ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】戦艦大和

2007年08月22日 22時29分46秒 | 読書記録2007
戦艦大和, 吉田満, 角川文庫 2529, 1968年
・おそらくは『戦艦大和』を題材にした文学・映像作品は全てこの作品を参考にしているのではないか、という小説『戦艦大和の最期』を中心とし、同著者のエッセイを五編(『占領下の「大和」』、『一兵士の責任』、『異国にて』、『散華の世代』、『死によって失われたもの』)収録。
・とにもかくにも、実際に「大和に乗っていた」人間の肉声であることからくる圧倒的迫力に打ちのめされる。まさに名著。
・艦内で交わされる会話の内容にわりとくだけた調子があったり、スピノザやバッハの名が出てきたり、ちょっと意外な空気を感じた。その時代に対する、私が持っていたイメージが少し変わった。
・『記録すること』の重要さを改めて実感した。
・「昭和十九年末より、われ少尉(副電測士)として「大和」に勤務す」p.5
・「二日早朝、突如艦内スピーカー「〇八一五(午前八時十五分)ヨリ出航準備作業ヲ行ナウ 出航ハ一〇〇〇(十時)」」p.5
・「(通常の冷却状態より「スクリュー」の作動までには二十四時間を要す)」p.9
・「「ハンモック」に入り本をひらく  平常は訓練に次ぐ訓練のため、読書の余暇は皆無なるも、出撃せば多少の閑暇あらんと期待して、その直前鑑底図書庫よりようやくに探し来たれる一冊、哲人「スピノザ」が伝記なり 明日より訓練再開せば、また寸暇をも奪われん わずかに数ページを読みたるのみなれば、突入までに読了の見込みなし それもまたよからんと思いつつ読み耽る 柔らかき小説体の行文、密のごとく心を包む  入隊後の一か月、ほとんど連夜、本屋をさまよい血まなこに背文字を追い求めおる悪夢に悩みしを想う」p.14
・「一次室(通称「ガンルーム」、中尉少尉の居室)にて、戦艦対航空機の優劣を激論す  戦艦必勝論を主張するものなし  「『プリンス・オブ・ウェールズ』をやっつけて、航空機の威力を天下に示したものは誰だ」皮肉る声あり」p.16
・「彼らを迎うるもの、まさしく死なり かの唯一にして、紛うことなき死なり  いかにその装いは華麗ならんとも、死は死にほかならず」p.18
・「「不正を見てもなぐれんような、そんな士官があるか」 むしろ蒼ざめて間近に立つ 「すっかり見ておった 貴様の言うことも一応は分かる おそらく自分の場合から考えて、この際はなぐりつけるよりも、説教の方が効き目があると考えたんだろう」  「そうです 自分の場合だけでなく、兵隊に対しても正しいと思いました」  「貴様はどこにおるんだ、今娑婆にいるのか」  「軍艦です」  「戦場では、どんな立派な、物の分かった士官であっても役に立たん 強くなくちゃいかんのだ」  「私はそうは思いません」 しばし睨み合う  「貴様にも一理はある それは分かってる――だからやって見ようじゃないか 砲弾の中で、俺の兵隊が強いか、貴様の兵が強いか あの上官はいい人だ、だからまさかこの弾の雨の中を、突っ走れなどとはいうまい、と貴様の兵隊がなめてかからんかどうか 軍人の真価は戦場でしか分からんのだ いいか」」p.21
・「蒼ざめし母が、頬を打ち伏すおくれ毛を想うなかれ  かくみずからを鼓舞しつつようやくに認(したた)む  「わたしのものはすべて処分してください 皆様ますますお元気で、どこまでも生き抜いて行って下さい そのことをのみ念じます」 更に何をか言い加うべき」p.25
・「一六〇〇(四時) 出港  旗艦「大和」 第二艦隊司令長官伊藤整一中将坐乗  これに従うもの九隻 巡洋艦「矢矧」以下駆逐艦「冬月」「涼月」「雪風」「霞」「磯風」「浜風」「初霜」「朝霜」 ことごとく百戦錬磨の精鋭なり  日本海軍最後の艦隊出撃なるべし 選ばれたる精強十隻」p.27
・「沖縄海面作戦は一応の目標たるに過ぎず 真に目指すは米精鋭機動部隊集中攻撃の標的にほかならず  かくて全鑑、燃料搭載量は辛うじて往路を満たすのみ 帰還の方途、成否は一雇だにされず  世界無比を誇る「大和」主砲、砲弾搭載量の最大限を備え気負い立つも、その使命は一箇の囮に過ぎず わずかに片路一杯の重油に縋る」p.31
・「本作戦の大綱次のごとし――まず全鑑突進、身をもって米海空勢力を吸収し、特攻機奏功の途を開く 更に命脈あらば、ただ挺身、敵の真唯中にのし上げ、全員火となり風となり、全弾打ち尽くすべし もしなお余力あらば、もとより一躍して陸兵となり、干戈を交えん(分隊ごとに機銃小銃を支給さる)  世界海戦史上、空前絶後の特攻作戦ならん」p.32
・「「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ  日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」  彼、臼淵大尉の持論にして、また連日一次室に沸騰せる死生談義の、一応の結論なり敢えてこれに反駁を加え得る者なし」p.33
・「兵学校出身の中、少尉、口を揃えて言う 「国のため、君のために死ぬ それでいいじゃないか それ以上になにが必要なのだ もって瞑すべきじゃないか」  学徒出身士官、色をなして反問す 「君国のために散る それは分かる だが一体それは、どういうこととつながっているのだ 俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結び付けたいのだ これらいっさいのことは、一体何のためにあるのだ」p.34
・「通信科敵信班、米艦より「サイパン」宛の緊急電信を傍受  暗号文によらず、平文のままなりという われを侮れるか 内容に機密性低くその要なきか」p.36
・「母が乳首を離れ朝食なるものに親しみはじめしより、今日まで幾千、幾万度これを重ねたるかと心愉しく想う  「朝食」――今日を限りに、われとは無縁の存在なり――何か訝しく、笑いをこらう」p.43
・「勇猛と技倆を謳わるる名艦長、また「ゴリラ」の愛称をもって全将兵より敬愛せらる」p.51
・「航海長、左右を顧みて莞爾、「とうとう一本当てちゃったね」 答うるものなし」p.56
・「日頃人なつこく柔和なる彼も、鋭き一瞥を投げしのみ  雨衣裂け散りて歪める肩、小柄のうしろ姿痛々し 出血過多か、困憊見るに堪えず 報告を完了して緊張緩めば、おそらくは崩折れたるままならん」p.58
・「いっさいを吹き掃われたるかと見れば、朽ちし壁の腰に叩きつけられたる肉塊、一抱え大の紅き肉樽あり 四肢、首等の突出物をもがれたる胴体ならん  あたりに弾かれたる四箇を認め、抱え来てわが前に置く(中略)これを抱けば芯焼けてなお熱く、これを撫すれば手触り粗木の肌のごとし(中略)他の八名は全く飛散して屍臭すら漂わず  なんたる空漠か  今の瞬時までまさに現前せる実在は、いかなる帰趨を遂げしぞ  疑い訝しみて止まず 不審に堪えず  悲憤にあらず 恐怖にあらず ただ不審に堪えず 肉塊をまさぐりつつ、忘我数刻」p.58
・「三時間前哨戒直に立直の直前、電話を流れて耳ぞこに残りし大森中尉(主任電測士)の声、最後の声なり 「吉田少尉、貴様には面倒なことばかりさせて苦労をかけたなあ……すまんかったなあ……」  しからず しからず われこそ怠慢なりしを われこそ気儘なりしを」p.60
・「世界の三馬鹿、無用の長物の見本――万里の長城、ピラミッド、大和」なる雑言、「少佐以上銃殺、海軍を救うの道このほかになし」なる暴言を、艦内に喚き合うもなんら憚るところなし」p.63
・「戦闘中みずからの任務を持たざる者にはかかる例少なからず 衝迫、停電、横転、被弾の重囲のうち、しかも状況は皆目不明、「今死ぬか、今死ぬか」の切迫感に脅かさるるまま、待機と忍苦の時を刻む よく常人の堪えうるところにあらず  まず舌端しびれ次いで手足しびれ、自由を失い、ついには瞳孔開き切る 肉体はなおぬく味を保つも、真実は死人なり、形骸なり なくしていたずらに肉体の死を待ち焦がるるのみ」p.73
・「真実は数分前、幕僚いざり寄る最後の協議に、「作戦中止、人員救出ノ上帰投」の決定を、長官独断下命せられたるなり」p.89
・「時に「大和」の傾斜、九十度になんなんとす(かかる例稀有なり 一般艦船は傾斜三十度をもって沈むを常とす)  ために主砲砲弾、弾庫内にて横転、細き尖端の方向に横滑りし、天井に信管を激突、誘爆を惹起す」p.96
・「「大和」あなや覆らんとして赤腹をあらわし、水中に突っ込むと見るやたちまち一大閃光を噴き、火の巨柱を暗天まで深く突き上げ 装甲、装備、砲塔、砲身、――全艦の細片ことごとく舞い散る  更に海底より湧きのぼる暗褐色の濃煙、しばしすべてを噛みすべてを蔽う  火柱頂は実に六千メートルに達す(護衛駆逐艦航海士の観測による)  閃光よく鹿児島より望見し得たりという(のち新聞紙にも報道)」p.97
・「ふと思う 貴重の時、真の音楽を聴き得るは、この時をおきて他にあるべきか  聴くを得べし われ今素直ならば聴くを得べし 類いなき一瞬を得ん  ――空白 死のごとき静寂  さらばされ、みずからの音楽を持たざりしか かの愛着、かの自負、すべて偽りなりしか  ――まて、今聴きしもの、胸に甦りたるもの、何ぞ  まさにしかり、「バッハ」の主題なり 耳慣れたる、わが心の糧なる主題なり」p.104
・「この作品の初稿は、終戦の直後、ほとんど一日をもって書かれた。(中略)その後、自分以外の人の眼に触れる必要から、数度にわたって筆を加えた。その最終的な形が本稿である。」p.126
・「戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然すぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を愛好し得よう。」p.127
・「私は、発表の意志なく書いたが、もしその価値のあるものなら、お任せしますと答えた。それから氏(小林秀雄)は、自分の得た真実を、それを盛るにふさわしい唯一の形式に打ち込んで描くこと、これが文学だ、それ以外に文学はない、だからこの覚え書はりっぱに文学になっている、敗戦の収穫として求めていたものに、ここで一つぶつかった、この文語体は、はからずも一種の名文になっている、何も思い惑うことはない、この方向に進んでゆけばいい――」p.135
・「それからの五か月を陸上の特攻基地勤務に過ごした私は、そこで終戦を迎えた。まっ先にきたのは、いかに生きるべきかという自問だった。いつでも死ねるという自暴自棄な気楽さによりかかっていた身には、平和の日々は明るくまぶしすぎた。何をしてもそれが消えずに、自分が生きていることの証拠として一つ一つ残ってゆくということが恐ろしく、平凡に生きるための手がかりを必死に求める気持だった。」p.148
・「犯罪と責任は常に不可分なのではなく、犯罪のないところにも責任はありうる。むしろそのような責任こそ、根の深い、本物の責任なのではあるまいか。  ――私はここで、このような基本的問題にたいする不明を恥じるとともに、みずからの戦争協力の責任を、はっきりと認めることを明らかにしたい。これを認めなければ、私の発言は、はじめからその支えを失うことになるにちがいない。」p.157
・「私はこれまでの議論を通じて、戦争協力責任の実体は、政治の動向、世論の方向に無関心のあまりその破局への道を全く無為に見のがしてきたことにあるとの結論に達した。」p.159
・「最後の決戦に備えて、精鋭部隊の温存を至上命令とする戦況の下で、「青白く理屈っぽい」学徒兵は、絶好の消耗品として可愛がられた。」p.185
・「『わがいのち月明に燃ゆ』の中の最も感動的な場面は、どこであろうか。私にとって驚異であったのは、「私はどうしてもいきねばならない。充実した潔く美しい生を開いてゆかなければならない。自分の尺度を持つことだ。自分の足場がなければならない」という自己建設の抱負をこの手記の初めの数ページ目に書いた彼が、その抱負にそむくことなく、軍隊と戦争への協力という宿業に最後まで苦しみ抜きながら、自分への忠実を貫き通した志操の堅さであった。」p.199
・以下、解説(阿川弘之)より「著者の吉田満氏は戦争中東大法学部在学のまま、いわゆる学徒動員で兵科予備学生として海軍に入り、少尉任官後副電測士として軍艦大和の乗組員になり、昭和二十年の四月、大和の沖縄特攻出撃に参加して生き残った人である。本職の海軍軍人ではない。」p.210
・「この作品は個人の力ではどうにもならなかった著者の生死の、微妙な偶然の間をくぐり抜けて私たちの手に残った日本民族の一つの記念碑と呼んでいいものである。」p.211
・「戦争末期、動かぬ世界一として内海に碇泊させておいてもいたずらにアメリカの飛行機の目標になるだけで、それならばこの役に立たぬ巨艦に最後の死に花を咲かせてやろうというのが、大和の特攻出撃のおもな動機であったろうが、航空部隊の掩護無し、燃料片道搭載という出撃はもとより無暴で必敗の作戦であった。それを承知の上でその命令にサインをした当時の海軍首脳部は、春秋の筆法をもってするなら、七万二千トンの大和と三千人の将兵とを犠牲にして、一つ、「戦艦大和の最期」という光る記念碑を後世に残したのである。」p.213

?せっしやくわん【切歯扼腕】 歯ぎしりをし腕を握りしめること。激しく怒ったりくやしがったりする様子にいう。
?しょうよう【慫慂】 (「慫」も「慂」も「すすめる」の意)そばから誘い、すすめること。

《チェック本》 林尹夫『わがいのち月明に燃ゆ』
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