(↑1週間以上前にカットした「コリウス」、今もとっても元気で、根っこは出てくるわ、花は咲くわ、この生命力が好きなのよね)
心がそわそわしそうになったら、
祈り心を持つのは大事。
これはクリスチャンに限らず、
宗教心のある方ならどなたもされているかもです。
でも、人ってそんなに強くないから、
熱心に祈って気持ちを切り替えるなんて、
なかなかできたものではない。
心は千々に乱れるってこともよくあること。
少なくともわたしは・・・。
でも、絵筆をもつというのは本当にいい。
心の中がいつの間に真っ白というか空白になってる。
線に集中、色に集中する中で、
それまでのモヤモヤがどっかへ行ってしまうのですね。
これも絵筆を持たれた方なら経験があることでしょう。
実はこの2週間で、
わたしの教会でご一緒した方二人を天に送りました。
お一人は、わたしがかつてみことば絵手紙を送って祈っていた人。
かなり末期になっておられました。
もう一人は、
90歳を超えておられ、
お年ではあったけれど、ご主人様がずっとお悪いと聞いてたために、
その方は介護をされている側と思い込んでいて、
亡くなったと聞いてかなりの衝撃を受けました。
引退された牧師さんの奥様で、
20年ほど前は、
わたしたちのやっていた子育てサークルをずいぶんサポートしてくださっていました。
彼女自身は教会立の幼稚園の園長を長年やってこられていて、
幼児教育のプロ中のプロ。
どれだけ支えられたかと思います。
しかし数年ののちに、ご主人様が癌になられたこともあって、
「これからは主人との時間を第一に考えたいから、サークルのお手伝いは引退させてもらうね」と言われ、
教会の奉仕の一線からは引かれたのを思い出します。
娘さんご家族と生活をされていたので、
お二人の生活については心配は全くなかったのですが、
コロナ禍のもと、オンライン礼拝を続けておられ、
直接教会の礼拝にお越しになることはなくなっていました。
↓かつてその方のことを記事にしておりました。
落ち着かれてからご遺族と連絡を取ろうと思いますが、
そのタイミングも難しい。
そんな何とも言えない寂しい、気持ちの乱れる朝、
買ったばかりの髭のついたとうもろこしを見てたら、
絵を描こうと思ったのです。
大きめの画仙紙にど〜んと。
実物よりも大きい(笑)。
でも、今回は1枚だけ。
上手く描けるか描けないかに関係なく、一枚だけ。
絵も一発勝負ならば、そこに書く文字も一発勝負。
字の並びや大きさを最初から決めて書くわけではないので、
その時その時の気持ちが絵や文字に表れているのかも。
絵手紙は人に出すために描くことも多いですが、
今回はまずはわたし向けに。
わたしの心に語りかけるように描く。
最後に落款を押して出来上がりですが、
その頃にはすっきりした気持ちになってるわたし。
何度も何度も書いたみことばを読み直し、
与えられたこの1日も、元気に過ごしていきたいと思いました。
↓二つのランキングに参加しています。
それぞれポチッと押して応援してくださると嬉しいです。
励みになります。
もともと聖書いうのは、ただ字面だけを読んでいる分には普通の読み物だったり、哲学書、思想書のような存在になるかと思いますが、クリスチャンは、自分に向けられた神様のメッセージとして読んでいます。だからこそ、深くその言葉を読み取ろうとするのですが、聖書をただ読むだけでなく、実際文字に書いてみる、声に出して読んでみるという動作を一つ二つ重ねることで、さらにその聖書の言葉が深く自分のうちに届くという経験があります。こういうの、写経も同じようなものなのかもしれませんね(実はわたしは写経の意味をよく知らないのでいい加減なことは言えませんが・・・)。
きちんとしたお別れをして、一つ一つにけじめをつけ、心に区切りをつけていく作業の大切さ、このコロナ禍のもと、教えられましたね。今後、さてどうなっていくのでしょうか。
やはり、「無心になって」何かに取り組む…のは、「心の癒し」に繋がるのかもしれないですね。♪( ´θ`)
そこに行かなくても、まんじゅう顔さんのように絵手紙に聖書の言葉をそえたり、写経で心が整う方もいらっしゃることでしょう。
普段、何ともないときに聞いても、なかなか響かないのですが、不思議です。
葬儀は、故人のためではなく、見送る人が心の整理をする為に必要な儀式という話を聞き、今はコロナ禍で、ちゃんと心の整理が出来ずに居る人も多いのだろうなぁと思います。
わたしもコロナのせいもあって、最近ちゃんとした別れができていないことが、人々の心に大きな影を落としてると感じています。そういう意味では「葬儀」という儀式は、遺族にとってもまわりの人にとっても、「別れ」をしっかり意識できる大事なケジメの式だったと思います。
コロナ禍が過ぎて行った後でも、簡素に「家族で」という葬儀の形は続いていくのではと想像してますから、どうそういう儀式で心の整理をつけていたところをうまく取り繕っていくか、色々な課題が残りそうです。
その時は、集まったメンバーで、数人ずつのグループを作り、全員が「過去のトラウマでは?」と思われる体験を発表し、その中から「寸劇に出来そうなモノ」を選んで、そのグループで「再現ドラマ」風のの寸劇を、即席で作って発表する…というモノでした。
私の所属したグループでは、なんと、私の体験が採用され、発表しました。(^^; その後、それについて、その先生からのコメントをいただき、「どうすればよかったか?」のアドバイスをもらいました。
それによると、私の体験は、幼なじみの同級生が、交通事故に遭って「即死」してしまった現場を、目の前で目撃してしまったこと。お互いに「5歳」でした。(・・;) その後、変な夢を見たり、しばらく、気持ちがダメでした。
そして、その先生曰く「お葬式には参加しましたか?」との質問。そういえば、交通事故で亡くなった友達は、他にも数人いたのに、その子の時だけ、「行っていない」ことに気付きました。
その先生のお話によると「儀式には、心を癒す意味がある」みたいなことでした。なるほど…。
このコロナ禍では「家族葬」とかが増えて、「お見送り」が出来ないケースも増えてるから、そういう「心の問題」も、増えてしまうかも? と、思えますね。(*´-`)
あれ? この話、ひょっとして、前にも書いたかも? (^^;
スーさんのまわりでもそうなんですね?お辛いですね。
コロナで亡くなる人ももちろんいらっしゃいますが、本当はもう少し長生きできるかもしれなかった方が、この塞いだ状況の中でより早く亡くなるということもあるでしょうし、感染をしないために家族葬でという方も多かったり、それ以前になかなかお会いできない日々が続いたりして、しっかりお別れができなかった残念さがいつもより強い感じがします。
おっしゃるように、一刻もはやく会いたい人に会える状況になってほしいです。そんな日がはやく来ますように。
絵手紙は、基本実物を見て描くもので、描いている対象物から結構な生命力をもらえるんだなと今回改めて感じました。
絵手紙って、実物を見て描くものと理解していますが、それがどれほどの意味があるか、今回のとうもろこしを見て改めて思い知らされた気がしています。実物の存在感、特にこういう生物を描いているとその生命力が自分のものとなるというか・・・。元気をもらえますね。
楽描堂さんのように、たくさん描くことはできませんが、たった一枚でも日々描き続けていけたらいいなと思っています。
お孫さん、元気を取り戻しておられるでしょうか。
まだ少し気を遣われることも多いでしょう。
日々のお守りがありますようにお祈りしております。
すごく勢いのあるとうもろこしにパワーをいただきました。
私も今年の夏は、周りで見送る方が多くて、心落ち着かずです。
絵手紙は、静かに自分と向き合えて、精神安定剤のような効力がありますね。
また早くコロナが落ち着いて、会いたい人に普通に会える日が来ますように。
絵手紙に書かれたお言葉に
胸が熱くなりました(;_;)
生き生きとしたトウキビの生命感と
相まって〜胸に染み入りました。
夏休みで帰省中の孫のコロナ感染で
気持ち塞ぐ日々(;_;)
自分と向き合って〜描く・書くことで
落ち着きを取り戻します。
お互いに健康第一に。
今日もどうぞお元気でお過ごし下さいね。