以前に“サクランボ盗人”という記事を書き、良識ある人達から少し顰蹙を買ったことも忘れたわけでは無いのですが、阪急タクシーの車庫裏の枇杷が美味しそうに実って、この前から僕を誘惑し続けていたのです。僕は田舎育ちで学校帰りの道すがら、季節の果物をおやつ代わりに良く食べたものでした。それが当たり前に許される時代・地域だったのです。その習いでしょうか、いつも誘惑に負けてしまいます。
ただ、今回は僕だけでは無かったのです。僕の後を他ならぬカラスの一群があっという間に食べ尽くして仕舞ったのです。想うにカラスは実が熟して一番美味しい時を(僕と同じく)知っていて、一斉に解禁になるのではないでしょうか。その光景に子育て中の近くの親ツバメが警戒の帆翔を繰り返します。覗き込むと雛ツバメ達が巣の中で怯えて身体を寄せ合っていました。
ただ、今回は僕だけでは無かったのです。僕の後を他ならぬカラスの一群があっという間に食べ尽くして仕舞ったのです。想うにカラスは実が熟して一番美味しい時を(僕と同じく)知っていて、一斉に解禁になるのではないでしょうか。その光景に子育て中の近くの親ツバメが警戒の帆翔を繰り返します。覗き込むと雛ツバメ達が巣の中で怯えて身体を寄せ合っていました。
たとえばわが家では、柿・蜜柑・無花果・石榴はありましたが、枇杷、杏はありませんでした。「ないものは(お互いに)あるところから頂く」のが暗黙の?ルール。とりわけ子供にかぎっては「いくらでも!」というくらい鷹揚でした。こども心に何となく罪悪感はありましたけど、採ってるところを見つかると、「もっとしっかりもっていけ」などと..。
こどもには「大切にしてもらっている」という実感がありました。大目玉をくらうこともありましたけど、こどもはまずは大目に見る、そんなメリハリのある時代(地域)でしたね。
思うのですが、そのような鷹揚な時代(地域)であったればこそ、ちょい悪が可能であって、それが本当は悪いことだとも解っていましたよネ。
子供は少しぐらい、人格が傷つかない程度の悪いことはした方が良いのではないでしょうか? 余りに清潔に育てるとちょっとした悪いことと、すごく悪いことの区別もできなくなります。そういう大人や時代がホントは怖いのです!!
「もっとしっかりもっていけ」などと言われては、詰まんなくなって参りますよネ。