千里山ブラウズ

SENRIYAMA BROWSE 千里山の商店街や街並みを散策しながら、素敵な人やお店そして風景と出会えれば‥‥

無添加ワイン

2006-01-31 10:25:49 | Weblog
正月過ぎにワインセラーを買いました。年末にいろんな方から次々にワインを頂けることになりまして‥‥(4本程頂いて、以前からあったものとで一気に15本になりました)
別にワインについて造詣が深いということでも無いのですが、ワインを密造したことがあるというのはちょっと自慢にしています。
ただこのワインセラーは、デザインは気に入っているのですが、作動中に仄かな異臭が出ますので、メーカーに問い質している最中です。取りあえず我慢して何週間か様子を見てみるということになっています。
ワインセラーはそういう状態ですが、肝心のワインはやはり夕食に毎日飲むようになってしまいました。高そうなものは保存しており日常的には安いワインになります。健康オタクではありませんが、ポリフェノールが抗酸化作用があるということで、もっぱら赤ワインにしています。
毎日飲むようになりますと合成保存料や酸化防止剤が気になりまして、無添加ワイン(有機ぶどうのワインもあります)を選んでいます。今はそのようなコンセプトのワインがかなり作られていて、千里山でも「大丸ピーコック千里山店」「ジャスコ南千里店」コンビニ・酒屋さん等で手軽に購入できます。もちろんインターネットでも簡単に入手でき、「楽天」で無添加ワインを検索してもたくさん掲載され、「Google」でも多数検索できます。
僕はその中で大丸ピーコックで扱っている蒼龍手造醸造の無添加赤ワイン中辛をもっぱら飲んでいます。1,270円と手頃なのと「手造醸造」というキャッチコピー、そしてストレートに葡萄を感じる飲みやすさから気に入っています。甘口の方はジャスコにも在りますが、濃厚さが僕には少し重いと感じます。
今後はインターネットでもこの手のワインを試してみたいと思っていますので、次はもう少しましな投稿ができると思います。
最後にちょっとした夢ですが、「千里山ブランド」のワインとして有機・無添加の「季宙(ときそら)」をいつか造りたいと思います!! (もちろん密造ではなく、どこかのワイナリーとの提携で)

【追記・7月21日】阪急山田駅前のデューのKOHYOスーパーで、蒼龍手造醸造の無添加赤ワインの辛口を見つけました。3種共に並んでいました。

「うつ」の人に優しい街は‥‥

2006-01-30 09:46:59 | お薦めします
「うつ」な人ほど強くなれる―『うつ』になりやすい性格こそ「成功する条件」

アスカエフプロダクツ

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日本では成人の15人に1人が「うつ」を経験していると冒頭に書かれています。
自分を振り返ってみても仕事やお金、健康問題や劣等感、恋愛や人間関係の中で様々な悩みに直面し、これからも生きていく限りは避けようもない事だと思っているのですが、「うつ」というのはどうもそのような日常的な悩みの次元を超えた心の状態(病い)なのだという事がよく分かります。
著者自身の「うつ」とその克服の体験からくる、温かいアドバイスと周囲の人達に望む心の支えの必要性がつづられています。「うつ」に陥る人ほど誠実で・頑張り屋で・繊細で・責任感のある人達はいないと言われています。それは私達の社会に多様な分野で貢献できる能力の基本要素ではないかと思います。しかし、「うつ」を支える周りの優しさが無ければその能力も十分に発揮して貰うことはできません。
考えてみるとそのような優しさが地域に失われているのではないかとよく指摘されています。これは「うつ」の人達だけではなく、日常の中で“程ほどに真面目に何とかやっている”一般的な僕たちにとっても非常に危うい状況なのではないか、という事に気付かせられます。
千里山.NETは“夢・宙・遊・泳 (ゆめそら)”というクレドを掲げて、千里山が本当に住み良い、優しさや元気に満ちあふれた街になる為に一デザイナーとして何が出来るのか、という思いから立ち上げた地域活性化情報ポータルサイトです。千里山は何処にでもある小さな地域に過ぎないけれども、ストレス社会の狭間でどこかホッとできる、真にホームタウンと言える“嬉しくて、元気になれる”街にしていこうと、そういう気持ちでこれからも運営をしていければと強く思います。この本は「うつ」の人を思いやる心を通して、隣人に優しい街づくり・人づくりの基本につながる様々な事を深く考えさせてくれます。皆さんにも一読をお奨めしたいと思います。

私事になるのですが‥‥

2006-01-29 00:39:03 | 千里山フェチズム
踏切を渡ってしばらく千里山図書館の方に向かう途中に、シュガーレイというブティックがあります。四角いライトブルーのシンプルでお洒落な看板が印象的で、全面ガラス張りのショーウィンドーにはいつも季節のコーディネート・ファッションがセンス良くテイスプレイされ、千里山の街の感性グレードをとてもアップしてくれていると感じるのは僕だけではないと思います。
このお店は雑誌などにも採り上げられるほどのカリスマ・セレクトショップとして、千里山のみならず遠方からの常連客も多いと聞いています。
しかし、それだけでなぜ「千里山フェチズム」でご紹介するかと言いますと、思いっきり私事になるのですがこのカリスマ・ショップで使われているメッシュの傘立てが僕の以前デザインしたものだ(※写真は3Dスケッチ)という事なのです!!
デザイナーという職業柄、日頃自分が関わった商品に出会うことは時々あるのですが、もう2.3年前になりますがそれを見つけた時にはかなり嬉しかったのを憶えています。メッシュだけではクールになる所を程良く木の柄で和ませたアイデアが自分でも気に入っていたという事もありますが、やはりセレクトショップのインテリアとして“セレクトされた”という意味でちょっと良い気分だったのです。
その後オール木を使った新たな傘立てがドア外に置かれ、メッシュの傘立ては内側に移動しています。ますますインテリア・アイテムに‥‥。婦人服には余り縁が無いのですがガラス張りなので通りすぎる時にチラッと見えるのです。

求人情報を募集します!!

2006-01-28 11:06:04 | 千里山INFO
千里山.NETでは千里山のお店や事業所で働きたいという方達への求人情報を、このブログを通じて発信していければと思っています。
お店や事業所からの正社員やパート・アルバイトの求人情報はもちろん、働きたい人からの求職意欲のアピールにも使って頂ければと思います。コメント欄に自由に求人・求職の情報内容を書き込んで下さい。委細は双方の責任で連絡面談・交渉の上で進めていって下さい(「千里山リクルート」カテゴリーの当コメント欄は情報の仲介をする場を便宜提供するだけですので了解の上ご利用下さい)

日時計?

2006-01-27 22:28:36 | 千里山フェチズム
夢追い人さんから「千里山フェチズム」に楽しい写真投稿がありました!!
千里山霧が丘の、市営住宅団地の杉木立に沿った坂道の途中に、花壇に囲まれた面白い遊具(くぐって遊ぶ?)を発見しました、というコメント付きです。よく見ると動物たちは十二支が描かれています。周囲に滑り台や石梯子が配されていかにも遊園らしい風景です。

色々とメールのやり取りをしながら想像してみました。僕にはこれらの謎の建造物がかの英国はウェールズの原野にそびえ立つストーンヘンジに見えてくるのです!! しかもストーンヘンジは今でも謎に包まれているけれども、天文台や太陽を仰ぐ神殿という説もあるといいます。とすれば、これらは十二支を使った日時計なのではないか?、とも思えるのですが‥‥。真相はどうなのでしょう、どなたか詳しい事をご存じの方は教えて頂けませんか?

今年の干支の戌(いぬ)もいます。でも、いくらなんでも子(ねずみ)の穴をくぐれる子供はいませんヨ!!

皆さんも一度この千里山のミステリースポットを探索してみてはいかがでしょうか?

掌小説『菜の花』

2006-01-26 09:39:22 | 作詞・作曲


  菜の花        小畠 功

 「博子さんまだ眠っとんかの?」
 物置きから古い自転車を出すのを私がひきうけて、朝の薄い陽溜まりに運んでいくと、待っていた母はそう尋ねたが、その口振りに何も非難めいたものはなかった。
 「ええ、あの人も昨日は一日中、夜も遅くまで気を張っていたからでしょう、どうも疲れたようです。僕が起き抜けるのも気付かずにいたくらいですから、そのままにしてきました」
 「ああ、そうしてあげたらええ。休むのも昨夜は遅うなったしの」
 老いて小さくなった母は私を見上げながら微笑した。五旬日前に父を失くして以来、今ではその微笑が母の顔に貼り付いたようになった。しかし、二年間付きっきりで看病していた頃にも、また、さかのぼれば死んだ祖父や父、そして私達兄弟のまわりにはいつも、その哀しい表情があったような気がする。
 母の言葉に他意はなかったが、私は昨夜博子に加えた自分の行為を責められている気になった。博子は私の婚約者として、父の七七日の法要の為、私が東京から伴って来たのだった。一昨日の夕刻帰り着くとすぐ二階に床を延べてもらい、無理に休息をとらせた。博子は私と婚約後肋膜を患い、半年余りの療養生活を終えたばかりで、本人が言うほどには誰の目にも健康とは見えない。その夜、別室に私の布団を延べようとする嫂(あによめ)に、「いいんだよ、もう僕らは一つの部屋で」と私は言った。捜はクスッと目で笑い、「それでも…、じゃお母さんに聞いてから」と本当に母に相談したようだった。結局長い間待たされて要望は叶えられたが、そんななりゆきを私はおかしく見守っていた。家の者が博子の気持や身体を労ってくれるのは嬉しかった。
 昨夜私が博子を求めると、しばらく笑っていた博子の目がしだいに怒ったような真剣さを帯びて来て、私を探るように凝視(みつ)めた。私は、博子に触れたまま動きを止めて、その眼差しに再びやわらかい光が戻るのを待った。やがて博子は溶けはじめた。私は慌しく博子を追い詰め、余裕なく自分も果てた。博子のはだけた皮膚うすい胸は汗ばんで熱を帯び大きく上下した。
 母が以前もっぱら使った婦人用自転車は、二年ぶりに表へ出すと、さすがに細かな挨を被ってい、タイヤも空気の弾力を失っていた。母が再びこの自転車に乗ることは、父の看病からの解放を象徴するように私にはうつった。残された家族の中をようやく日常的時間が動き始めたようだ。見通し暗い病を受け、その死を待たれる状況に苦しみつつ、父はやっと母を解放することが出来た。いや父自身が解紋されたのだった。こうして父の死は縁者達それぞれの心の中で、何か誤魔化しに似た操作を受けて、美しい想い出に変わり、あるいは忘却されてしまうのだろう。
 「じゃあ、あんたはあっちに乗りぃ。母さんはこれが乗り慣れとるし。空気入れてくれたら早うに寺山さん(付近一帯の墓所)へお参りに行こう。あんな淋しい所にほっとかれて、父さん心細いやろうからの」
 ハンドル籠に開伽(あか)水を汲む薬缶を入れて二人は出発した。ここ十年ばかり私は帰郷しても、村全体を見歩くことをしなかった。その間に村を一周する道路は立派な二車線になってい、以前なら凸凹道に音立てて踊った薬缶の蓋も、今日は静かに運ばれていく。一月の午前の冷気は風はなくとも山蔭に入ると懐まで凍みてき、私はしばしば母を捨て置き日蔭をつっ切り、小山を巡って陽溜まりに一息ついては母を待った。例の微笑が近づいた。路傍の畑に菜の花が見えた。盛りの時節とはちがって畑の隅にひっそりと忘れられたような微かな風情であった。
 「あれを採って行こうよ、いいよあれは」
 「綺麗やけど、だまって持っていったらいかんの」「いいさこれくらい、別に売物じやなし」その時、ちょうど持主のおばさんが少し離れた畑に伏せていた顔を上げた。「ちょっとこの綺麗な菜の花、お父ちゃんに祭るのんにもらいますよォー」。おばさんは何か言いながら幾度もうなずいていた。
 寺山は村を囲む小山の一つで、そこは蔭りになっていたが不思議に暖かかった。自然石を置いた仮り墓は、一夜のうちに野鳥に荒らされ、祭り物の果実や菓子が散乱していた。母が新しく供え直し、菜の花を手向けて瞑目している後ろで、私は限下に広がる故都の変貌に感傷的になっていた。耕地の七割近くを荒した村の姿は、そこを捨て、帰郷してもろくに顧みようともしなかった私を、無責任な感傷に浸らせるのに十分だった。田畑を耕すことで妻子を養えたのは父まで、それも短い一時期のみであった。
 父の死はある意味では、私にも待たれたものであった。それは、東京に居てその容態の情報に一喜一憂する時々に、否定しても忍び込み、しだいに飼い慣らされた思いだった。その感情は、私をちょつと不愉快にし、私はそれを取るに足りぬ詰まらぬことだと思おうとした。確かに私は、安穏な日常に加えられるであろう衝撃を秘かに期待し、父の死に身構えていたのだった。
 山を降りると少し風が出ていた。死者の寝所(しんじょ)は穏やかな夢に包まれて、としみじみ振返ると、遙かな山々の峰に、雪を孕んだ雲が寄せていた。帰宅までには捕まりそうな所まで雲は迫っていた。東京育ちの博子に菜の花を見せてやろうと思っていたが、そのための道草を厭うほどに寒風は増して厳しくなってきた。「博子へはもういいでしょう。風邪をひかないうちに帰ろうよ母さん」言いざま私は発車。往きと同様に少し走っては無風地に母を待った。母のペースは崩れない。四度目に追い付いた時、母の籠に菜の花が一束差し込んであった。私は薬缶とそれを交換させられた。
 父の死は穏やかに、嘘のようにあっけなく訪れた。私の心には微かに不謹慎な不満が残された。父の病室は翌日すぐ別の患者でふさがった。名残りを惜しみ、見送ってくれた人々に慌しく告別した父は、ニ時間足らずに煙となった。父は巧妙に厳粛に忘れ去られた。
 帰り着くと、博子は嫂と何かおかしそうに話しながら洗濯物を取入れていたが、私の前の菜の花を見つけると果して駆け寄ってきた。
「からだ大丈天、お寝坊さん」「あら、すみません」と丁寧にお辞儀をして、「いやね、健康になつていくって、ぐっすり眠れることだったのです」と甘く笑った。博子は嫂にも菜の花を見せながら、「でも四国は本当に暖かいのね、こんな頃に菜の花が咲くのね」。母が実はこれは野沢菜の花だと教えている。
 父は私に、私の生き様の皮相さを示してくれたように思う。父の死は私にとって何でもなかった。何の傷みも私は受けなかった。そういう不遜な事実を私に気付かせて父は逝った。気付くことが即ち改まることではないだろう。がしかし、博子に菜の花を手渡す時、私の心は僅かではあるが“貧しく”なれたと思った。

                     〈完〉(c) 2006, Skyfull Stars

※ 徳島新聞『とくしまの小説』に投稿掲載されました。

俳句・短歌・詩を投稿して下さい

2006-01-25 00:45:49 | 作詞・作曲
千里山には詩ごころを育むお店やスポットがいっぱい在ると思いませんか?
坂道や石段、木立や噴水の音、駅舎や教会‥‥電線の重なりにまで。
最近始めた携帯ブログで俳句を投稿しています。読んで頂く価値があるものなのかどうか僕には分かりませんが、僕自身にはかなり楽しめる事は確かです!!
その時に心に浮かんだものをそのまま、余り深く考えもせずパッと送信しています。送信してしまうともう取り消しができないので、このまま続けていると念願の決断力が少しは付きそうです。又短い言葉の中に何か多くのことを表現していくことにも面白さを感じます。

さて、千里山には俳句の会などが活動をされているとお聞きしております。
又、中学・高校などでも国語の演習として作句しているのではないでしょうか?
この「季宙ブラウズ」のカテゴリーに皆様の俳句や短歌・詩をコメント投稿して頂いて、一緒に千里山の万葉集を作っていきませんか? ‥‥ちょっと大きく出ています (*'_')b

「RABINI」メイキング

2006-01-24 09:45:36 | RABINI通信
千里山.NETでは千里山の商店街を始めとして、自治会・まちづくり協議会、ボランティア・サークル、イベントなど多様な生活情報を掲載してお役に立つことを第1ミッションとして掲げております。それと同じように街の歴史や文化的な「もの・こと・ひと」にスポットを当てたエンターテイメントも提供していければと思っています。
その一つとして千里山を舞台にして「RABINI」というWEB絵小説を始めようとしております。僕(スカイフル・スターズ)がプロデュース担当として原案を作り、友人でコピーライターの金子理恵さんに文章化をお手伝い頂き、挿し絵の方を吹田市在住で森のアトリエを主宰されている岡みきさんのご協力を得て3人4脚で創作していく予定です。未だ企画が始まったばかりでどうなるのか僕自身にも先は見えていませんが、自分自身のワクワク・ドキドキが伝わる面白い物語りになり、住民の皆さんに楽しんで愛して頂けるようなものにしていきたいと願っております。
このRABINI通信というカテゴリーでは物語りに親しんで頂けるように、折々に製作の裏話や予告など、いわゆるメイキング的なものを発信していきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

※ WEB絵小説「RABINI」は千里山.NETの「ENTER」ボタンをクリックしてサイトの中へ入って頂き、「商店街」/「ガイドマップ」のマップ右上にあるるRABINI“夢・宙・遊・泳”をクリックして頂くと始まります。時々画面の下方に現れる逆三角矢印をクリックしながらご覧下さい。今はまだ物語りのほんの冒頭部分しか掲載しておりません。又現在使用されている挿し絵は物語りとは直接関係のないものです(岡みきさんのこれまでの作品の中から参考として掲載させて頂いております)。

社内ネットワークにブログを活用しては‥‥

2006-01-23 09:37:03 | お薦めします
「ビジネスブログ」で儲かる会社になる

東洋経済新報社

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表題は「儲かる」と生のアピールがされていますが、多くのブログの解説本の中では内容は全般的に非常に真面目な構成になっていて、ブログのビジネス利用の現状と将来的な方向性がよく理解できます。
特にこの本の特徴としては、対外的なマーケッティング利用の面と同じくらいに社内的なコミュニケーション・ツールとしてブログを推奨している点です。銀行やメーカーなど多様な業態におけるブログの活用例や提案がされていて、スカイフル・スターズも日頃からクライアントにWEBカタログを奨めるなどメディア・ミックスな取り組みをしておりますので、早速基礎知識としてインプットさせて頂きました。
「ビジネスブログ」と打ち出されてはいますが、学校や公共、サークルやボランティアなど、より広いコミュニティー分野でも応用できる示唆を与えてくれる本です。

TOKISORA

2006-01-22 10:12:46 | 作詞・作曲


 季宙(ときそら)に込めた意味合いです。
 スカイフル・スターズとして多様なデザインをする時にも、
 このような時代の夢価値を考えながら創造していきたいと思っています。
 デザインと街づくりをどう捉えるかを情報誌「バーズ・アイ」さんに
 取材して頂きました(2005年4月)のでご紹介させて頂きます。