ブラームス後期の作、
《クラリネット・ソナタ 変ホ長調 op.120-2》を譜読みしているのですが、
読み進むにつれて、「やはり」
ブラームスが、彼が目指したベートーヴェンが
生涯をかけて目指したものだったという軌跡を
見ることが出来るような気がしました。
いや、この頃(後期)のブラームスにとっては、
もはや「ベートーヴェンの後継者かどうか」ということは
大事な問題ではなかったしょう。すでにブラームスは
彼の音楽、彼の芸術を確立していたのでしょうが、
それ以上に、この《クラリネット・ソナタ》では
彼がベートーヴェンを「模倣」したくて仕方がなかった!?ように
思えたのです。
この《クラリネット・ソナタop.120-2》(この曲は
ヴィオラでも演奏されることがあり、あるいは
他の楽器、たとえばフルートなどで演奏されることもありますが、
それは全然構わないとも、最近の自分は思うのです・・・
だって、音楽そのものが、楽器の種類を超越して
素晴らしいものなのだから!!)
は、
全3楽章からなる作品です。
最終楽章の第3楽章、ここに、
ベートーヴェンの背中を、実に色々な側面から
垣間見られる気がしました。
テンポは「Andante con moto」の6/8拍子 ↓
・・・そして、
ベートーヴェンの「本当に最後の」ピアノソロ大作、
《ディアベリ変奏曲 op.120》の最後 ↓
●アウフタクトに始まる付点リズム
(この形は、ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》の
終楽章とも同じといえるでしょう)
●ゆっくりめの三拍子系の音楽であること
・・・といった要因が、
このふたつの作品を「似ている」と思わせるのでしょうか。
そして、
このブラームスの《ソナタop.120-2》の終楽章は
「変奏曲」の形式をとっています。
すなわち、これは
ベートーヴェン最後の《ピアノソナタ op.111》の終楽章と
同じ形をとっているということになります。
●次々に音価が細かくなって
スピード感(←アグレッシブなものではなく)が増してゆく
変奏の仕方も、両者に一致する特徴のひとつです。
そして、
●スピード感が頂点に達する!?と次に、
「静寂」が訪れるのも、これまた同じ・・・
さらには、
●「静寂」の先に、
「奇跡」のような瞬間が訪れるのも似ている・・・?
それは、
ベートーヴェン《ピアノソナタ op.111》においては、
長い長いトリルの形で ↓
ブラームス《クラリネット・ソナタ op.120-2》においては、
クラリネットとピアノの右手の両者による
長い長い3度の下降の形で ↓
もちろん、
ブラームスがベートーヴェンの後の世代の人、
ゆえに、ブラームスがベートーヴェンを「模した」
ということになるのは当然なのですが、
「模した」のは、前にも書きましたが、
ブラームスがそれを「模したくて仕方がなかった」
からなのではないか、と強く思わされるのです。
ベートーヴェン最後の《ピアノソナタ》や《変奏曲》、
19世紀後半、ドイツ・ロマン派を悶々と駆け抜けた老ブラームスが、
再びベートーヴェンのそれに戻ってゆく姿を見るのは、
なんだか心を動かされるものがあります。
音楽の「巨匠」となっているこの頃のブラームスは、
それでも先人ベートーヴェンを想い、彼についてゆく・・・
クラシック音楽の歴史における大きく重要な「ひとつの流れ」を、
ここに垣間見る気がするのでした。
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PianistSegawaGen@aol.com
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《クラリネット・ソナタ 変ホ長調 op.120-2》を譜読みしているのですが、
読み進むにつれて、「やはり」
ブラームスが、彼が目指したベートーヴェンが
生涯をかけて目指したものだったという軌跡を
見ることが出来るような気がしました。
いや、この頃(後期)のブラームスにとっては、
もはや「ベートーヴェンの後継者かどうか」ということは
大事な問題ではなかったしょう。すでにブラームスは
彼の音楽、彼の芸術を確立していたのでしょうが、
それ以上に、この《クラリネット・ソナタ》では
彼がベートーヴェンを「模倣」したくて仕方がなかった!?ように
思えたのです。
この《クラリネット・ソナタop.120-2》(この曲は
ヴィオラでも演奏されることがあり、あるいは
他の楽器、たとえばフルートなどで演奏されることもありますが、
それは全然構わないとも、最近の自分は思うのです・・・
だって、音楽そのものが、楽器の種類を超越して
素晴らしいものなのだから!!)
は、
全3楽章からなる作品です。
最終楽章の第3楽章、ここに、
ベートーヴェンの背中を、実に色々な側面から
垣間見られる気がしました。
テンポは「Andante con moto」の6/8拍子 ↓
・・・そして、
ベートーヴェンの「本当に最後の」ピアノソロ大作、
《ディアベリ変奏曲 op.120》の最後 ↓
●アウフタクトに始まる付点リズム
(この形は、ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》の
終楽章とも同じといえるでしょう)
●ゆっくりめの三拍子系の音楽であること
・・・といった要因が、
このふたつの作品を「似ている」と思わせるのでしょうか。
そして、
このブラームスの《ソナタop.120-2》の終楽章は
「変奏曲」の形式をとっています。
すなわち、これは
ベートーヴェン最後の《ピアノソナタ op.111》の終楽章と
同じ形をとっているということになります。
●次々に音価が細かくなって
スピード感(←アグレッシブなものではなく)が増してゆく
変奏の仕方も、両者に一致する特徴のひとつです。
そして、
●スピード感が頂点に達する!?と次に、
「静寂」が訪れるのも、これまた同じ・・・
さらには、
●「静寂」の先に、
「奇跡」のような瞬間が訪れるのも似ている・・・?
それは、
ベートーヴェン《ピアノソナタ op.111》においては、
長い長いトリルの形で ↓
ブラームス《クラリネット・ソナタ op.120-2》においては、
クラリネットとピアノの右手の両者による
長い長い3度の下降の形で ↓
もちろん、
ブラームスがベートーヴェンの後の世代の人、
ゆえに、ブラームスがベートーヴェンを「模した」
ということになるのは当然なのですが、
「模した」のは、前にも書きましたが、
ブラームスがそれを「模したくて仕方がなかった」
からなのではないか、と強く思わされるのです。
ベートーヴェン最後の《ピアノソナタ》や《変奏曲》、
19世紀後半、ドイツ・ロマン派を悶々と駆け抜けた老ブラームスが、
再びベートーヴェンのそれに戻ってゆく姿を見るのは、
なんだか心を動かされるものがあります。
音楽の「巨匠」となっているこの頃のブラームスは、
それでも先人ベートーヴェンを想い、彼についてゆく・・・
クラシック音楽の歴史における大きく重要な「ひとつの流れ」を、
ここに垣間見る気がするのでした。
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