ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】じぶん・この不思議な存在

2006年02月06日 22時02分02秒 | 読書記録2006
じぶん・この不思議な存在, 鷲田清一, 講談社現代新書JEUNESSE 1315, 1996年
・万人に広くオススメできるタイプの本ではありませんが、私的にはド真ん中のストライク。ひさびさに衝撃受けました。こんな衝撃は、永井均『<子ども>のための哲学』以来かな・・・ 2月にして、2006年のベスト本はこれで決まり!でしょう。たぶん。 なんの気なしに買ってみた本だったけど大当たり。
・だれもが「あたりまえ」と感じ、見過ごす日常について、立ち止まり、考え、意味をつけ、解釈していくという哲学のプロセス(思考の過程)を追体験できる。 書いてあることを鵜呑みにするわけではなく、ある特異な一個人の思考(頭の中味)が見えるという点で、非常に興味深い。 人間ておかしなこと考えるものだなぁ~~。
・「胃の存在はふだんは意識しない。その存在は故障してはじめて意識する。同じように、「わたしはだれ?」という問いは、たぶん<わたし>の存在が衰弱したときにはじめてきわ立ってくる。」p.8
・「これ、ほんとに「じぶんの」からだ? そう問いたくなるほどに、このからだはわたしから遠くへだてられている。」p.19
・「だから人は、決して人そのものを愛するのではなく、その性質だけを愛しているのである。(パスカル『パンセ』断章三二三、前田陽一訳)」p.22
・「わたしたちはふつう、成長するということはさまざまの属性を身につけていくことと考えているが、ほんとうは逆で、年とともにわたしたちはいろいろな可能性を失っていくのではないだろうか。」p.28
・「わたしたちはじぶんを問う。問うてじぶんのなかをのぞく。が、そこになにか<わたし>だけのもの、<わたし>だけにしかないものを見つける可能性は、絶望的なまでにすくない。」p.40
・「「われわれにとって不可能でないものを、不可能たらしめるのは、習慣である。」(ミシェル・ド・モンテーニュ『エセー』)」p.44
・「わたしたちはじぶんの表面、じぶんがじぶんでなくなるその場所に意識過剰になっている。」p.52
・「私の見るところでは、多くの人々は、自分たちが、揺りかごから墓場まで、同一の持続的存在であると考えようとする傾向がある。(レイン『自己と他者』)」p.71
・「人生を一本の線だけでイメージするのは、それだけ人生をもろく壊れやすいものにしてしまう。」p.74
・「ちなみに「傲慢」は、古来、人類がもっともおちいりやすい悪徳として戒めてきたものの一つである。  じぶんの存在はじぶんのものだから、じぶんの好きなようにしてよいという考えは、しかしけっして自明のものではない。」p.95
・「「じぶんらしさ」などというものを求めてみんなはじぶんのなかを探しまくるのだが、実際わたしたちの内部にそんなものあるはずがない。もしそのようなものが潜んでいるなら、そもそもそういう問いに囚われることもないはずだ。」p.146
・「さて、わたしがこの本のなかで伝えたかったことはただ一つ、<わたしはだれ?>という問いには答えはないということだ。」p.176
・「ところで、フランケンシュタインはこのモンスターの名前ではない。仮にモンスターをFとしておくと、Fを造った医師の名前である。」p.93 ホエエ~~知らんかった。
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?パースペクティブ(英perspective) 1 遠近法。透視法。  2 見取図。   3 将来を見通すこと。展望。

チェック本 オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』
コメント (4)
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