世界の平和と正義を心から願うバラク・オバマというこの人を、私は嫌いにはなれない。
正義、この素晴らしくも厄介な言葉・・・、自分勝手な狭義の意味では全くない、プラトンの『国家』にて追求するような「真の正義」を、人は・人類は諦めてはいけないと思います。いやはや、本当に厄介な問題ではありましょうが・・・
ノーベル平和賞の受賞者であるバラク・オバマ氏。アメリカの現状は、戦争とは切っても切れない複雑な状態に常にあり、平和主義を想っていてもその舵取りはとてつもなく難しいでしょう・・・しかし、人類にとっての貴重な賞をすら否定するような絶望的な方向へは、世界は向かってほしくないです
人間同士(いや、動植物に対しても!?)のコミュニケーションは、究極的には「意識」にあるよう、音楽を常日頃しながら思うことが少なからずあります。音楽に限らず、外国語での対話において、発音が下手でも綴りの意識がハッキリしていたら通じた体験があり、やはり「意識」では!?と。
外国語の発音・・・日本人にはなかなか難しいところかもしれませんが、外国語その発音の構造を理解し(←これは声楽家の勉強みたい!?)、これを正しく口に出すよう心掛けることで、外国語でのコミュニケーションの成功率は増えるのではないだろうか?
日本人が外国語が苦手な理由は、それは、平仮名・片仮名、一文字の中に母音と子音が入っていることを知らず、これを当たり前と思っているところ!?
コーラス等で声楽の勉強をしたことで、歌唱における子音と母音への注意は、普段何気無く日本語をしゃべっている自分にとっては、目から鱗が落ちるような真実の発見でした・・・ 当たり前と思っているその事柄には、気付かなかった重要性があること少なからず!?
外国語の発音、コミュニケーションの成功と、音楽における意識の重要性が重なって、いずれにせよ「分かっている」ということが、音楽にせよ会話にせよ、コミュニケーションの鍵を握るキーワードなのかも!?と考えられました。
音楽を演奏しながら、自分が何を意識しているか、何を感じているか、何を面白く素敵に感じているか、その理由が分かって演奏できるならば、それはきっと高度な音楽芸術となりえるのではないだろうか!?