ライトノベルベスト
めずらしく二階からギターの弾き語りが聞こえている。
「ああ、よっちゃんがツアーから帰ってきたの」
奈菜さんは、お茶を入れながら心持楽しそうに言った。
「ツアーって、ミュージシャンなんですか?」
「そうよ。メジャーじゃないけど、もっと売れてもおかしくない人だと思ってる。どうぞ、相変わらずのお番茶だけど」
奈菜さんが出してくれた番茶に茶柱が立っていた。
「お、茶柱」
「あら、ほんと。いいことあるかもね」
「いいことが、やってきました」
気づくと、管理人室の受付の窓に、よっちゃんの顔が覗いている。
「溜まってた三か月分の家賃です」
「どうも、よっちゃん忙しいから、なかなか会えないもんね。ま、入ってよ」
奈菜さんは、互いの紹介をしながらお茶を淹れなおした。今度は茶柱は立たなかった。
「ツアーって、どんなとこを回るんですか?」
「どこでも。今度は関西中心だったけどね。歌声酒場とか大学の学園祭とか……たまには結婚式の余興ってこともあるけどね。これは実入りがいいの。それが二件あったから、でね、聞いてよ。二件目の結婚披露宴にレコード会社の人がいてさ。今度ゆっくり曲を聞かせて欲しいって!」
「よかったですね!」
パチパチパチパチ
ボクと奈菜さんは、揃って拍手した。
ボクが帰るのに合わせて、よっちゃんはギターを持って付いてきた。
「ちょっと遠回りして、大川の土手にいこうよ」
大川の河川敷は、今にも寅さんや金八先生が出てきそうな、ゆったりした時間が流れていた。
「キミは、大学に入ったら何をしたいの?」
「ええと……」
「まさか勉強なんて言わないでしょうね。そんな名刺みたいな答えだったら軽蔑だよ」
「笑わないでくださいね……作家になりたいんです」
「すごいじゃん。なんとなくなんていったらはり倒してやろうと思った。で、もうなにか書いてるの?」
「まだ、プロット程度のものばっかですけど……」
ぼくは、二つプロットを話した。その場に合ったものがいいと思って大川の土手が舞台になっている話をした。よっちゃんは、とても喜んでくれた。
「肉付けは大学に入ってからだね。とにかく入らなきゃ話にならないもんね。勉強もしっかりやれよ!」
「なんだか、さっきの言葉と矛盾だ」
「んなことないよ。物事には、順序と程度ってものがあるから。それ胸に刻んでりゃ、きっと開けてくるものがあるわよ……」
よっちゃんは、遠くを見るような眼差しになった。トンボが、その前をよぎった。
「あたしの歌聞いてくれる?」
返事をしようと息を吸い込んだら、もうギターの伴奏が始まった。
「よっちゃんの曲って、明るいのが多いですね」
「音が楽しいって書いて音楽だからね。それに明るくなきゃ、結婚式なんかには呼んでもらえません。だけど、あたしは、もう少し情感があればって、目下苦闘中」
「情感て?」
「例えば、こんなの……」
よっちゃんはイルカの『なごり雪』を歌った。ボクも好きな曲なんで、いっしょに歌った。
汽車を待つ君の横で 僕は時計を気にしてる……♪
二日たって、ナナソに行った。よっちゃんの部屋は窓が閉まってカーテンが引かれていた。
「よっちゃん、手紙を置いてった。これ」
――がんばれ、わたしよりずっと!――
その一言だけが書いてあった。
「彼女、いつ帰ってくるんですか?」
「よっちゃん、ギター買い換えてた……安物に。前のは中古で売っても二十万くらいにはなるやつだった。五年も聞いてれば違いぐらいは分かるわ」
そう言うと、奈菜さんは「空室」という張り紙を持って二階に上がっていった。