先日の記事で評論家の大宅壮一さんが週刊朝日に書かれた「千里山」のことを紹介させて頂きましたが、原本ではないのですが昭和32年の掲載になるその文章のコピーを、千里山まちづくり協議会の安藤さんにお借りしましたので、4ページのPDFデータに組み直し住民の皆さんにご覧頂けるようにしました。
「新・日本拝見」という特集シリーズで、戦後12年を経て新たな平和民主主義の価値観のなかで、人々の生活や社会風俗がどのような方向性をみせているのか、全国で特徴のある新興住宅地に焦点を当て探っていこうという企画だったようです。大正時代に開かれた千里山住宅地が、当初の困難な経営状況を抱えつつも、恣意的な住民誘致から徐々に中間サラリーマン層の住宅地として発展してきた様子が、辛口評論家の眼でもって等身大に描かれています。ややロマンティックに想像しがちな我がまちの冷静な評価がそこには感じられました。
ところで大宅壮一さんは大阪府三島郡富田村(現高槻市)の醤油屋生まれだと安藤さんに教えて貰いました。三島郡といえば吹田や千里山も同じ郡内ですので、辛口の中にも何か愛情のようなものが感じ取れるのも不思議ではありません。
・掲載記事の紹介
「新・日本拝見」という特集シリーズで、戦後12年を経て新たな平和民主主義の価値観のなかで、人々の生活や社会風俗がどのような方向性をみせているのか、全国で特徴のある新興住宅地に焦点を当て探っていこうという企画だったようです。大正時代に開かれた千里山住宅地が、当初の困難な経営状況を抱えつつも、恣意的な住民誘致から徐々に中間サラリーマン層の住宅地として発展してきた様子が、辛口評論家の眼でもって等身大に描かれています。ややロマンティックに想像しがちな我がまちの冷静な評価がそこには感じられました。
ところで大宅壮一さんは大阪府三島郡富田村(現高槻市)の醤油屋生まれだと安藤さんに教えて貰いました。三島郡といえば吹田や千里山も同じ郡内ですので、辛口の中にも何か愛情のようなものが感じ取れるのも不思議ではありません。
・掲載記事の紹介
帯を結んでいる女性は昔、関西大学の教授だった
中井先生の奥さんです。私はそこの息子さんと
同級でした。
トトロの森の坂を電車道のほうから上り詰めた左側に
一軒うちが残っていますが、そこに住んでおられました。今は手入れがされず物置のようになっていますが、30年?ほど前にはここに関大の先生の公宅が
5軒たっていて結構おしゃれな家並みでした。
中井さんはその後埼玉に転居されたと聞いていますが、消息は存じません。懐かしい写真です。
昭和32年当時といえば、まだこの辺りの開発もそれほど進んでいなかったのでしょうか。
“トトロの森”の丘に関大の先生の公宅が5軒も建っていたとは、おしゃれな良い雰囲気だったんですね。
今も木竹林や菜の花が咲く空き地は関大の持ちものとはお聞きしていますが。
これからの季節は、草むらの虫達を狙ってツバメが峠を群舞しながら突っ切っていく様子が見られます(ぶつかりそうで危ない時もあるくらいです)。