雨と風荒れ狂った天気も出発当日は合唱団の熱気で晴れ上がり、清水はどんなコンサートになるのだろうかと、胸膨らませながらバスに乗りました。北海道のほぼ中心、帯広から近い十勝清水、大自然に囲まれた酪農と、農業の町でしょうか。
着いたときはオリエンテーション、リハサールの最中早速全員、着いてすぐリハーサル、今回は書面で指揮者の指導が、それに沿っての発音、合唱指導、何回も繰り返し、我々の「999の第九とはまた違った歌い方・・これも同じ第九でも指揮者によって、歌い方がいかに違う・・これもいつもながら勉強になりました。
リハーサルの後はすぐ前夜祭、清水町民あげての歓迎会、手作りの料理が並び、食べきれないほどの品数、あつあつのジャガイモ、とうきび、清水特産のヨーグルト、ポテトサラダ、混ぜご飯、赤飯、お汁粉まですべて主婦の手作り次々と運ばれて机の上は満杯、お酒もたっぷり、十分にご馳走になりました。人口1万人の町民がこの「第九」にかける意気込みが感じられました。
清水町の第九は30年前「清水文化センター」のオープン記念行事として、第1回清水第九交響曲演奏会が開催されました。指導は清水高校教諭の高橋亮任さんが30年間指導に当たりました。10年ほど前に先生は交通事故にあい意識不明の重態から奇跡的に回復されて、リハビリを続けながらの指導活動を再開い今回は、座りながらも私たちの指導にあたりました。 指揮者円光寺雅彦氏、清水の「第九」はエネルギッシュにかつ大胆に、強弱ははっきりと、分かり易い指導でした。
ゲンネプロ札響との音あわせ会場、観客は800数名分の椅子、今回は立見席も出ているとか、いかに待ち望んだコンサートかが伺えました。
まずは平らな所で1段ずつの整列していきます。 これが難関、8段最上階は、勿論長身者達私もです。しかし長身でも上は苦手の方は下の段と、この調整に時間がかかりました。230名も居ましたので。調整風景です。
私たちも8段の雛段に上りました。どのように狭い文化センターでのコンサートなのか230名もの団員がどのよう整列するのか興味がありましたが、大変な作業でした。整列から始まって30センチほどの幅しかない雛壇に8列目最上階の人が、まず整列、7段、6段、足を滑らせたら、1段目まで共倒れ、そこに第3楽章から約1時間、体は斜めにびっしりと、足も動かすこともできずに、皆汗だくでがんばりました。
いつもながら歌い終わった感激は、達成感に満ち溢れ、この歌う幸せを長く続けていきたい、また5年後の清水に来ることを皆で約束しながら解団式を終え戻ってきました。
清水町の皆さん本当にご苦労様でした。会場整理を始め、すべての食事の世話、お弁当、おにぎり、サンドイッチお料理の全ては手作り、作った方のネームが入り、漬物からケーキまで、一人一人が得意なものを手作りして持参したことが人目で、とてもおいしくいただきました。心のこもったおもてなし感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
今朝の道新にも出ていましたが、HBCで12月29日「歓喜のみちしるべ~30年目の第九を歌った清水町~」17:00~17:55まで放映されます。是非見てください。私も豆粒に写っています。