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反好事家八分音符氏(ムッシュー・クロッシュ・アンティディレッタント)著
(ドビュッシーのペンネーム)平島正郎 訳
『ドビュッシー音楽論集』岩波文庫より抜粋
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要するに、『田園交響曲』の人気は、
自然と人間とのあいだでかなり一般的になっている誤解から、生じている。
小川のほとりの場面をごらんなさい!
・・・・・・牛たちがどうやら水を飲みにやってくるらしい(ファゴットの声部が、
そうおもう気をおこさせる)小川。
その名にあたいする自然よりもド・ヴォカンソン氏の技術に属する、
木製の夜うぐいすやスイス製かっこうは、言うまでもない・・・・・・。
万事が骨折り損のそら真似か、もっぱら気ままな注釈だ。
老巨匠の何頁かが、
風景の美のもっと深みのある表現をどんなに含んでいることか。
それはひたすら、
自然のなかにある〈目に見えないもの〉の感情的なおき換えがあるからで、
直接の模写があるからでは、もはやない。
森の神秘が、樹々の高さを測ることによって、あらわされるだろうか?
それどころか想像力を発動させるのは、
むしろ森の測れない深さではないか。
一方で、この交響曲のベートーヴェンは、
書物を通じてしか自然を見ない一時期についての、責任がある・・・・・・
これは、まさしくこの交響曲の一部分である「嵐」のなかに、
はっきりした証拠がある。そこでは、
生きものや事物のいだく恐怖が、あまり本気らしくない雷の鳴りひびくあいだ、
ロマンティックな外套(マント)のひだにくるまる。
私がベートーヴェンに無礼なまねをしたがっていると考えたら、
それは莫迦げた話だ。
ただ、彼のような天才音楽家は、
ほかのひとよりもいっそう盲目的に間違いをしでかすことが、できた・・・・・・
ひとりの人間が、傑作しか書かないなんてことは、あるものじゃない。
そしてもし『田園交響曲』をこんなに傑作あつかいしてしまうと、
ほかの場合にこのことばの有難味がなくなってしまう。
そして私の言いたいことは、まずこれに尽きる。
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(ドビュッシーのペンネーム)平島正郎 訳
『ドビュッシー音楽論集』岩波文庫より抜粋
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要するに、『田園交響曲』の人気は、
自然と人間とのあいだでかなり一般的になっている誤解から、生じている。
小川のほとりの場面をごらんなさい!
・・・・・・牛たちがどうやら水を飲みにやってくるらしい(ファゴットの声部が、
そうおもう気をおこさせる)小川。
その名にあたいする自然よりもド・ヴォカンソン氏の技術に属する、
木製の夜うぐいすやスイス製かっこうは、言うまでもない・・・・・・。
万事が骨折り損のそら真似か、もっぱら気ままな注釈だ。
老巨匠の何頁かが、
風景の美のもっと深みのある表現をどんなに含んでいることか。
それはひたすら、
自然のなかにある〈目に見えないもの〉の感情的なおき換えがあるからで、
直接の模写があるからでは、もはやない。
森の神秘が、樹々の高さを測ることによって、あらわされるだろうか?
それどころか想像力を発動させるのは、
むしろ森の測れない深さではないか。
一方で、この交響曲のベートーヴェンは、
書物を通じてしか自然を見ない一時期についての、責任がある・・・・・・
これは、まさしくこの交響曲の一部分である「嵐」のなかに、
はっきりした証拠がある。そこでは、
生きものや事物のいだく恐怖が、あまり本気らしくない雷の鳴りひびくあいだ、
ロマンティックな外套(マント)のひだにくるまる。
私がベートーヴェンに無礼なまねをしたがっていると考えたら、
それは莫迦げた話だ。
ただ、彼のような天才音楽家は、
ほかのひとよりもいっそう盲目的に間違いをしでかすことが、できた・・・・・・
ひとりの人間が、傑作しか書かないなんてことは、あるものじゃない。
そしてもし『田園交響曲』をこんなに傑作あつかいしてしまうと、
ほかの場合にこのことばの有難味がなくなってしまう。
そして私の言いたいことは、まずこれに尽きる。
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