我が家には、ささやかなこだわりがある。
二十一世紀も半ば過ぎだというのに、いまだに紙の新聞をとっているのだ。
新聞を開いたときに、アナログな情報の山が、紙とインクの匂いをさせながら目に飛び込んでくるのは、脳の活性化に役に立つと、2020年だったかに、28人目の日本人ノーベル賞受賞者のナントカさんが提唱して以来、右肩下がりだった新聞購読が増えるようになり、今でも世帯の25%は新聞を購読している。
しかし、この紙の新聞で弁当を包むという前世紀の習慣を維持しているのはウチぐらいのものだろう。
この習慣は、意外にお袋の習慣だ。
編集という特殊な仕事柄なのかもしれないが、去年、親父とのヨリが戻り、家族の復活をしみじみ感じたのは、この新聞紙に包んだ弁当を学校で開いたときかもしれない。
お袋は早起きで、朝の支度をしながら新聞を読み、必要なものは、その場で切り抜き、残ったもので弁当をくるむ。何ヶ月も新聞を溜め込むようなことはしない。やはりニュースは新鮮さが第一というのは、今の人間である。
その日はテスト終了後の短縮授業。
学校は昼までなんだけど、部活があるので弁当を持ってきた。何気なく広げっぱなしにしていた新聞紙に幸子は注目した。
「へえ、先月の極東事変の裏は、甲殻機動隊が……」
「あ、あの防衛大臣の首が飛んだやつ」
「あれ、軍が大臣に内緒で攻撃準備してたんでしょ。あれ勝ったんで戦争にならずに済んだって。戦争やってたら、スニーカーエイジどころじゃないもんね」
優奈が、食後のお茶を飲みながら言った。
「押さえた記事になってるけど、仕掛けたのは甲殻機動隊だって……」
ちがう。
俺は、一カ月前、ねねちゃんにインストールされて、ねねちゃんのママの死に立ち会ったことや、そのあとDepartureして防衛省に潜入したことを思い出した。あれは、義体であるねねちゃんの判断だった。ねねちゃんは、あれからも急速にねねちゃんらしさを取り戻している。それに比べて、わが妹の幸子はあいかわらず。義体として他人になりきる技術は完ぺきだ。小野寺潤を始め、骨格の似ているアイドルには完ぺきにコピーできる。もうレパートリーは20を超え、いくつかを合成して、オリジナルな佐伯幸子としてもアルバムを出すようになった。
ただ、幸子は、あくまで終末放課後アイドルに徹しており、高校生活に穴を開けるようなことはしなかった。
「さ、お兄ちゃん、練習だよ」
「はいはい」
幸子は、ケイオンの選抜メンバーに選ばれても、昼や休憩時間の半分以上は、もとの仲間と時間を過ごすようにしている。妹ながら気配りのできた奴だ。もっとも、それはプログラムモードのときだけで、ナチュラルモードのときは、相変わらずのニクソサである。
それから一週間、スニーカーエイジのプロディユーサーが学校にやってきた。
顧問の蟹江先生立ち会いの下で、選抜メンバーはプロデユーサーに会った。
「やあ、プロデューサーの的場です。大事な話なんで、ぼく自身で来ました」
初対面なんだけど、どこかで会ったような気がした。
「あ……兄貴が、こないだまで国防大臣。でもナイショね。かっこ悪いし、兄貴は兄貴、ぼくは、ぼくだから」
そう言うと、的場さんは頭を掻いた。でも、兄貴がドジな国防大臣であったのとは違う緊張感がした。
「なんでしょう、もし編成に関わるようなことならハッキリ言うてください。わたしらも対応せんとあきませんから」
加藤先輩が促した。的場さんは、メンバーの顔を見渡してから口を開いた。
「申し訳ないが、佐伯幸子さんの出場が認められなくなりました」
一瞬、みんなが凍り付いた。
「理由はなんですか」
「佐伯さんの芸能活動です」
「それは、登録するときに問題ないて、言わはったやないですか!」
ギターの田原さんが広義した。
「登録時はセミプロだったが、今はヒットチャートの常連だ。立派なプロだよ」
「そんな……」
みんなの口から同じ言葉が漏れた。
「しかし、それは殺生だっせ」
いつも口出しをしない、蟹江先生が平家蟹のようになって言った。
「規約では、出場者は、学校や、エージェントが不良行為と認めた場合に出場をとりけすことがある……としか書いてまへんけど」
「あと、もう一点、プロと認定された者は出場できないとあります」
「待ってください。わたしがプロなのは週末だけです。それ以外は普通の高校生です」
「スニーカーエイジの本選は週末に行われる……週末の君はプロなんだ」
外の蝉の声が、ひときわ大きく耳障りに聞こえてきた……。