続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

多忙な息子。

2014-12-28 06:27:25 | 日常
「会社は26日までだ」といい「車を取りに帰るから」と夜の10時過ぎに帰ってきた。
(ああ、これでしばらくは休めるのね)

 独身で家にいた頃は休日ともなれば昼近くまで寝ていた息子、それがそうもいかない家族の一員となって、それなりに役割を果たしているらしい。(ようは何時までも惰眠を貪れない)
 だから、せめて実家にいる今朝だけは好きなだけ寝かせてあげたい親心。時計を睨んで、9時、10時、11時、12時に近くなった時、戸が開いた。
「よく休めた?」
「うん、こっちは相模原にくらべると暖かいよ」という。(こっち方面に家を求めればよかったものを、何で・・・と愚痴がでる。事情はあったものの勤務先は横浜!)
「食事にする?」「まだ起きたばかりだよ」「そうね、じゃコーヒーでも」
「そうだ、今日午後から洗濯機が届くんだった」
「えっ、何時に?」
「3時って言ってたな」「3時って・・・」「うん、1時に出れば十分間に合うだろう」
 すでに12時15分・・・慌てて食事の仕度。
「お正月はゆっくり休んでね」と言ったら「いや、明日明後日はまだ仕事に出るんだ」(・・・明日は日曜日だよ)先週の日曜日にも大阪へ出張だったし・・・。
「で、翌日の30日には菊川へ行くよ」というので、わたしが「子供が破いた障子は?留守の間に張っておいたほうがいいんじゃないの」と聞くと、
「そうだよなぁ、以前張っている傍から子供が踏んじゃって・・・」

 お産には立ち会うようだし、何だかちょっとの間もないような息子・・・痩せたね・・太る間がないね。

 それでなくとも毎晩12時1時という生活らしい。聞いていると胸が詰まってしまう。

《身体には十分気をつけてね。お母さんたちは何とかやっているから心配は要らない。何とかやらねば、多忙な息子たちに迷惑はかけられない・・・お互い楽しく笑って過ごしましょう》

『まなづるとダァリヤ』16。

2014-12-28 06:16:51 | 宮沢賢治
 その黄金いろのまひるについで、藍晶石のさはやかな夜が参りました。

 黄金はコウ・キンと読んで、光、金。
 藍晶石はラン・ショウ・セキと読んで、覧、章、析。
 夜はヤと読んで、也。
 参りましたはサンと読んで、算。 

 
☆光は金(尊い)。
 覧(見渡す)章(文章)を析(分けることで事柄を明らかにする)也。
 算(見当を付けること)である。

『城』1834。

2014-12-28 06:03:12 | カフカ覚書
ところで、母は、からだが弱くて疲れているものですから、要らぬことで興奮させてはいけないことになっています。そこで、測量師さんには会わなかった、とだけ答えておきました。そしてそれ以上はなにも言いませんでした。


☆ところで、母は、恥ずかしさのため疲れていたものですから、要らぬことで興奮させてはならないのです。来世では土地をなくしたことに気づかなかった人に会えないというのは単に伝説に過ぎませんが、それ以上は何も言いませんでした。