このコロナ禍の元、
みなさんの中にも、親しい人を亡くされた方が多くいらっしゃると思います。
いつもならきちんと見舞い、
見送ることができたのに、
コロナ感染を防ぐために葬儀が普通に行われなかったことを
あちこちで耳にします。
わたしの教会でも、
5月の緊急事態宣言の時期に天に召された一人の教会員の方の記念礼拝が
先日教会で持たれました。
もちろん未だ完全に教会の礼拝も行えない状態ですが、
うちの教会の最長老の一人の死を痛むべく、
距離を置いて席に着き、人々が集いました。
この方は、わたしのブログでも二度ほど書かせていただいた方。
3月にお葉書を書いたときに、
すぐ返信があり、お元気な様子だったのに、
4月の終わりに送ったハガキが彼女の家に着く頃には、
体調を崩して入院されていました。
ハガキを送った後に入院を知り、
祈っておりましたが、それから1週間も経たずに亡くなりました。
手元に残ったハガキが最後の彼女とのやりとりとなり、
彼女の形見となりました。
わたしが彼女と出会ったのは、25年ほど前。
わたしが結婚して関東にやってきた際、
今の教会に変わり、
彼女とご主人もちょうど同じ時期に今の教会にかわってこられたのでした。
その頃にはすでに身体を壊しておられ、
不自由な生活をされていたので、
わたしの彼女のイメージはまさにそんななのですが、
今回記念礼拝では、彼女の人生を写真や文章にまとめたものが掲載され、
若い時の活躍の様子などを知ることができました。
ご夫妻で自宅を解放、多くの子どもたちを集めて、土曜学校を開いておられたことや、
それが当時のキリスト教系の雑誌に大々的に掲載されるほどだったこと。
身体を壊され、それは続けられなくなると、
今度は手作りの教会学校用バックをたくさん作り、
教会学校にくる子供達にプレゼントしてくださったり、
時々にお菓子を差し入れてくださったり、
いつも教会の小さな子供達に寄り添ってくださった方でした。
彼女の愛した聖書の言葉を、
牧師が記念礼拝説教の中で読みました。
「あなたは知らないのか、聞いたことがないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく、
その英知は極めがたい。
疲れた者に力を与え、
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者は倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、
主に望みをおく人は新たな力を絵、鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ書40:28〜31)
これまでも多くの先輩方を教会でも天に送りました。
天に召される頃には、
もう歳を重ね、身体を壊し、時には認知的にも難しい状態だったりと、
見た目にも弱さを感じられる状態。
それぞれ若い時は、バリバリのビジネスマンだったり、
多くの人々をリードする役職についておられたり、
熱心に教会の奉仕に参加されていたり、
しっかりと家庭を守って来られたり、
それぞれがかけがえのない日々を、
そして華々しい日々を送って来られていますが、
なくなっていくときは、一人の弱々しい存在であることが多いです。
若い時の勇ましい姿を知るものも少ないことが多いのですが、
どの人にも若い時があり、
輝いていた時があったこと、
さらにはどれほど年老いても、弱々しくなっても、
それが神様の目から見たらその老いさえも輝くものであることは、
大きな慰めです。
「白髪は輝く冠。神に従う道に見出される」(箴言16:21)
「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」(箴言20:29)
と書かれてるようにです。
内村鑑三が『後世への最大遺物』という著書の一番最後の部分でこんな言葉を残しています。
前にも一度ご紹介したことがありますね。
「われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います」
一人一人、
何も持たずに生まれてきたわたしたちは、
また何も持たずこの世を去っていく時が来ます。
多くの人の心にいつまでも残る人は少ないでしょう。
だんだんと忘れられていきます。
その人を知ってる人が少なくなっていきます。
家族や子孫が覚えていてくれるかもしれません。
しかしそれすらもそんなに長い期間ではないでしょう。
しかし、どんなに小さな者であっても、
この地上に生を受けたもののことは、
「あなたの書(神様の書)」には書き記されている(詩篇139篇16節)」と聖書は語ります。
自分の存在はしっかりと覚えられている!
一人の女性の、神様を信じて生きたかけがえのない生涯を振り返らせていただきながら、
温かい微笑みを浮かべた遺影を拝見しながら、
改めて色々教えられた日曜日の午後でした。
あ、そうそう、
参列した者たちには、こんなお菓子が配られました。
「偲び草」と書かれたのしには、亡くなった方の名前。
中は、こんな「聖句入りクッキー」。
岩手県の社会福祉法人「カナンの園」で作られているとても美味しいクッキーなんです。
キリスト教会らしいですよね。
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好きな聖書の言葉です。
自分は弱くても、年老いてもどんな事があっても大丈夫。神様が覚えていて下さる さいごまであなたを持ち運び のあの約束の言葉も好きです。
聖書の言葉をありがとうございました。
先月お通夜に行かせていただいた方のご遺族からお礼のお品が届きました。
人が亡くなるというのはとても辛いことですが,
同封されていたお手紙からは生前の個人を面白おかしく忍ぶご家族ならではの文章が並び,死してなお,皆に愛される方だなぁと思いました。
私もそんな人生を送りたいです。
実はわたしもそう。
この聖書の言葉、若い時にはプレイズソングで歌いましたっけね?
教会のお葬式や記念会に参加すると、いつもとても励まされます。
生きて死ぬということが全て神様の御手の中のことと感じるからだと思います。
聖書のみ言葉に触れると、ぎゅっと神様に下支えされてるのを実感しますね。
ほんと、人が亡くなるのはとても辛いことですし、寂しいことです。
でも、身近な方々がその方を愛し、そのかたの存在を丸抱えで大事にされていたのが感じられるって、その人にとっても幸いなことですし、参列したものたちにとっても大きな慰めがありますね。
素敵な人だったんだろうな〜。
ちかこーんさんがそんな人生を送りたいって思われるの、よくわかります〜〜。