続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

昨日より今日。

2014-12-20 06:26:59 | 日常
 昨日より今日、薄皮をはぐように体調が良くなっている(様な気がする)。
 
 けれど年をとると、昨日より今日は更に悪化するのではないかという危惧を抱いてしまう。《もう、良くなるわけはない。だんだん劣化していくのを静かに耐えるだけだ》という思いが過ぎる。精神の衰弱・・・。
 真理かもしれない、でも、崩壊していくであろう身体機能に精神が追随することは避けたい。

《痛い》という神経の悲痛な叫びを無視することは出来ず、思考の大半を《痛い》という事実のなかに埋没させてしまう。つまりは無為な時間経過、空白の強要である。

 人生とはそういうもの、宿命に逆らうなんて滑稽だし、《これでいいのだ》という楽観的肯定こそが必須なのだ。
 そしてその上での、《いいえ》という否定。わずかでも光が見えるならそちらへ全力で向かいましょう。しかし・・・。

 いつも考える。痛みに負けて無為な一日を過ごした後の後悔。

 月や星を仰ぐとき、現象に過ぎない自分を笑う。『くよくよするな』と。大いなる肯定がわたしを支える。
《いいんだよ、ありのままで・・・迷いながら、混沌の闇を彷徨することこそが、与えられ命題なのだ》と。

『まなづるとダァリヤ』9。

2014-12-20 06:20:47 | 宮沢賢治
「これっばっかしぢゃ仕方ないわ。あたしの光でそこらが赤く燃えるやうにならないくらゐなら、まるでつまらないのよ。あたしもうほんたうに苛々してしまふわ。」


☆詞(言葉)で法(神仏の教え)を講じる。
 釈(意味を解き明かす)念(思い)は教(おしえ導く)果(結果)にある。

『城』1827。

2014-12-20 06:09:08 | カフカ覚書
彼は、ハンスに言ってきかせたーそういうお手つだいは、要らない。がみがみ文句を言うのは、先生の持前なんで、どんなに几帳面に仕事をしたって、文句を言われないですむのはむずかしいだろうね。


☆Kは、ハンス(国)に説明した。先祖のこういう手助けは要らない。口論になるのは現象界の空虚(無意味)なんで、セ威嚇に現場不在証明を保護することは出来ない。