大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

真夏ダイアリー・45『プロモのロケハン』

2019-10-20 07:12:28 | 真夏ダイアリー
真夏ダイアリー・45
『プロモのロケハン』     
 


 
 プロモ撮影の初日は十三日の日曜だった。

 ほんとうは土曜からのはずだったんだけど、サッカー部の練習試合が入っているので、一日日延べになった。
 その分、土曜はロケハンに使われた。
 ちなみにロケハンとはロケーションハンティングの略で、あらかじめロケ場所を見ておいて、カメラの撮り方や、撮影のコンテ=カットのイメ-ジ画なんかを決めて、必要な機材の決定もおこなわれる。

 このロケハンから、例の仁和さんが加わった。

 仁和さんは、やっぱし仁和明宏さんだった。黄色のソバージュに大きめのハンチングで、校舎や、グラウンドのあちこちを見て回った。わたしたちは、案内役として側に控えていた。
「ここが、渡り廊下と新館のつなぎ目で、カメラをパンさせるとなかなか良い絵が撮れますよ……この警備員室からだったら、坂の上の景色とグラウンドの平面のコントラストが立体的ですよ」
 知ってるだけの知識を総動員して、自分なりに絵になりそうなところを説明した。
「真夏さんは、立体構成については、良いセンスしてるわね。やっぱり、ここは乃木坂だから、坂の絵からパンして校舎を舐めるのが最初かな……」
「分かりました」
 ディレクターの黒羽さんが答える。どうやら、今度のプロモはかなりのところ、仁和さんの意見が反映されるようだ。これも光会長のご意向のようだと、わたしは思った。

「黒羽さん、校舎はできるだけ写さないようにして、グラウンドと坂を中心にいきましょう」

 校舎の中のあれこれを下調べしておいたわたしは、少し凹んだ。
「ごめんね、真夏さん」
 表情に出したつもりはないんだけど、気持ちはすぐに読まれてしまった。
「いいえ、そんな。わたしは、案内役ですから」
「フフ……あなたたち乃木高生は、坂の上の乃木坂学院に、コンプレックス持ってるようだけど、それって愛校心の裏返し。いいことだと思うわよ。でも……校舎は死んでるわね」

「死んでる!?」

 声がひっくり返ってしまった。
「安出来のリゾートみたい。まだ改築して間がないこともあるけど、まだ学校としての命を宿していないわ……どうしてファサード(建物の正面)を金魚鉢みたいなガラス張りにするんだろ。まだ前の……いいえ、戦争前の女学校の時の校舎の意志が強くて、わたしには、そっちのイメージが強く感じられる。でも、カメラには、そんなもの写らないものね。でもグラウンドは、ほとんど昔のまま……このサッカー部の試合、乃木坂が勝つわよ。黒羽さん掛けようか?」
「乃木坂、押され気味ですけどね」
 ちなみに、乃木高のサッカー部は弱い。今日の相手の麹町高校は格上。わたしの目からも、負けは明らかなように見えた。
「グラウンドが力をくれるわ。乃木高が勝ったら、お昼は、わたし指定のお店。お勘定はそっち持ちってことで」
「ハハ、いいですよ。じゃ、わたしが勝ったら?」
 黒羽さんが、振った。
「そちらが用意してくださった、赤坂のホテルで大人しくいただくわ」

 それから、仁和さんは、校庭の木々をゆっくりと見て回った。そして、何本かの桜にリボンでシルシを付けさせた。

「この桜たちは、この学校が出来る前から、ここにあった桜。撮るんなら、この桜越しに校庭を撮りましょう……これね、連理の桜」
「はい、あたしたちが見つけました!」
 玉男が、顔を赤くして手を上げた。その手を見て、仁和さんが言った。
「あなた、お料理が好きでしょう。手を見れば分かるわ」
「あ、ども、恐縮です!」
「いい時代に生まれたわね。あなたみたいなキャラは、わたしたちの時代じゃ人間扱いしてもらえなかったわよ」
「あ、はい。頑張ります!」
「何を頑張るのよ?」
 由香に混ぜっ返される。
「そ、そりゃ……」
「いろいろよね。そういうとこがはっきりしないのが青春よ……黒羽さん」
「はい」

「この連理の桜……造花でいいから花を付けてあげて。この桜は命があることを誇らしく思っているから……」

「はい、造花で飾ろうというのは会長からも言われています」
「さすがミツル君、そのへんのところはよく分かっているみたいね……それから、当日は、お塩とお酒の用意を」
「なにか憑いていますか?」
「そんなんじゃないけど、ここを頼りにしている人が沢山いるから」
「特別、区の名木にも指定はされておりませんが」
 事務長さんが答えた。
「亡くなった人たち。主に戦争被災者の人たちだけど……玉男君たちには悪いけど、これを見つけたのは、あなたたちじゃなくて、この桜が、あなたたちに見つけさせたのよ」
 妙に納得した。
 省吾の馬鹿力でも、ここまで飛ばすのはむつかしい。それに、ゆいちゃんがたまたまこの桜の前に立っていたのも偶然すぎる。なにより、ほんの十センチほど開いていたゆいちゃんの足の間にボールが落ちたのは奇跡に近い。

「ほうら、わたしの勝ちよ」

 みんなロケハンに熱中して、サッカー部の試合なんか忘れていたけど、サッカー部はPK戦の果てに麹町高校を下していた。

 で、お昼は、乃木坂一つ越えた通りの「玉屋」という大衆食堂を借り切った。ご主人に聞くと、もう五代目のお店で、明治の頃は、行合坂の茶店で通っていて、乃木大将もときおり寄ったことがあるそうだった。
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まどか乃木坂学院高校演劇部物語・10『わたし、やります!』

2019-10-20 07:04:11 | はるか 真田山学院高校演劇部物語
まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・10   

『わたし、やります!』 

 
 
「潤香が倒れた」

 全員が揃うと、マリ先生は組んだ腕をほどきもせずに冷静に告げた。

「今朝、玄関で靴を履こうとして……今は、意識不明で病院だって」

「え……」

 あとは声も出ない、遠く彼方を飛ぶ飛行機の無機質な音だけが耳についた。
「わたしは、これから病院にいく。で、本番のことなんだけど……」
 そうだ、三時間先には本番……でも、主役の潤香先輩がいなっくちゃ……。
「選択肢一、残念だけど今年は棄権する」
 そりゃそうでしょうね。みんなうつむいた……そして、先生の次の言葉に驚いた。
「選択肢二、誰かが潤香の代役をやる」

 みんなは息を呑んだ……わたしはカッと体が熱くなった。

「ハハ、無理よね。ごめん、変なこと言っちゃって。ヤマちゃん、地区代表の福井先生に棄権するって言っといて。トラックは定刻に来るから、段取り通り。戻れたら戻ってくるけど、柚木先生、あとをお願いします」
「はい、分かりました」
 副顧問の柚木先生の言葉でスイッチが入ったように、山埼先輩とマリ先生が動き出し、ほかのみんなは肩を落とした……で。

「わたし、やります!」

 クチバシッテしまった……。

 みんながフリーズし、山埼先輩はつんのめって、マリ先生は怒ったような顔で振り返って、わたしを見つめた。
「まどか、本気……?」
 柚木先生が、暴言を吐いた生徒をとがめるように言った。

「……」

 マリ先生は地殻変動を観察する地質学者のように沈黙して、わたしの目を見つめている。
「わたし、潤香先輩に憧れて、演劇部に……いいえ、乃木坂に入ったんです。コロスだけど、稽古中はずっと潤香先輩の演技見てました。台詞だって覚えています。動きも、こっそりトレースしてました。潤香先輩のそっくりショーやったら優勝まちがいなしです!」
 一気にまくしたてた。
「上等じゃないのよさ……その目、入部したころの潤香そっくり。小生意気で、挑戦的で、向こう見ず。心の底じゃビビッテるんだけど、もう一人の自分が、その尻を叩いている……やってみなアンダースタディー(この意味はあとで言います)」
「ほんとですか!?」
「まどかは、潤香よりタッパで三センチ、バストは四センチ、ヒップは二センチちっこい。ウエストはまんま。衣装補正して。本番までに一回、台詞だけでいいから通しておくこと!」
 マリ先生は、わたしの肉体的コンプレックスを遠慮無く指摘して楽屋を去っていった。

 スカートの丈を少し補正しただけで、衣装の問題は解決……させた。
 衣装係の、今時めずらしいお下げの、かわゆげな一年のイト(伊藤)チャンは、こう言った。
「バストの補正って大変なんですウ。なんだったら『寄せて上げるブラ』買ってこよっか?」
 真顔なところがシャクに障る。
「これで問題なし!」
「だって……」
「先生の指摘は、目分量。そんなに違いはないよ!」
 と、胸と見栄を張って、おしまい。
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宇宙戦艦三笠・36[虚無宇宙域 ダル・2]

2019-10-20 06:50:01 | 小説6
宇宙戦艦三笠・36
[虚無宇宙域 ダル・2] 



 20パーセクワープしたつもりが、わずかに0・7パーセクあまりで停まってしまった。

 つまり、直径1・5パーセクある虚無宇宙域のど真ん中で立ち往生してしまったわけである。
「……!?」
 さすが艦長の修一も言葉もない。
「非常電源で、艦内機能を維持するのが背一杯です。もう三笠は一ミリも動きません」
 機関長のトシが絶望的な声で固まる。他のクルーたちも息をのんだが、修一を責めるような空気は無かった。
「もう20パーセクワープするエネルギーを溜めこむのに、どれくらいかかる?」
「楽観的に見て20年です……」
 トシが力なく答えた。

 三笠は、虚無宇宙域のど真ん中で孤立してしまった……。

「アクアリンドのクリスタルは使えないの?」
 航海長の樟葉が聞いた。
「エネルギーコアがあるにはあるんですが、エネルギーに変換されるのは80年後です。それに、三笠の光子機関との接続方法もわかりません」
「どうでもいいけど、トシって、ダメな結果を言う時の方が答えがはっきりしてるわね」
 美奈穂が毒を吐くが、トシを含め、だれも反論する元気は無かった。

 窮した修一は、船霊のみかさんに聞きにいった。

「アメノミナカヌシは、虚無から世界をお創りになったわ」
 ニコニコと、古事記の創世記を聞かせてくれただけだった。
「みんなで決心してやったことだもの、誰も責められないわ。自然の流れに乗っていくしかないでしょう」
 そこまで言うと、神棚に隠れてしまった。

 二日がたった。

「なによ、この非常食は!?」
 食卓に、非常用の乾パンが載っているのを見て、美奈穂が悲鳴をあげた。
「生命維持に必要なエネルギーを優先的に残すためです……」
 クレアが、事務的な声で言った。
「仕方がない。とにかく考えよう」
 修一は乾パンを齧った。

 四日がたった。

「重大な提案があります」
 トシが憔悴しきった顔で言った。食卓には乾パンさえ出ていなかった。
「クレアさんと相談したんです。救命カプセルに入って冬眠状態になろうと思います」
「わたしと、ウレシコワさんは残ります。二人は人間じゃないから、入る必要がありません」
「でも、クレアの義体の表面は生体組織だ。それにメンテナンスもしなきゃ、持たないよ」
「生存の可能性は、みなさんの何倍もあります。ウレシコワさんは船霊だから、このままで残れると思います」

――賭けてみましょう――

 みかさんの声だけがした。薄情なのかと思ったら、実体化するだけで船のエネエルギーを使ってしまうかららしかった。
 こうして、修一、トシ、樟葉、美奈穂の三人は救命カプセルで冬眠することになった。

 そして、20年の歳月がたった……。
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秋野七草 その一『そんなつもりは無かった』

2019-10-20 06:40:59 | ボクの妹
草 その一  
『そんなつもりは無かった』       
  
 
 
 そんなつもりは無かった。
 
 ハナ金とは言え、男同士アキバの肩の凝らない国籍不明の酒屋一件で終わるはずだった。ところが、二つの理由で、こうなってしまった。
 
 繰り返しになるが、そんなつもりは無かった。
 
 理由の一つは仕事である。
 
 防衛省から、ごく内々ではあるが、オスプレイの日本版を作る内示があった。オスプレイの採用は、調査費もついて、ライセンス生産が決まっている。しかしアメリカ的なデカブツで、海上自衛隊で、艦載機として使えるのは、ひゅうが、いせ、いずもなどの空母型護衛艦に限られる。そこで、骨董品になりつつあるSH-60 シーホークの後継機を国産する方針になり、その仕事が、わがA工業に回ってきたのである。むろん他社にも競争させ、基本設計とコストを比較したうえ入札になる。  
 で、その研究と概念設計の仕事が、わが設計部に回ってきたのである。正式に採用されれば、この三十年ぐらいは、この仕事、タスクネーム「うみどり」で、会社は安泰になる。  
 それで、近場のアキバというオヤジギャグのようなノリで、設計部の若い者達で繰り出した。
 もう一つの理由は、話の中で、オレ、秋野大作(あきのだいさく)が、南千住で四代続いた職工の家であることだ。
 
 後輩の山路隆造が感激し、もう一軒行きたいと言い出し、調子にのったオレも「よーし、それなら!」と、上野の老舗のわりに安い牛飯屋に行こうと言ってしまった。
 山路と言う奴は、名前の通り山が好きな男で、連休や長期休暇には、必ず休みの長さと天気に見合った山を見つけて登っていた。ウチは爺ちゃんが元気な頃、暇を見つけては山に登りに行っていたので話が合って、気が付けば看板になっていた。山路は、終電車を逃してしまったので、自然に口に出た。
 
「じゃあ、オレの家に泊まれよ」
 かくして、深夜のご帰還とあいなったわけだ。
「「ただ今あ!」」
 
 元気な声が二つ重なった。山路は、酒が入っているとは言え客であるので、神妙にしている。
「ちょ、そこ邪魔!」
 と、玄関のドアを叩いて、もう一度の凱歌あげようとする妹の拳を握り、口を押さえた。
「ちょ、なにすんのよ兄ちゃん。妹を手込めにしようってか!?」
「もう、遅いんだ。ただ今は一言でいい。ほら、近所の犬が吠え出した……」
「うっせえんだよ、犬……あら、いい男じゃん」  
 そう言うと、酔っぱらいなりに、身だしなみを整え始めた。髪は仕事中とは違うサイドポニーテールというヘンテコな頭に、ルーズな、多分帰り道、酔った勢いで買った、派手なオータムマフラー。それを申し訳程度にいじっておしまい。
「妹さんですか」
「ああ、七草と書いて、ナナって言うんだ。ああ、酒臭えなあ」
 酒の入ったオレが言うのだから、相当なものである。
 
 ここまでは、まだ取り返しの付く展開であった。
 
「どーも、あ、あたし妹の方の七草です」
「あん?」と、オレ。
「通称ナナちゃん。姉が七瀬って書いてナナセってのがいます。からっきしシャレも冗談も通じない子なんで。兄ちゃん、もうご両親も、姉上も、お休みのご様子。ここは、あたしの鍵で……あれ、鍵?」
「いや、オレの鍵で……」
「いや、あたしが……」
 ナナは、スカートのポケットに手を突っこんだ。その時プツンというスカートのホックが外れる音を聞き逃したのは失敗。
 
 ここでも、まだ取り返しがついた。
 
 とにかく近所の犬が何匹も吠えるので、家に入るのが先決だと思った。
「ここが、お兄ちゃんの部屋。で、こっちが、あたしの部屋。その隣が姉上ナナセの部屋。両方とも覗いちゃあいけません! おトイレは、その廊下の突き当たり。では、お休みなさいませ!」
 と、この春除隊したばかりの、自衛隊の敬礼をして、その拍子に落ちかけたスカートをたくし上げ、ゲップを二つと高笑いを残して、七草は部屋に入ってしまった。
 
 この時誤解を解いておかなかったのが、この後の大展開とドラマになっていく。
 そんなつもりは無かった……。
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小悪魔マユの魔法日記・69『期間限定の恋人・1』

2019-10-20 06:22:20 | 小説5
小悪魔マユの魔法日記・69
『期間限定の恋人・1』    



 やがて、フロントガラスにA病院の建物が揺れながら現れた……。

 病院の駐車場に入ると、マユはちょっとした魔法をかけた。
 黒羽がドアを閉める寸前に、ナビのスイッチを切り忘れるように。
「あれ、切り忘れか……」
 で、ナビのスイッチを切り直しているうちに、ポチの姿のマユは、後部座席から抜けだした。
 監視カメラの位置を確認した。病院に豆柴とはいえ犬が入り込めば、ちょっとした騒ぎになる。カメラの死角を拾いながら、黒羽の後をつけていく。
 夜間受付で、黒羽は父の病室を尋ねた。その瞬間、受付のガードマンは監視カメラのモニターから目を離す。その隙に、ロビーの自販機の横に隠れる。病室は、ガードマンが黒羽に教えていたのを覚えている。
 あとはポチの姿をなんとかしなければ……そこに運良く日勤あけのナースが更衣室に向かうのに出くわした。
 マユは、そのナースの後をつけ、更衣室でナースに化けた。むろん衣装は、そのナースが着替えたものを拝借した。ナースの胸には吉田の名札がついていた。
 病室は五階にあった。エレベーターに乗っているうちに化けたナースの記憶の断片が浮かび上がった……吉永美優という若い患者のことが気がかりなようだ。骨肉腫が術後に全身に転移し、もう手の打ちようが無く、余命は黒羽の父同様に一週間ほどである。美優はナースと同い年である。

「おめでとう……」

 そう言って、美優はナースにブローチをくれた。死期を悟った美優が、同い年のナースの幸せを願い、少しずつ病床で作ったものだ。
「あげる。幸せになってね」
 特定の患者に感情移入はしないのが、この職業の鉄則であるが、さすがにグッときた。そのブローチが、まだポケットに入っている。
 エレベーターが上昇しはじめたときにそのブローチを出してみた。ユーノー (Juno、古典綴 IVNO)の横顔を彫り込んだブローチ。ユーノーは、ローマ神話で女性の結婚生活を守護する女神である。ナースはそのことを知らなかったが、小悪魔であるマユは、そのことがすぐに分かった。気づいていたら、このナースは、職業の規範を超えて涙していたであろう。

「あ……」

 ブローチを裏返して驚いた。{ローザンヌ}のロゴが入っていた。ローザンヌは、黒羽と出会う前に知井子が、ゴスロリのコスを買った店……ナースの記憶にローザンヌのマダムの顔があった。美優はマダムの娘だ。
 あとで寄ってみよう。そう思ったときには五階に着いていた。

 マユは、黒羽が入った隣の空き病室に入った。隣の様子が手に取るように分かる。

「英二、何しに来た!?」
 黒羽の父は、病人とは思えない大きな声で吠えた。
「お父さん、体にさわるわよ」
「……そこに座れ」
 次の声は、ひどく弱々しかった。やはり余命は一週間といったところだろう。父親はかなり衰えていた。以前、HIKARIプロの事務所で黒羽を叱りつけていたころの半分ほどに痩せて、顔色は薬の副作用で黄色くなっていた。心臓を生かすために肝臓を犠牲にしているのだろう。
「なあ、英二……」
「なんだよ、オヤジ」
「おまえが、仕事に打ち込んでいるのは嬉しい」
「バカにしてたんじゃないか。いたいけない少女を使ってあぶく銭稼いでいる手配師だって」
「……思っていたさ。でもな、いつだったか、オレがおまえのところへ行こうとして(13~16章)地下鉄の通路で発作おこしちまって、その時助けてくれた女の子」
「ああ、知井子とマユか……」
「おまえ、あの子たち入れっちまったんだな」
「悪いか」
 妹さんがお茶を淹れる気配がした。
「お父さん、毎日チャンネルかえてはAKRの子たちのこと観てるのよ」
 父と息子は、同時に目を背けた。その隙間を、淹れたてのお茶の香りが満たした。
「……みんなよくやってるよ。特にマユなんか命かけてやってるようなスゴミがあるよ」
「……そうか」

――そりゃそうでしょうよ。あのマユの中味は幽霊の拓美。生きた証(あかし)残そうって必死なんだから。

「あんないい子たちを、あそこまで光らせたんだ。おまえの仕事は間違っちゃいねえ」
「……ありがとう」
 黒羽は、窓辺に寄った背中で答えた。
「だけどよ……お前が身を固めないのが気がかりなんだ」
「……だから、ちゃんといるって彼女は」
「古いこと言うようだけどよ、黒羽の家をお前限りにはしてほしくねえんだ」
「お父さん、ひょっとしたら彼女連れてくるかなって……」
「期待なんかしてねえよ、どうせ英二のハッタリだ」
「そんなことねえって。今日は急だったから連れてこれなかったけど、今度は必ず……」
「必ずって、いつだい……おれは、もう十日ももちゃしねえ」
「お父さん、そんなことないわよ」
「気休めはよせよ。由美子、お前の顔に『長くない』って書いてあるぜ」
「お父さん……」
「泣くな由美子。おまえも英二も嘘はつけねえ。死んだ母さんが、そこんとこだけはちゃんと育ててくれた」
「ほ、ほんとうに嘘じゃない」
「なあ英二、今の仕事が一段落してからでいい、身い固めろ。由美子は、もう三十になろうってのに、ここんとこ男っ気一つありゃしねえ、なんでか分かるか?」
「三十ぐらいの独身女なんてザラにいるわよ。お父さんせっかちなんだから」
「由美子、養子になってくれることを条件に男を考えてるだろう……そんなこと考えてたら、行かず後家になっちまうぜ」
「そんなんじゃないってば」
「真田ってやつと別れたの……その伝だろ」
「由美子……そんな話あったのか?」
 窓ガラスに映る妹と目があった。
「ないない、お父さんの妄想だわよ!」
 由美子が、顔を赤くしてムキになっている。
「オレ、明日は必ず……連れてくるから。由美子もつまらない心配すんな」

 窓ガラスを通して、街の喧噪がきわだった……。

「無理すんなって……」
「無理じゃないって、じゃ、オレ仕事残ってるから、また明日。由美子、悪いけど頼むわ」
 黒羽は、ぬるくなったお茶を飲むと、そそくさと出て行く。最後まで父の顔は見られなかった。

 マユはため息をついた。

 天使なら、安直に人の命を助けて自己満足するのだろうが、悪魔の使命は違う。人に十分な試練を与え、その生をまっとうさせることにある。死ぬ、あるいは死んだ命に干渉することはできない。それができるのなら、あの拓美だって生き返らせている。

 マユは、ポケットのブローチを撫でて、美優の病室に向かった……。
 
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