(↑冒頭の写真、近くの桜の名所。 ATMからの帰りに通りました。)
「新型コロナウイルス」という言葉を初めて聞いたのは
いつ頃だったのでしょうか。
1月の下旬に、
「東京国際キルトフェスティバル」の参加のため東京に出た時に、
あの閉鎖空間にちょっと躊躇し、
さらに街を歩いていて、
アジア系の海外からの観光客を見たら少し「ドキッ」としてたのを
思い出すので、
この頃には中国武漢ではかなり大きな問題になっていたのでしょう。
確かにどんどん死者が出始めたころでした。
その後、
その他のアジア地域、韓国、日本でも感染者、死者が出始め、
中東、さらにはイタリアという話になり、
同時に「ダイヤモンドプリンセス号」の問題が重なり・・・・。
3月に入ってイタリア、スペインの死者が中国の死者を上回る事態に。
アメリカも大変なことになってる。
そんな怒涛の2ヶ月が過ぎようとしています。
2月はなんやかんやと言われながら、仕事もしてましたが、
3月に入る頃には、全国の学校が休校になり、にわかに慌ただしい雰囲気に。
そんな世の中の状況、
自分の周囲の状況が目まぐるしく変化する中でも、
人それぞれ、自分のこととして感じたことは少しずつ違うのではと思います。
そこで、
「主婦日記」の「3月の感想」部分の空きスペースに、
「自分自身の感じた新型コロナウイルス」についてまとめておこうと思い立ちました。
元々は、桜を見にいった記録を残そうと思っていたスペース。
今年は使うあてもなくなっていましたから。
ブログを書いておられる方は、
「何かを文字にする」という作業をいつもされているわけで、
ご理解いただきやすいと思いますが、
「文章にする」っていう作業、
こういうちょっと閉塞感のある時期には、色々意味があると思います。
書くことで気持ちの整理をする
書くことで気持ちのはけ口にする(こちらは、もちろんSNSでは気をつけないといけません〜)
書くことで頭をくるくる使える
・・・・・・・
「手帳」に書く場合、
人に見られる文章ではないから、
あんまり推敲もせず、ただ思いつくままを書いていけばいいわけで・・・。
ふと思い出したのは、
両親ともに危篤の状態にあった今から10年ほど前の「主婦日記」。
気持ちが塞ぎ、
ただ彼らのそばで、なすすべなく一緒に時間を過ごした日々。
「主婦日記」には、ただ、朝から夜までの父母の様子と自分のしたことが
荒い文字で書きなぐってあります。
その時は、ある意味それが自分を支えてたように思います。
記録をしたというだけでなく、
書きながら自分の心の整理もしていった感じでした。
そして、
今振り返ると、
「大変だった」
「結局何も自分はできなかった」
「辛かった」という感情ばかりが湧き上がってくるのですが、
「主婦日記」を読み返すと、
その時の父母の状態と自分の必死さがよみがえってきて、
少し慰められもするのです。
あまりハードルを上げず、
自分の言葉で、「文章にする」という作業、
大事だなと思わされています。
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