今日は比較的天気も良くて、昼は暖かくなったので、多摩センターまで散歩した。
パルテノン多摩の大工道具展を見学した。 此処は無料で見られる。 落合に有る白山神社
を作った 中田弥吉と言う宮大工の道具を拝見した。 地方の大工で勿論 民家も作った人の
様だ。 良く道具が残っていた物だ。 この道具は私の知り合い田中棟梁が 中田 弥吉
氏から 貰い受けたものだと言う。 田中棟梁の話を聞くと 中田さんと言う宮大工から
色々教えを受けて、一緒に仕事をした事も有るそうだ。 師匠は大変厳しい人だったそうで
田中棟梁だ建てた物を見て、こんな物は大工の作った物では無いから、壊して立て直せと
言われて 仕方なく立て直した事も有るそうだ。
その田中棟梁も事故で大工をやめて、道具類は田中さんの兄が預かっていたらしい。 だから
捨てられず残った物だろう。
鉋の類は殆どが 自分で作った物だと言うが、やはり手入れして無いから錆びて使えないと
思う。 銘は不明。 鋸は二見屋甚八の銘が有り、近くの鋸鍛冶の物だ。
鑿類は使い込まれて減っていた。 丁奈や大鋸は無くて 失われたと思われる。
道具箱4箱に入って居たらしいが残って居るだけで良しと言う所だろう。
地方の大工は神社や仏閣だけでは食べて行けないだろうから、民家も作っていた。 この辺は
以前は養蚕も盛んで 農家は何処も大きな家が多かった。 お宮位作れる大工は多く居たと
思われる。 時代が変わって この辺りは 大規模な造成とニュータウンが出来て
コンクリートの団地が大半の街になった。 大工も少なくなり、過去の記憶は残って居ない
場合が多い。 こうして展示会を行い 道具まで展示して 過去の経緯が辿れるとは 貴重な
事だろう。 長く語り継がれて欲しい物だ。 今 白山神社は 正月は列をなす人手だ。
知り合いの田中さんが こんな所で思いがけず 過去の若い頃の写真を見られてとても
嬉しい。
パルテノン多摩の大工道具展を見学した。 此処は無料で見られる。 落合に有る白山神社
を作った 中田弥吉と言う宮大工の道具を拝見した。 地方の大工で勿論 民家も作った人の
様だ。 良く道具が残っていた物だ。 この道具は私の知り合い田中棟梁が 中田 弥吉
氏から 貰い受けたものだと言う。 田中棟梁の話を聞くと 中田さんと言う宮大工から
色々教えを受けて、一緒に仕事をした事も有るそうだ。 師匠は大変厳しい人だったそうで
田中棟梁だ建てた物を見て、こんな物は大工の作った物では無いから、壊して立て直せと
言われて 仕方なく立て直した事も有るそうだ。
その田中棟梁も事故で大工をやめて、道具類は田中さんの兄が預かっていたらしい。 だから
捨てられず残った物だろう。
鉋の類は殆どが 自分で作った物だと言うが、やはり手入れして無いから錆びて使えないと
思う。 銘は不明。 鋸は二見屋甚八の銘が有り、近くの鋸鍛冶の物だ。
鑿類は使い込まれて減っていた。 丁奈や大鋸は無くて 失われたと思われる。
道具箱4箱に入って居たらしいが残って居るだけで良しと言う所だろう。
地方の大工は神社や仏閣だけでは食べて行けないだろうから、民家も作っていた。 この辺は
以前は養蚕も盛んで 農家は何処も大きな家が多かった。 お宮位作れる大工は多く居たと
思われる。 時代が変わって この辺りは 大規模な造成とニュータウンが出来て
コンクリートの団地が大半の街になった。 大工も少なくなり、過去の記憶は残って居ない
場合が多い。 こうして展示会を行い 道具まで展示して 過去の経緯が辿れるとは 貴重な
事だろう。 長く語り継がれて欲しい物だ。 今 白山神社は 正月は列をなす人手だ。
知り合いの田中さんが こんな所で思いがけず 過去の若い頃の写真を見られてとても
嬉しい。
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