昨日より今日、薄皮をはぐように体調が良くなっている(様な気がする)。
けれど年をとると、昨日より今日は更に悪化するのではないかという危惧を抱いてしまう。《もう、良くなるわけはない。だんだん劣化していくのを静かに耐えるだけだ》という思いが過ぎる。精神の衰弱・・・。
真理かもしれない、でも、崩壊していくであろう身体機能に精神が追随することは避けたい。
《痛い》という神経の悲痛な叫びを無視することは出来ず、思考の大半を《痛い》という事実のなかに埋没させてしまう。つまりは無為な時間経過、空白の強要である。
人生とはそういうもの、宿命に逆らうなんて滑稽だし、《これでいいのだ》という楽観的肯定こそが必須なのだ。
そしてその上での、《いいえ》という否定。わずかでも光が見えるならそちらへ全力で向かいましょう。しかし・・・。
いつも考える。痛みに負けて無為な一日を過ごした後の後悔。
月や星を仰ぐとき、現象に過ぎない自分を笑う。『くよくよするな』と。大いなる肯定がわたしを支える。
《いいんだよ、ありのままで・・・迷いながら、混沌の闇を彷徨することこそが、与えられ命題なのだ》と。
けれど年をとると、昨日より今日は更に悪化するのではないかという危惧を抱いてしまう。《もう、良くなるわけはない。だんだん劣化していくのを静かに耐えるだけだ》という思いが過ぎる。精神の衰弱・・・。
真理かもしれない、でも、崩壊していくであろう身体機能に精神が追随することは避けたい。
《痛い》という神経の悲痛な叫びを無視することは出来ず、思考の大半を《痛い》という事実のなかに埋没させてしまう。つまりは無為な時間経過、空白の強要である。
人生とはそういうもの、宿命に逆らうなんて滑稽だし、《これでいいのだ》という楽観的肯定こそが必須なのだ。
そしてその上での、《いいえ》という否定。わずかでも光が見えるならそちらへ全力で向かいましょう。しかし・・・。
いつも考える。痛みに負けて無為な一日を過ごした後の後悔。
月や星を仰ぐとき、現象に過ぎない自分を笑う。『くよくよするな』と。大いなる肯定がわたしを支える。
《いいんだよ、ありのままで・・・迷いながら、混沌の闇を彷徨することこそが、与えられ命題なのだ》と。