発想法 創造性開発のために, 川喜田二郎, 中公新書136, 1967年
・「KJ法」について書かれた本書は、この手の本では古典的書物。他の本からの引用も多い。
・散らかった頭の中のアイディアをいかに整理し、まとめ、そこから新しいアイディアを生み出すかという手法論。例えるならジグソーパズルの組み立て方の戦略か。闇雲にパズルがうまくはまるか試すよりも、まずは各ピースの色から小さなグループごとにわけ、徐々に大きなグループに統合(ボトムアップ)していった方が効率がよいというお話(ものすごく大雑把に言うと)。程度の差はあれ、誰しも何らかの仕事をするときには、無意識に頭の中でやっている処理だろうが、その処理を頭の中から取りだして、見事に具体化・体系化してみせたところに意義がある。
・「このように話の曲がり角だけをなぐり書きにしても、ふしぎなもので、そのまま数日放っておいても、そのあとで記録するときにはほとんどまちがいなくつながって、完全な文章にすることができる。」p.40
各章ごとの表紙に写真(小さくて見づらいですが)のような図が載っている。はじめは何のことやら意味不明だったが、その章を読んでから見返してみると、文章の構造までも理解できる機能的な目次兼索引になっていることに気がついた。全6章なので6枚の図を見ると、本書の内容がだいたい把握できる仕組みになっている。KJ法応用の一例。
・「もっと一般的にいうと、日本の社会では男性のほうが女性よりも概して抽象化の能力が高い。しかし、悪いのは、男性のほうが不必要に概念的な言葉でものごとを考えすぎる点である。」p.71
・「この事例のように、理屈の上でわかっているつもりでも、いざ実行というときになると邪道を歩む人がなかなかに多いのである。」p.80
・「多くの科学者は思いちがいをしている。叙述だけが客観的だから科学的であり、解釈などは主観的だから非科学的であり有害なものだと思いちがいをしておるのである。(中略)大切なのは、その解釈が正しいかどうかではない。その根拠が正直にデータに根ざした発想か否かなのである。」p.103
・「そのためにじつは日本人がKJ法を使いこなしにくい理由の一つがあるのだ。「そんなめんどうな方法を使わなくても、自分はいろいろな現実のデータから直観的に総合できるのだ」といううぬぼれが一方にある。」p.142
・「どこまでも問題を求めてさまよってゆくという能力が必要である。その場合、末はどこへ流れていくのだろうという心細さもあるが、その心細さに耐える能力が必要である。」p.154
・「KJ法をやっていると、次の実感を抱くのである。すなわち、「これは自分の頭のどこかでやっている思考の努力のコピイである。ただそれを、頭の中だけでなく、かなりな部分を外に取りだしてやっているだけである」と。」p.159
・「私の体験によれば、このように「追い詰められる」ことこそ、人間の創造性を育てる有力な一条件である。」p.169
・「私の体験内のおおまかな感じでは、反対といわれている声の八、九割までの原因は、じつは提案の性格がわからないところからきている。」p.181
・「この発想法は、分析の方法に特色があるのではなく、総合の方法である。はなればなれのものを結合して、新しい意味を創りだしてゆく方法論である。」p.195
・「KJ法の原点には、「人間が全人的に生きるとはどういうことか」を問うているものがある。」p.203 という文章からあとがきは書き出され、その後「KJ法は日本、いや世界中に広めねばならん!」と話はちょっと怪しげな方向へ。ついには「私は「KJ法学園」というものを設立する決心をした。」p.219 と闘志を燃やしていらっしゃる。その後うまくいったのだろうか・・・
参考リンク:川喜田研究所 http://www.path.ne.jp/~kjmethod/
・これならソフトウェア化できそうだ、と思い、ちょっと調べてみると出てくる出てくる。考えることは皆一緒。
参考リンク:アイデア発想支援 IdeaCard http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se093192.html
いまならネットワークを介して数万人規模でのKJ法も可能か。
~~~~~~~~~~
・この本もまた古本なもので、前の持ち主が引いた線が残っている。はじめのうちは割とマメに線を引いているけれど、ページが進むにつれて減っていき、70ページほどで挫折している。自分の場合は線は引かず、付箋紙で印をつけているのだが、面白いことに前の持ち主とは一ヶ所も一致しなかった。同じ本でも読む人が変わると、こんなにも注目する点が違うものか。前所有者は重要語句やその説明を中心に線を引いている。どうやらKJ法について丸暗記しようという指針に従っているらしい。そりゃ挫折もするわい。自分の場合は上の書き抜きを見ると、著者の生の体験や、その体験を通してにじみ出てくる言葉(肉声)に興味があるらしい。
・「KJ法」について書かれた本書は、この手の本では古典的書物。他の本からの引用も多い。
・散らかった頭の中のアイディアをいかに整理し、まとめ、そこから新しいアイディアを生み出すかという手法論。例えるならジグソーパズルの組み立て方の戦略か。闇雲にパズルがうまくはまるか試すよりも、まずは各ピースの色から小さなグループごとにわけ、徐々に大きなグループに統合(ボトムアップ)していった方が効率がよいというお話(ものすごく大雑把に言うと)。程度の差はあれ、誰しも何らかの仕事をするときには、無意識に頭の中でやっている処理だろうが、その処理を頭の中から取りだして、見事に具体化・体系化してみせたところに意義がある。
・「このように話の曲がり角だけをなぐり書きにしても、ふしぎなもので、そのまま数日放っておいても、そのあとで記録するときにはほとんどまちがいなくつながって、完全な文章にすることができる。」p.40
各章ごとの表紙に写真(小さくて見づらいですが)のような図が載っている。はじめは何のことやら意味不明だったが、その章を読んでから見返してみると、文章の構造までも理解できる機能的な目次兼索引になっていることに気がついた。全6章なので6枚の図を見ると、本書の内容がだいたい把握できる仕組みになっている。KJ法応用の一例。
・「もっと一般的にいうと、日本の社会では男性のほうが女性よりも概して抽象化の能力が高い。しかし、悪いのは、男性のほうが不必要に概念的な言葉でものごとを考えすぎる点である。」p.71
・「この事例のように、理屈の上でわかっているつもりでも、いざ実行というときになると邪道を歩む人がなかなかに多いのである。」p.80
・「多くの科学者は思いちがいをしている。叙述だけが客観的だから科学的であり、解釈などは主観的だから非科学的であり有害なものだと思いちがいをしておるのである。(中略)大切なのは、その解釈が正しいかどうかではない。その根拠が正直にデータに根ざした発想か否かなのである。」p.103
・「そのためにじつは日本人がKJ法を使いこなしにくい理由の一つがあるのだ。「そんなめんどうな方法を使わなくても、自分はいろいろな現実のデータから直観的に総合できるのだ」といううぬぼれが一方にある。」p.142
・「どこまでも問題を求めてさまよってゆくという能力が必要である。その場合、末はどこへ流れていくのだろうという心細さもあるが、その心細さに耐える能力が必要である。」p.154
・「KJ法をやっていると、次の実感を抱くのである。すなわち、「これは自分の頭のどこかでやっている思考の努力のコピイである。ただそれを、頭の中だけでなく、かなりな部分を外に取りだしてやっているだけである」と。」p.159
・「私の体験によれば、このように「追い詰められる」ことこそ、人間の創造性を育てる有力な一条件である。」p.169
・「私の体験内のおおまかな感じでは、反対といわれている声の八、九割までの原因は、じつは提案の性格がわからないところからきている。」p.181
・「この発想法は、分析の方法に特色があるのではなく、総合の方法である。はなればなれのものを結合して、新しい意味を創りだしてゆく方法論である。」p.195
・「KJ法の原点には、「人間が全人的に生きるとはどういうことか」を問うているものがある。」p.203 という文章からあとがきは書き出され、その後「KJ法は日本、いや世界中に広めねばならん!」と話はちょっと怪しげな方向へ。ついには「私は「KJ法学園」というものを設立する決心をした。」p.219 と闘志を燃やしていらっしゃる。その後うまくいったのだろうか・・・
参考リンク:川喜田研究所 http://www.path.ne.jp/~kjmethod/
・これならソフトウェア化できそうだ、と思い、ちょっと調べてみると出てくる出てくる。考えることは皆一緒。
参考リンク:アイデア発想支援 IdeaCard http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se093192.html
いまならネットワークを介して数万人規模でのKJ法も可能か。
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・この本もまた古本なもので、前の持ち主が引いた線が残っている。はじめのうちは割とマメに線を引いているけれど、ページが進むにつれて減っていき、70ページほどで挫折している。自分の場合は線は引かず、付箋紙で印をつけているのだが、面白いことに前の持ち主とは一ヶ所も一致しなかった。同じ本でも読む人が変わると、こんなにも注目する点が違うものか。前所有者は重要語句やその説明を中心に線を引いている。どうやらKJ法について丸暗記しようという指針に従っているらしい。そりゃ挫折もするわい。自分の場合は上の書き抜きを見ると、著者の生の体験や、その体験を通してにじみ出てくる言葉(肉声)に興味があるらしい。
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