは言いたくないような気がする・・・



それでは、これはどうでしょう?

その音楽作品を書いた作曲家個人の人間性・作曲の背景などは
音譜に直接は記すことの出来ない
まさに「裏側の事情」といえるのでしょうか!?

●バッハが教会を働き場の主としていたこと、
●モーツァルトの神童としての幼少時代と、成人した後の苦悩、それでも彼の内に流れている最高に美しい音楽への自身の確信!!・・・
●ベートーウ゛ェンの難聴・・・
●シューベルトの若くしてかかってしまった病・・・
●シューマンの境遇、妻と、若き才能ブラームスの台頭、自身の古典的才能の限界・・・
●その恩人の自殺を目の辺りにした若きブラームスの独身の一生・・・
●二度と故郷に帰ることのなかったショパンやラフマニノフ・・・

挙げればきりがない
クラシック音楽における数多の作曲家達の人生のドラマは
少なからず、彼らの作品に反映されているはずで、
これを知り、作品への共感を増すことは
演奏する者にとって「楽譜の裏側」をのぞく・読む作業と
いえるのかもしれません。





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