つれづれなるままに  533 鳴門[第九]コンサートを終え Ⅰ

2008-06-04 18:26:08 | 旅行

   

      アジア初演90周年記念コンサート・明石淡路鳴全通10周年記念

 

 

1918年6月1日現在の鳴門市において初めて[第九]が歌われました。今回はそれを記念してのコンサート、ロシア、サンクトペテルブルグ音楽院留学、ロシアで活躍、昨年まで、チャイコフスキー記念財団ロシア交響楽団首席指揮者の西村智実さん、管弦楽、わが国を代表する東京交響楽団、合唱団員は、鳴門を初め全国から480名の合唱団員が集まりました。

わが合唱団から53名参加、当日は[第九]一色、会場は超満員、お客さまと団員、オーケストラが一体となり、会場は全ての人がたち上がり、ステンベィングオペーション何時までも拍手が鳴り止まみませんでした。「文化県とくしま]本当に「第九」を満喫されているのだと改めて感じました。

 

演奏会前の西村智実さんの合唱指導です。この後、ゲネプロオーケストラによる練習、本番に備えました。西村智実さん素敵な女性でした。

  

 

 

映画「バルトの楽園」見た方も多いと思いますが、初演の舞台となった坂東俘虜収容所、第一次世界大戦、日本も参戦敗れたドイツ兵約5000人が俘虜となり日本各地に送られました、そのうち四国、徳島、丸亀、松山にいた1000人が坂東俘虜収容所で3年間、その間、地域の人々は彼らからいろいろな事を学びました。

牧畜、製菓、建築、音楽、スポーツと収容所のなかでは俘虜達の活動は多彩で音楽面では、オーケストラや楽団、定期演奏会と、その中でも特にベートーベンの交響楽「第九」が始めて演奏されました。当時のドイツ兵の交流や暮らしを、このドイツ館で見ることが出来ます。1回目からの合唱団員の写真も飾られ、2回目、3回目参加の皆さん、自分の顔を探し当て懐かしんでいました。私もまた来ることが出来ればと思いながら・・・・。

 

          

      

      

 

日本で命を落とされたドイツ兵の慰霊塔があります。合唱の前日、鳴門市長、鹿児島合唱団、札幌と顕花を行い、全員で[第九」を披露しました。翌日、徳島新聞にそのことが記載されていました。収容所の後地は公園になっていますが、いずれ復元されるそうです。その時にでもまた訪れることが出来ればと思いながら帰ってきました。

  

    

 

                  

       

 

 

夜、鹿児島市民[第九]を歌う会の皆さんと交流会を持ちました。

「第九」はドイツ語で歌うものだと思っていましたが、日本人、日本語で歌ってもいいのではないかと、鹿児島の合唱団員、鶴本さんが私に「第九」の日本語訳の詩をくだしました。ご披露しておきたいと思います。

 

   いざみな歌えや 喜びこそは     尊きたまもの 神のみ恵

   奇しき力に もろびと総て       再び結ばれ むつみてゆかん

 

   友どちつどいて喜び歌い       互いに手をとり 高きに登れ

   苦しみ恐れず 誓いは固く      み空の星までとどかじやまじ

             

                                 かごしま第九を歌う会   鶴本総平

 

           


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