rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

濃霧のち黄ばみ濁った空気の層

2013-01-25 15:17:29 | 空・雲・星・太陽たち
今朝は、視界10メートルの濃霧で、全て白く塗りつぶされていた。
日の出から1時間もすれば霧も薄まるだろうと思いきや、小さい人が登校する時間になっても変わらない霧の濃さ。
危険だから自転車はやめにして、車で送ることにした。
サイドランプだけでは何の役にも立たないから、ヘッドライトをつけて恐る恐る道路に出る。
低いところにはさらに濃い霧溜まりができ、視界はもっと悪くなる。
通常の三倍ほど神経を集中し、スピードを抑えて走行。
途中、無灯火の対向車とすれ違い、何度か肝を冷やした。
自転車通学の中学生がいるかも知れないと、目を皿のようにして周囲を確認する。
学校近くの歩道があり、通学者の多い場所で小さい人を下ろして、また来た道を戻るが、濃霧なのにライトをつけない車にたびたび会うことに、驚きを隠せない。

霧は、太陽をさえぎり、白く浮き上がらせながらも、9時を過ぎる頃までしつこく居座っていた。

10時をまわる頃にやっと霧は晴れ、買い物へ出かけられるようになった。
車を走らせていると、今度は地上40メートルあたりまで黄ばみ濁った空気が沈殿しているではないか。
無風状態なので、土埃ではない。
花粉にしても無風ではこれほどの量が空中に飛散しようもないだろう。
もしかすると、先ごろ中国で起こった大気汚染の物質を付着させた黄砂が、霧とともに地上に留まったというのか。
そういえば、鼻がむず痒い。
花粉か黄砂か、いったいどっちなのか?

今では、昼過ぎに吹いた強い西風が、黄ばみ濁った空気の層を追いやってくれて、いつものような感じになっている。
黄砂かどうか確認しようと気象庁のホームページの黄砂飛散状況を見ようとしたが、メンテナンス中とかで役に立たなかった。
例年黄砂が多く飛ぶ時期は、2~4月の花粉飛散時期と重なるはずなので、今頃メンテナンスとはいかがなものか。
アレルギー疾患、呼吸器系疾患を持っている人は、とても気になる情報だから。
もし、今日のあの黄ばみ濁った空気が、黄砂を大量に含んでいたとしたら、困る人もいるだろうに。
また、天気予報で花粉情報をやるのだから、黄砂情報も加えて欲しい。
今回のように、気象庁のホームページのメンテナンスがあって、調べたくても調べられないことがあるからね。

ガラパゴスチックな場所で、歪なオイラのひとりごと

2013-01-24 15:15:35 | つぶやき&ぼやき
オイラは、偏ったものの見方をするし、物事の見聞が浅いし、知識も知恵も足りない。
ただ、年だけはそこそことってしまっている。
臆病で、ものぐさで、忍耐力ないし、怒りっぽくて、世間から引きこもって暮らしている。
たまに、普通人を装って外界と接すると、疲労困憊して、2~3日だらだらしちゃうんだ。
まったくもって困った奴なんだけれど、こんな奴でも自分なりの理想やルールがある。
なんにもなかったら、オイラを保っていけないじゃないか。
こんなオイラの理想とルールを書き出してみる。
・食べ物を粗末にしない。
・物を大切にする。
・できるだけ公平に人と接する。
・悪意を持って他人とかかわらない。
・嘘をつかないようにする。
・たとえ間違っていたとしても、どちらとも取れるような曖昧なことは言わない。
・自分の良心に照らし合わせてやましいことはしない。
・考えることを放棄しない。
・寛容を心がける。
・自分を過信しない。
・・・・・、まだあるような気もするが、思いついたことをあげてみた。

逃げの口上になるかもしれないが、人は不完全な生き物だから、徹頭徹尾言っていることとやっていることが合うわけではない。
しかし、あまりにも首をかしげることが多い。
建前と本音ということでは済まされないなにか奇妙な現象が、巷に横行しているように思う。
または、冷静に事態を把握し、私利私欲を抑えて行動する気風が、風前の灯のようにも見える。
大きな声を上げて主張したものが勝つという風潮が強くなってきている。
結果が全てで、過程は何でも構わない、勝ちが正義とばかりだ。
憐れみとか思いやりとか、助け合い分かち合うとか、そんなことは御伽噺の世界の出来事なのか。

大人たちが子供たちに教えていることと、実際に大人たちがやっていることの差に、子供たちは困惑して不信感を募らせている。
野放しの欲望と剥き出しの本能が、あらゆるところにばら撒かれ晒されている状況下で、理性を学ぶには過酷過ぎるだろう。

四割がた無菌状態に生きるオイラからすると、今の人の世は「北斗の拳」状態だ。
幸いにも、ガラパゴスな風土の片隅だから、まだこうして生きていられるのだろう。
かわいいオイラの子供たちは、今はすくすくと育っているけれど、彼らが生きていくこれからを思うと心配でならない。
せめて、歪なオイラの良心にかけて、彼らが人生の航海を成せるよう、精一杯巣立つまでを支えていきたい。




凄まじき執念の食欲男、家人

2013-01-23 15:21:20 | つぶやき&ぼやき
「おはよー、朝だよー」
「・・・」
「朝だよ、起きて」
「・・・」
「朝だよー」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「ごはんだよー」
「ん、んんんーん」

家人を起こすには、「ごはんだよ」と言わなくてはならない。
そうすれば、ほぼ一回で起きてくる。
昨日は、ちょっとしたフライング事件があった。

中「メッシ、凄いよね!」
私「うわあ、メッシやるよね、魅せるよね」
中「ほんとに凄いやぁ」
私「メッシ、うま~い!」
家「なにっ!何のメシがうまいんだ!?」
中&私「・・・!?」
私「サッカー選手のメッシのゴールが上手いと言っていたんだよ。」
家「あっ、そう。・・・zzz」

家人は、何事もなかったかのように眠りの続きに戻っていった。

前のブログにも書いたが、家人の食への執着は鬼気迫るものがある。
大食漢でも、美食家でもないけれど、彼独自の食への拘りとルールがあるらしく、食べ物を粗末にしたり、おいしく食べていないと、かっちとスイッチが入るらしい。
目の前の屈強な大男が、家人の大好物のポテトチップスを食べ飽きたからといってそのまま投げ捨てようものならば、自分の非力さも忘れてその男を諌めるだろうというくらいだ。
傍目には、変な人と映るかもしれないが、私には、至極まっとうな理由と思われ、ただその変貌振りをあきれてみている。

漫画の「ハンター×ハンター」だったか、相手が何に対して怒っているかで、その人が何を大切にしてどんな考えの人なのか分かるとあった。
確かに、どうでもいいことで本気で怒ったりはしない。
そう考えると、人の怒りばかりではなく、自分の怒る場合をよく精査して、自分の内奥を窺い知るのもいいかもしれない。

”食”に敏感に反応する家人は、脊髄と小脳、つまり本能に直結している原始生命体なのだろうか。
もっとも、人は一本の管に過ぎないと誰かも言っていたので、誰しもあまり変わらないのだということが、これからも分かるのであった。




マンゴー初体験

2013-01-22 11:22:02 | 食べ物たち
今朝のヨーグルトは、フレッシュマンゴーをたっぷりとのせたもの。

昨日の買い物で、生鮮食品コーナーの見切り品のワゴンの中に、大きなタイ産のマンゴーが2個と、アボカドの詰め合わせにイチゴやオレンジにミカンなど、いろいろ置いてあった。
2つ並んだマンゴーが、私の気を惹いた。
よく見てみると、果皮にまだ張りと艶があり、そんなに鮮度が落ちていると思えない。
398円の半額199円、子供たちにまるごとのマンゴーを体験してもらおうと、1個だけ買ってみた。
マンゴーと一緒にいたアボカドとオレンジも「連れていっておくれよ」と訴えているようなので、気前よくカゴに入れてみた。

そして今朝、自分でも初めてのまるごとマンゴーのカットに挑戦した。
マンゴーの種は、大きく平べったいのが一つ入っているはずなので、包丁を平たい正面からぐるっと反対まで回しいれる。
それから、縦の中ほどにもぐるりと切れ目を入れ、次いで側面も一周してみた。
果肉が柔らかいので、アボカドのように真ん中の種を中心に回し取ることができない。
正面4分の1を軽くひねり取ってみる。
美しくはないけれど、果肉が離れた。
その要領で全て取り、皮を下にして賽の目に切れ込みを入れて、皮と実の間に包丁を滑り込ませて果肉を分離する。
種の周りに残る果肉は、きれいにそげ落とした。
それらをヨーグルトにのせ、顆粒状の砂糖をパラりとふりかけて出来上がり。
トロピカルフルーツヨーグルトの完成だ。
ちょっとリッチな気分の朝の一品。
”絵”は、半ば食べてから気がつく性分なので、艶やかでみずみずしいイエローオレンジのマンゴーの果肉が白いヨーグルトの上に盛られ、白の顆粒状の砂糖がふられているところをご想像いただきたい。
マンゴーを解体した後の、大きく平べったい種を子供たちに見せたら、大いに驚いていた。
これもマンゴーを買ってよかったと思ったことのひとつ。
二度楽しめた。

さて、このマンゴーヨーグルトを食べている家人がぼそりと申すには、「柿の味と乾いたネコチッチのにおいがする。」のだそうな。
確かに、熱帯の咽かえるような植物たちの世界が原産のマンゴーは、自己アピールのためにも目立つ色と匂いを供える必要があったと想像に難くない。
猫のマーキングに使用するあの液体”ネコチッチ”には、個体を示す独特の匂い成分とメスを惹き付ける独特のフェロモンが含まれていようから、マンゴーの匂いと共通する部分があってもおかしくはないだろう。
それにしても、この言い表しようには、ときどき引いてしまうのだな。

話はちょいと脱線するけれど、グルメリポートの言い表しの少なさには、我が家でいつも抗議の声が上がっている。
”あまい””柔らかい””口の中でとろける”ばかりじゃなくて、もっとわかりやすい例えをあげて細かいところまで表現して欲しいのがそうだ。
そうすると、マンゴーは「柿の味と乾いたネコチッチの匂い」となる。
家人は、こと”食”に関しては、人格が変わり饒舌になるのだが、最近中坊までもが何かとうるさくなっている。
「甘いだけの果物は好みじゃない」「小麦の薫り高いパンを食べたい」「お茶は、濃い目で、2番茶までしか飲みたくない」「さしのたくさん入ったピンク色の肉は、肉じゃない」「脂っこいものは舌が鈍る」などと、実に小うるさい。
だから、家人と食べ物談義が始まると、そこの空間だけ熱を帯びた空気で包まれているのだ。
かといって、食べ物を粗末にすることはご法度なので、目の前に出されたものは胃に入る分残さず食べる。
いろいろと語り感想を持つことは大いに結構、でも、”美味いもの至上主義”に囚われて食べ物への感謝の念を失っては、生き物としての道を踏み外すことになるので、くれぐれも注意しなければならない。

ああ、こんなにもいろいろと影響を及ぼしてくれた”見切り品コーナーのマンゴー”よありがとう。
きっと、遥々タイから運ばれてきたマンゴーは、食べられることなく朽ちて捨てられたくなかったのだろうな。
我が家できっちり食べつくしたから、マンゴーも浮かばれたに違いないと、そう思うのであった。




フードプロセッサー降臨

2013-01-21 22:44:58 | 食べ物たち
とうとう我が家にフードプロセッサーがやってきた。
これでトマトソース作りが、楽に、見た目よくできる。
今日、いつものプチトマト農家方からもらった大量の完熟トマトを使って、トマトソースを作った。
タマネギ、ニンジン、トマトを細かくみじん切りにして、五分のペースト状になった。
トマトは湯剥きをしないので、これで皮が気にならなくなり、栄養満点のトマトソースに仕上がる。

最初は、包丁で涙を流しながらひたすらみじん切りをし、次に手回しみじん切りカッターを使うようになって涙の量が減ってスピードアップし、今ではいとも簡単に早く細かくみじん切りが完了する。
ああ、機械のありがたみを痛感。
何でも便利になればいいとは思わないが、頻度の多いものに関しては、それもありなのだと思うようになった。
それも、ここに至るまでの長い二段階の工程があったからこその、ありがたみといえる。
我が家にフードプロセッサーが到着し、箱を開けて取り出すとき、フードプロセッサーが光を放ち降臨したかのように感じたのは、誇張とばかりはいえないだろう。

しかし、煮詰める時間の短縮は、無理なお願い。
まったく、ひとつ容易くできるようになると、次の不満と要求が頭をもたげてくるのは、如何ともしがたい愚かさよであるよ。